コミュ障の私が、外側にSNSを発信させる為には
私の身近な人に関西のほうで、ごくありふれた日常を、人情と愛嬌を持って話してくれる方々が居ます。
そして、私は彼らから、自分は、抽象的で実用書的な狭い視野に囚われ、外側の世界を見ていなかったことに気づかされたのです。
今日はそういった話です。
SNS発信をしている人に、必要な要素は、物事を抽象的にオブラートに包みながら、具体例を織り交ぜ、広く一般的に理解ある形で、人々の共感を得ることであり、その為に伝わりやすさや、テンポの良さ、はぎれのよさも必要です。
しかし、ラジオの解説が、余りにも効率的で、機械的で、文学的深い洞察がされてない誰でもわかる一般論だったら、リスナーはどう思うでしょうか?
そんなモノは、ワクワクドキドキもしないし、つまらないモノになると思います。
しかし、素人的な要素も貴重な財産ですが、逆にもっとわかりやすく伝える為に、滑舌の善さやスキルの習得が必要なのだと、私は深く母によって気づかされ、反省させられました。
その為には、端的に、実用書ばかり理解すればいいのではありません。時代劇や、現代ドラマ小説などの、現代文学的一般的素養がなければ、より多くの人からの共感は得られません。
その為には、具体例を含ませることが必要です。
何故なら、例えば、昔は家電製品に溢れている日常の生活か生み出す独特の無気力感がなかったばかりでなく、高度経済成長期にある人々からすれば、一家に一台あるテレビを巡り、争奪戦になったことや、冷蔵庫が初めて、家にきたときの嬉しさを、忘れていて、その違いを言葉によって表現してきたのが、現代文学であり、現代テレビ小説であり、朝ドラだったからです。
我々は、とくに若い世代はこういった喜びや、興奮を知らずに育ってます。そんなモノ、実用書があれば、参考書があれば、分かりやすい漫画やアニメがあればとは、何となく味気ない気がしませんか?
漫画は実際に起こりえないことも奇想天外の描くことが出来る。
しかし、司馬遼太郎さんのように実際に史実に基づいた小説も、重宝されることが大切だと私は詳しくありませんが、本当にそのように実感しております。
たとえば、森鴎外のサンショウウオなど、当時の時代の人じゃないと、絶対に理解できない、江戸時代の残酷な人身売買の世界観などは、その小説を読まないと理解できません。
実用書は、一見、物事の全てを見渡せるような視野の広さを与えてくれますが、ありとあらゆる実用書で幸福とは何なのか、自己とは何なのか、他者とは何なのか、社会とは何なのかを理解したならば、今度は、小説、しかも、自分のより身近なことを描いている現代小説の中から、文学的な表現や、文学的な世界観を持つことで、そこではじめて、哲学的な自己の見解、アイディンディティがなされることを知ると、アナタのことに興味を示す人が増えてくることと思います。
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