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他人に迷惑をかけずに生きる?

日常生活の中では、子供でも大人でも多かれ少なかれ他人様に迷惑をかけずには生きていけないのが人間というもの。
しかし、小さい子供を持つ親の多くが我が子には、
「人に迷惑をかけちゃダメでしょ!」
と言います。
私自身も私の友達も、子供の時には何度となくこの言葉を耳にして育ったものです。

少し表現を変えてみたら?
いや、少し考え方を変えてみるのがいいんじゃないだろうか。
人は迷惑をかけることなしに生きられないのなら、誰もが迷惑をかけ合って生きているんだと教える方が現実的なのではないだろうか?
もちろん、人に迷惑をかけても構わないと言う意味ではなく、
迷惑をかけ合って生きている、つまり自分も誰かに迷惑をかけているのだから、他人から受けた迷惑も大きな目で広い心で受け止めなさいということである。

人は自分がしたことに関しては鈍感だが、人から嫌な事をされると敏感に感じ取り、人によっては文句を言い始める事もある。
そういう生き方のどこにも美徳などないし何も良いことなどない。

例えば車を運転していると、気付かないうちに車線を間違えてしまっていて、車の列に横から入れてもらわなければいけないこともある。
後ろの車にしてみれば迷惑な話である。
こちらもごめんなさいという印をハザードを2回点滅させて示すが、
バックミラーで運転手を見ると気にしていない様子で安心したりする。

例えば通勤の満員電車に乗っていると、大きなキャリーバッグを持った旅行者が乗り込んでくる。
ただでさえ満員なのにその上大きなキャリーバッグが身の回りに2つも3つもあると窮屈で仕方ないのである。正直、迷惑だと思うこともある。
では自分は電車の乗客に迷惑をかけたことはないのか?
車内で体調を悪くして立っていることさえできず、駅でドアが開いてから
這ってホームへ出たことがある。
当然、僅かではあるものの大勢が乗る電車の出発は少し遅れるし、駅員さんも私の方へ駆け寄ってくる。
キャリーバッグどころの迷惑ではない。

もちろん、誰も好き好んで他人様に迷惑をかけようなどと思っている人はいない。
それでも避けようがなく迷惑をかけてしまうことはある。
その時に素直に自分がかけた迷惑の事に気付き、失礼しました、すいません、ごめんなさい、一言でも意思表示ができたのならそれで良いとするしかない。
同じことが他のあらゆる人にも言える。
自分が誰かから迷惑を受けたら、譲ればいいし、気にしないでくださいと言えばいい、そのくらいのゆとりを持てばそれで良いのである。

迷惑をかけてはいけない
のではなく
迷惑を受け止める人であって欲しい
そう思う。

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