見出し画像

「I'm Not Racist」からアメリカの黒人差別を学ぶ【Twitterログ】

TwitterでLiT|翻訳キュレーターさんが『I'm Not Racist/Joyner Lucas』という動画に日本語字幕を付けていたのをアップしていました。

今だからこそ聴いて、考えて欲しくて『I'm Not Racist(私は人種差別主義者じゃない)/ Joyner Lucas』に日本語字幕を付けました。白人と黒人の両側から人種差別について訴えています。

『物語には2つの顔がある』

未知は怖いけど、無知はもっと怖い。
どうか最後まで聴いて下さい。

この動画はアメリカにおける黒人差別を考える上で非常に示唆に富んだ内容になっており、すごく参考になったので、動画内のポイントをまとめておきます。

▼元動画『I'm Not Racist』リンク

「Black Lives Matter(黒人の命を軽んじるな)」という抗議について

Black Lives Matterというのは、アメリカ社会における黒人差別に抗議するムーブメントのことです。

それに対して白人はこう主張します。

「"黒人の命を軽んじるな"と叫ぶが生活費も払えない怠け者だ」

これに対して、黒人の主張はこうです。

「悪いとも思わねえ。お前らクソ白人どもが気に入らねえってのが本音だ。
俺たちの抗議に"全員の命が大事だ"なんて抗議する。どういうことだよ。これだけは譲れねえよ」

黒人の方が「All Lives Matter(全ての命が大事だ)」という抗議に強い怒りを覚えているのには理由があります。
アメリカ社会において、黒人は白人と比べてあらゆる面において不利です。就職、経済面、信用。警察に不当な暴力を受けるリスクも高いです。黒人にとってアメリカ社会とは不平等なものであり、全ての命が平等とは信じきれない人もいるでしょう。
そんな中で「All Lives Matter(全ての命が大事だ)」と言われても、安全圏からの綺麗事にしか聞こえないと私は思います。

白人の言う「全ての命が大事だ」の中に黒人は入っているのでしょうか?
命にも関わる、黒人にとっては重要な抗議を「生活費の払えない怠け者」と切り捨ててしまっているのではないでしょうか。

「ニガー」という言葉の取り扱いについて

白人はこう主張します。

「"ニガー"と呼ぶと怒りやがる。俺が口にしたらすぐ反応して、俺が黒人じゃないからってレイシスト扱いだ」

「奴隷制度なんて蒸し返して、まるでお前が綿花を摘んでいたみたいに。お前が汗水を垂らしてたみたいに言いやがって」

黒人はこう主張します。

「"ニガー"は罪深い言葉でもある。言うべきじゃないが仕方がない」

「"ニガー"俺たちを見下すための言葉だ。俺達はあくまで挨拶として使ってる。お前が使えば裏の意味が見えちまう。俺自身は綿花を摘んでいないが、その歴史には影響を受けている。祖母が奴隷だったのがムカつくし、お前は思いやりのない臆病ニガーだ!」

「俺達のスラングや知識を真似して、黒人文化を盗用して自分のものにしようとしている。もう疲れたぜ」

ニガーとは、主に英語圏において、一般に黒人を指す蔑称として用いられるスラングの1つです。黒人でない人がこの呼称を用いる場合は基本的に蔑称として機能します。
例外的に黒人同士で親しみを込めて使う場合もありますが、黒人ではない人は使うべきではない語句です。

「I have black friends」

白人はこう主張します。

俺はレイシストじゃない。妹の彼氏は黒人だ。俺はレイシストじゃない。俺の義姉の子供トレイシーの兄弟の彼女は黒人だ。

黒人はこう主張します。

お前にニガーのダチがいても関係はねえよ。

レイシストであるかどうかと、黒人の友人や近しい人がいることはまた別のことです。

自身の差別や偏見を正当化する言葉として「I have black friend」という言葉があります。自分には黒人の友人がいるから、自分は差別意識がないというものです。
しかし、黒人側からすれば、親しい白人から差別的なことを言われるということは、恐らく珍しくないことだと思います。例えば、黒人と白人のハーフであるlogic氏とその父親は、母親から「ニガー」と呼ばれるなどの差別に苦しんでいたと告白しています。黒人に近しいから差別しないというのは誤りだと私は考えます。

俺は嘘を吐かないが、俺とお前の文化には断絶がある

白人はこう主張します。

「自分の責任をトランプに転嫁する。"アメリカを再び偉大にする"というスローガンの揚げ足を取る。これは俺の本音だ」

「俺たちはアインシュタインやジョブズに学んでる。だが、お前らはあの2Pacを神のように敬ってる! ラップや見栄えやワルさだけを気にするのがニガーだ。音楽を盲信して腐った脳で、それを子供にも聴かせて負の連鎖が続く。メニューやドリンクのせいにして、自分以外の人種のせいにしてる。白人特権や子供のせいにして!」

「白人の市民のせいにして、大統領まで標的にしてる! お笑いものだぜ。まずは敬意を示してお国の役に立て!ニガー!」

「エミネムを聴いたが、奴はどっちの味方だ? あいつなんかくれてやる。奴はもう白人じゃねえ! 承認欲求だけ求めてやがる。はした金と注目されるのに必死だ」

黒人はこう主張します。

「オバマは半分黒人だったが、お前らは間違いなく、奴が嫌いだった。白人にしたくて仕方がなかった。トランプを選んだのはその復讐だろ」

「ああ、2Pacを神のように讃えているさ。彼は自分の命を掛けて勇敢に死んでいった! お前らは醜い金と権力の亡者だ。それが白人なんだ! 憎悪に脳をむしばまれて勘違いして、それを子供に教えて負の連鎖が続く。プエルトリコやOJのせいにして! 自分以外の人種のせいにしてる! 黒人市民のせいにして! 黒人のビジネスを標的にしてる! 俺だって無実なわけじゃないが、明日は我が身だ」

「俺が理性的だって認めたくないんだ。エミネムのトランプ批判は最高だった。奴は白人だが俺たちの味方だって。俺はレイシストじゃないが涙が止まらない」

大統領やアーティスト。同じ対象について話しているにも関わらず、二人は全く対照的なことを主張していますね。
トランプ大統領を白人が賞賛する反面、黒人は批判的。2Pacやエミネムを白人は批判しているのに対し、黒人は賞賛しています。何故ここまで違うのか。お互いがこれを「文化の断絶」としているのがとても印象的でした。

黒人に対する偏見と無知

この動画の中で、白人は一貫して「黒人は怠惰である」というようなステレオタイプに基づいた主張をしています。いくつか拾った内容は以下の通りです。

「"黒人の命を軽んじるな"と叫ぶが生活費も払えない怠け者だ」

「俺の血税は何に使われている? お前らが食うための政府の助成金か? 子供を食わす食品配給券を売って、大麻と酒と子守に払う金か? それで将来設計も無いお前らが路上で騒ぐためか? 救いようがねえ。優先順位を考えろってんだ」

「真面目な仕事より売人を選んでる。そのくせ貧困率に文句を垂れる。ふざけんなよ!」

「フェイクさを誇ってやがる怠け者だ」

それに対して、黒人はこう主張します。

「俺の立場に立てないのが気の毒だ。信念を持っても不安が付きまとう。白人社会じゃ成り上がれない。俺の肌と黒人らしさで判断する。仕事を探しても誰も雇わないから食うためにドラッグを売らなきゃ」

「お前ら白人どもの戦略だってバレてる。税金の話なんてよく出来るな。俺には金がないのに。お前の知らない世界がある」

以下の白人側の主張の前提には、「怠惰」「能力がない」「粗野」「貧乏」などの、黒人に対する偏見が存在しています。
特定個人を指してそうであると言うならば当たっていることもあるかもしれませんが、全ての黒人がそうであるとは決して言えないと思います。

しかし、白人が主張しているように、彼は正直で心からそうであると信じているのでしょう。そして、黒人に対する差別や偏見について、あまり重大なものだと思っていない可能性があるなとも考えています。

なぜそう考えるかというと、彼の主張は「新しいレイシズム」というレトリックを下敷きにしているからです。

新しいレイシズムのレトリックはどんなものかというと、以下のようなものです。

〇〇(特定のマイノリティ属性)に対する差別や偏見は存在していない、あるいは大したものではない。

従って、〇〇とマジョリティの間に存在する格差は差別によるものではなく、〇〇の努力不足によるもので、〇〇は怠惰である。

努力もせず、〇〇は差別に対する抗議と称して過剰な要求を行い、不当な特権を得ている。

差別やレイシズムというと、非常に遠大なもので身近ではほとんど起こらないだろうと考えるかもしれませんが、社会や歴史背景に基づいて個人が偏見を表出させたり、言ったり、そうであるに違いないからと不当な取り扱いをするということも一種の差別でありレイシズムなのです。

黒人はこう主張します。

「運転をしてりゃサツが邪魔してくる。制度的人種差別にはうんざりだよ。お前たちの思惑に付き合わされてる!」

「黒人のことを知らないから不安なんだろ。お前はフライドチキンやBBQも知らない。ツーステップや婚外子のことも! 2 chainzもクールエイドもだ。何も知らねえんだ!」

「俺たちの日常的な苦しみが分からない。普通に生活していても、警察に引き留められたら死ぬかもしれない!」

「不安から俺たちの生活を奪う。お前を愛してるが同時に憎んでる」

マジョリティ(この場合白人)からすれば、普通に暮らしていて、特に理由なく引き留められたり、婚外子を生むことになったりすることというのはかなり珍しいことでしょう。
しかし、それは黒人として生きる上では十分日常で起きうることなのです。

ある日本人女性は、黒人の夫が毎日外出のたびに身なりを整えていることを不思議に思って尋ねると、「危険人物だと間違われて警察に捕まるのを避けるため」という答えが返ってきて衝撃を受けたという記事を見たことがあります。
身近でも分からないことがあるし、当事者でないと知り得ないこともあるということを強烈に感じさせる内容でした。

そして、知らないからこそ不安に感じて偏見を持ったりするのは、お互いにとって非常に不幸なことだと感じました。

私達はみんな同じ人間だった

白人はこう言いました。「同じ建物に住んでるのに階が違うみたいだ。でも物語には2つの顔がある。君のも知りたいな。君の物語も知れたらいいのに」

これに対して黒人は最後にこう返しています。「視点と人生を交換できればな。時間はかかるがお互いを理解できるはずだ。同じ建物に住んでいるのに壁があるみたいだ。物語には2つの顔がある。これが俺の物語だよ。絆創膏じゃ傷跡は消えない。お互いを理解して和解できれば。お互いの違いを認めれば、理解できるはずだ。」

私達はみんな同じ人間だった。
人種が私達を切り離し、宗教が私達を区別し、政治が私達を分断し、富が私達を分類するまでは

参考🍋

いいなと思ったら応援しよう!

Lotus in the mud
今まで頂いたサポート、嬉しすぎてまだ使えてません(笑) note記事を書く資料や外食レポに使えたらなと思っていますが、実際どう使うかは思案中です←