非日常が日常なインドでの話②
前回はインドに到着し、第一目的地のリシケシ行きのバスになんとか辿り着けたまでのお話でした。
空港では着いていきなりトイレでお金を要求されたり、空港出る時にたくさんのインド人商人に声かけられ、大いにひるんだり。
空港からすでにインドがはじまっていたわけです。そんな中、ようやくカシミリーゲートのISBTに到着、リシケシ行きのバスに奇跡的に辿り着くことができました。
さて、そんなこんなで、これからリシケシへ向かう私は、実は着いてからの宿も決めていなかったのです……。(なんとなくガイドブックで目星はつけてましたが)
デリーを出るのは14時、バスで8時間かけてリシケシへ!ということはリシケシへ着く時間は、真っ暗闇な22時ごろと言うことにも気づかず、ビビってる割にのん気に旅が始まったのでした。
バスの前にはトイレを済ませねばということで、これから1年旅をする分の荷物、バックパックを背負いながらISBT内の簡易的なトイレへ。(工事現場などにありそうなやつ)
ここで、ちょっとアクシデントまでいかないアクシデントが……。
荷物を誰にも預けることができなかった私は、後ろにクソでがいバックパック、前には小さなリュック(バックパックのお陰で小さくなっていが普通サイズ)を背負いいざトイレに。
インドのトイレって当時はおおよそ和式(インド式だけど)でした。
まず荷物を背負ったまましゃがまないといけないわけですが、一旦、色々考えずにしゃがんだら狭いトレで倒れかけてしまったのです。
「わーーーぁ、どうしよーーーー、おしっこできないじゃん」
私は暑いデリーのせっまいトイレの中で汗だくになりながら考えた末に、おっもいおっもいバックパックを手前に背負いました。重い上にどでかいバックパックは顔も余裕で覆うくらいの大きさ。前、見えないけど見る必要もないのでよし。
で小っこいもういっこのバックパックの方を背中に背負いました。まだ安定すると睨んだわけです。狭いトイレでそんなことをしているなんて誰も知らないわけで。少し切なくなるも。
いい加減もれそうだったので、いよいよ、しゃがみはじめたその時、ヒザは笑いはじめ、体罰級のヒンズースクワットとなってしまったのでした……。
ヤバい横の壁に手をかけないと無理……。「あ、ティッシュ」と思い、再び立ち上がりティッシュを出しやすい場所に入れたことに感謝して。
もう一度、今度はしっかり「するぞ!」と意気込み、プルプルは変わらず、おしっこを高めの位置から。深く座り込むとそのまま尻餅ついてしまいそうだったので……。
おしっこしたものの、再び立ち上がるのも体罰級でプルプルしながら、もう無理、もう無理、ヤバいヤバいって、目の前の水のパイプを思わず握っていました。折れなくて良かったです。フー。
このはじめてのトイレ事件は、今でも忘れることのない濃ゆいインドでの体験となっています。
さあ、外に出ると誰も今の体験を知らないインドの日常が繰り広げられていることが、滑稽でした。とはいえトイレも済ますことができて良かった。
チケットを買ってバスへ乗り込むと、なんとテレビ付いているではありませんか。
バスは以外にも時間より数分だけの遅れで出発すると同時に、今度は爆音でインド人が大好きなボリウッド映画が放映されました。少し寝れるかなと思っていたのですが、その思いは儚く消えていったのでした。
バスはデリーのごみごみした街中を走り抜けます。はじめて見るインドの光景、私は窓の外を見ながら、こんなごちゃごちゃしたデリーにはやはり滞在できなかったわーと思い、自分の選択に胸をなで下ろしていました。
デリーにはヤムナ川が走っていますが、取りすぎるその川を見ると、川とは言えないようなゴミだらけの状況に悪臭が放ち、ブタはゴミをあさり、その川の脇に住む家族がいたり、まだちっちゃい子供もそこで遊んでいたり、いきなり、みたこともないドギツイこの光景を直視していると辛くなってしまいました。
でもバスは進みます。バスはデリーで何回か乗客を乗せる為、止まっていました。その一つの停留所で1組の家族が乗り込んできたんです。
インドでは外国人はとにかくジロジロ見られるのが当たり前なので、またそんな感じで見られるのか構えていたのですが、特別、私を珍しくみる訳でもなく英語で『日本人か?』とお父さんが聞いてきました。
英語を聞き私も少し安心をし、その家族が降りるまでぺちゃぺちゃ喋って緊張がほぐれたのを覚えてます。急にバスの旅が賑やかで楽しくなりました。
インドは日本人に対してすごく友好的なんです。
きっとインドに居た先人の行いが良かったんだと旅中に思わされました。その恩恵に感謝しながら旅は進んでいくわけですが、いつだったか、こんな話も聞きました。
第2次世界大戦、日本は敗戦したわけですが(本来、負けるも勝つもないはずなのに、なので負けたと押し付けされたのですが)。
その敗戦によって日本は勝ちを収めた国へ、お金(賠償金)を支払わなくていけなかった。そこでインドもそのお金を受け取る国であったのですが、実はインドは受け取らなかったと聞きました。
インパール戦が結果的にインドをイギリスからの独立を導いたなど、日本人の功績をインドで教えてもらいました。インドは友達の国である日本からお金をもらうことを拒否したとのこと。
またインドでは有名な映画があって、そのタイトルが『LOVE IN TOKYO』歌もあるらしく、良く聞かれました、知ってるか?とか。いや、知らないんですけどねw。
とにかく日本に友好的な姿勢であるのは間違いなく、日本から来たというと喜んでもらうことが私は多かったのです。
ですが、危ないこともあります。これから危なかった話をお話ししますが、本当にインド旅は自己責任です。
危なかったお話しとは、このバスで実際に降りる場所はリシケシです。ですがそのリシケシの手前で、ここがリシケシだぞって、知らないおじさんが私に言ってきたのです。
私は周りを巻き込み、「私はリシケシで降りる」ということを周りに公言していたので、そのおじさんが教えてくれたんだと思って、みんなが降りる最後尾の列に並び、バスからおっちゃんと一緒に降りようとした時、おばちゃんが「ダメよ!ここリシケシじゃないわよ、降りたらダメよ!!!」って教えてくれたのです。
おじさんは何食わぬ顔をして降りてきましたが、おじさんを信じて降りてたら・・・ゾッとします。そして過ぎ去る場所を見ると「真っ暗闇やないか〜い」。
わーーー本当に良かった、教えてくれてありがとう、おばちゃん。私こう言う事、人生において多いんです。こっちじゃないぞ!的な、これがいつも守られて助けられてるなって強く強く思うところです。本当にありがたい次第です。
私も最終停留所リシケシって知りながら……。私ってこういう人でもあります……。
でもさすがインド、このバスの最終停留所を周りの人に聞いたら、リシケシ行きの直行じゃなかったんです……。一回乗り継がないといけなかったみたいで笑
私はISBTという大きなバス停からのったのですが、このバス停はローカル線のバスの発着所になり、ツーリスト向けの直行便は他にあったと後に知るのでした。
ということで降りるのは、リシケシのひとつ手前のハリドワールです。ここもリシケシ同様にヒンズー教徒には聖地でガンジス川がはしっています。
インド旅らしく、色々ありながらハリドワールに無事着き、リシケシ行きのバスに乗り換えないといけません。ですが、すんなりリシケシ行きのバスへ案内してもらいました。よりオンボロなバスに……。
さて、ここまでで7時間近く、辺りは真っ暗、あとは1時間30分ほどでで目的地。なんとなく相棒の『地球の歩き方・インド』で、リシケシのバス停の前に安宿があるのをチェックしていました。
とりあえず本に書いてあるこの宿へ行ってみようと、そんなことを考えていました。バスが出発までしばらく停車していたのですが、その時一台のバイクが、窓際に座る私の前をゆっくりと通り過ぎようとしていました。
バイクを運転するインド人のお兄ちゃんが私を見て「リシケシ行くのか?」って聞いてきたのです。私は「うん、そうだよ」と告げると、自分はリシケシで宿のマネージャーやってて宿の名前は○○だからって。
さらに、通常1泊300ルピーを100ルピーでいいけど、どうだ?って聞いてくるんです。
でたーーー!インドだわーと思いながら突然言われても怪しいので無視していました。
そしてバイクのお兄ちゃんは「じゃあリシケシでね〜」って去っていったのです。
バスも走り出し出し、連絡先も聞いていないのに、どうやって後でねとか言えんのよとか思いながら、いよいよ待ちに待ったリシケシに到着です。
「ふー長かった」そして早速、調べていたバス停の近くの安宿へ行ったら……。
ちょっと薄暗いのと、汚いベット、トイレもゾクゾクする嫌加減。確かに安い100ルピーの宿だけど、これは完全に無理だよ……。トホホ。
いくら疲れててもここは無理、こんなとこ住めないって、フロントでキャンセルして宿出ちゃっいました。
わーヤバ、夜10時も過ぎていました。真っ暗……。
あてもなく歩きはじめ、「あ、ハリドワールでお兄ちゃんに声かけられて、宿の名前なんだったかなぁ?」ちゃんと聞いとけば良かったよ……。とにかく町はいかん、危険です。そう思い。
ガンジス川の方へと思ってリクシャに乗った時に、なんとなんと、ハリドワールで声をかけてきたホテルのマネージャのお兄ちゃんがバイクにのって現れたのです。
わーーー1度あっただけだのに、すんごい安心感。
思わず「わおーー今、探しに行こうと思ったの!」ってホテルの名前すら忘れているのにw。
だけど実際によくわからないんだよなぁ、このお兄ちゃんも。しかし、私の選択はリクシャを降りてお兄ちゃんのバイクの後ろへ乗せてもらうことにしたのでした。
とりあえず行こう、先に進む。
リシケシの街から行こうとしている道中はジャングルでした。リシケシって元々ジャングルみたいなところですから、もちろん街灯もなく真っ暗でした。夜も遅いですから、車も少ないし。
少しづつ、不安になりました。やばい、うん……自己責任……。と1人で変な汗をかきはじめていましたが、なんと!ちゃんと着いたのでした、感謝感激!
そして、そのお兄ちゃんは聞くところによると、自分のおじさんがオーナーらしく、この宿でマネージャーしてて、たまたま訪れたハリドワールで、たまたまリシケシ行きのバスで私を見つけ、私にたまたま話しかけてきたとのことでした。
そして宿を案内してもらったのですが、ガンジス川を見下ろせる、とても綺麗なゲストハウスで、めちゃめちゃ快適なお部屋だったのです。
本当についてるし、守られていることに感謝し、綺麗なベットでゆっくり、はじめてのリシケシの1日目の夜を送ることができました。
はじめから濃い旅です。もしくは濃くしているのかは不明ですが。
そして、このお話のオチですが、このお兄ちゃんにめっちゃ気に入られてしまいました……。最後には求婚までされ、応えられないのと、ちょうど街のヨガスタディーセンターでコースがはじまるということで、街の宿に引っ越したのでした……。
私も、はじめは誰も知り合いがいないので懐いてしまったのです。最後は逃げるしか手段がなく宿を去りましたが、はじめてのリシケシでいろんなところへ連れて行ってくれました。
また2週間しか滞在していないのに、リシケシにだいぶ詳しくなっていたのは、このおかげでした。感謝しかありません。
今日の余談
ガンジス川にはこんな言われがあるのです。カップルで行くと別れる。ガンジス川って女性の神様なんですね。シバ神の髪から水がピューって吹き出てて、そこには女性の顔があるんです。
これがガンジス川なんです。ですのでお祈りの時も「ジェイ、ガンガマタジ!」って言うんですが
ジェイ=万歳 ガンガ=聖なるガンジス川 マタジ=お母さん 『聖なるガンジス、母なる河、万歳!』
ガンガ(ガンジス川)は女性の神様なのです。ですので、ここへカップルでくると別れてしまうと言う、井之頭公園に行くとカップル別れるみたいな言い伝えがあるんですね。井の頭公園も確か女性の神様でしたよね。
そしてその噂、アリよりだと思っています。私も実際に別れ、友達カップルも別れています。信じるか信じないかはあなた次第ですが。
そしてガンジス川といえば、ヒンズー教徒にとってガンジス川の水は罪業を清め、輪廻からの解放を助ける貴重なお水になります。ということでお水も売っております。
リシケシはインド人にとっては一度は訪れたい憧れの地です。私もここに1番に来たかった。
そして、これました。
ここからインドの旅が1年始まります。インドの旅を振り返ると、ここから人生が大きく変わっていきました。
その象徴として、部屋に入るとサソリがいたのです。人生で日常にサソリを見る日が来るなんて微塵も思ったことがなかったですが、サソリを人生で生ではじめて見たのでした。
そして、そのサソリの意味は変容だったのです。それも半端な変容ではなく自分が根本から変わる破壊と再生の変容となったのでした。それが拙著『自分を愛する旅に出よう』に書かれています。
そしてインドの話はまだまだ、話は続きますよ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。