舞台『明日、君を食べるよ 2023』×映画『勝手にふるえてろ』
舞台『明日、君を食べるよ2023』を観劇させていただきました。
食育を題材にした、子供向け、90分ノンストップの作品です。
今回はストーリーの内容にあまり言及しないので、あらすじが気になる方は下記サイトへどうぞ。(台本が全編読めちゃうなんて太っ腹、、、!)
何度も再演されている作品のようですね。
この舞台のよかったところを反芻していて思い出したのが、
私が大好きな映画、
『勝手にふるえてろ』(2018)の、
主演松岡茉優さんの下記インタビューです。
一見共通点のない、子供向け食育のための舞台と、こじらせ女子映画を観て、
私は同じ感想を抱きました。
それは、
圧倒的マイノリティ主人公が感じる「あるある」こそ、痛いほど刺さる
ということです。
🐂 🦕 🐂 🦕 🐂 🦕
舞台"明日食べ"と、
映画"勝手ふる(勝手に略してすみません)"の主人公は、
それはまあ、圧倒的にマイノリティの方々です。
"明日食べ"のサナギは、
母子家庭の都会っ子で、再婚した家族がいる田舎に移り住んだ小学生ですし、
"勝手ふる"のヨシカは、
絶滅した動物とタモリ倶楽部が好きな、所謂ヲタクですし、
現実世界で彼らに出会ったら、きっと、
「変わってるなあ」とか、「自分には経験しえない壮絶な人生だったんだろうなあ」とか、
自分との違いを感じてしまうに違いありません。
ですが、いざストーリーに飛び込むと、
そんな、自分とは接点のないはずの人の感情が
刺さる刺さる刺さる刺さる!!!!!
いや、接点がないからこそ、
共感できる部分はより本質であると、捉えてしまうのかもしれません。
だから、2作ともなぜか泣けてしまいます。
で、なんでそんな、遠い存在の主人公の感情が刺さるのか、考えてみたのですが。
松岡茉優さんが、前述のインタビューの中で、「誰か1人に届けることをイメージしている」のようなことを言っていてピンときました。
特定の誰かをイメージして演じてくれているものは、目の前のあなたにも、わたしにも、みんなに届く
のだと。
丁寧な役作りとよく言いますが、
なにか心に響くお芝居には、明確な届けたい対象があるのかもしれませんね。
ちょっと脱線しますが、
舞台"明日食べ"ではAKB48メンバーの方が主人公の姉として出演されていて、
この舞台だけ見ると、完全に
役者>アイドル
という印象を持ったんですよね。
思い返すと、新旧AKB48メンバーの皆さんって、
アイドル出身とはいえ、ほんとタレントというか、芸能界向きなんだと思います。
例えば、K-POPグループが、
いかに特定のパフォーマンスのクオリティを高めるか、に懸けているならば、
AKB48は、
いかに多くの時間をファンと共有するか、に懸けているのだろう。
出口を歌やダンスに制限しない、それぞれの個人の表現が磨かれていく土壌があってこそ、
グループ卒業後のキャリアがさまざまなのだろうなあと。
特に、女優など舞台方面に行く方が多いことに、今日でなんだか納得してしまいました。
というのも、お客さんと話す姿や(お見送り会がありました)お芝居が、飾らず自然で。
「目の前の」人に伝えようという意識が常にあるんだろうなと感じる瞬間が、多くありました。
人になにかを届けて、感じてもらうお仕事において大事なことを、
いろんな面から感じられたお芝居でした。
、、、極論、私も今回の記事はたった1人のために、書いています。
が、
ここまで読んでいただいた他のどなたかにも、共感してもらえたら本望です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました*