ホソクさんが帰ってくる前にやりたかった7つのこと
BTSの皆さんが兵役へ向かう前の最後のコンサート、『Yet To Come in BUSAN』。その感想として、当時書き残していたnoteがこれだ。
コロナ禍真っ只中の2022年、私は『Butter』をきっかけにBTSさんと出会った。今までアニメやゲームにばかりはまってきた身としては、自分と同じ「生きている人間」が、努力を重ねて己をよりよく変えていこうというさまに、日々勇気をもらっていた。
そんな彼らが兵役へ行く。自分とたった数歳しか変わらない人たちの2年が、国のために使われる。そう実感したとき、なぜだかものすごく無力感に苛まれた。
2年あれば、きっとBTSさんたちはなんだってできただろう。楽曲づくりだって、コンサートだって。モデルのお仕事もバラエティの収録もできただろうし、お仕事だけに留まらないたくさんの可能性に手を伸ばして、もっともっと世界中の人々を幸せにしただろう。
私はどうだ?
2年あれば、なにか変えられるだろうか?
......ということで、特に好きだったホソクさんが兵役に行き、帰ってくるまでの2年間(※実際は1年半だった)の間に、やりたいことを7つ決めた。そして、無事、そのすべてをやり遂げることができた。
メンバーの人数にちなんで7としたけれど、初めから7つあったわけではない。大枠のテーマは、最初にあげたとおり「自分に良い変化を起こし続けること」。その先で自分がどうなるか感じてみたかったのだ。だから、途中で生まれて達成した目標や、形が変わったものもある。そのあたりは後述しようと思う。
よければお付き合いください。悪くない道のりだった。それでは!
①なにか資格を取ろう
よう坊主、目標を立てるのは初めてか? 初めてだった。ざっくばらんとしているが、要するに、お仕事で身につけた知識を一度整理したかったのだ。
同期にも話を聞いて、仕事関連のものとしてUX検定基礎を、趣味で和菓子コーディネータ3級を取得した。
どちらも資格試験としては易しいものなのだが、腰を据えて試験勉強など長らくやってこなかったので……大変だった……一発で通って本当によかった……。
新卒から2年。社会人としてやってきたことは無駄ではなかったのだ、と合格通知が証明してくれている気がして、ちょっぴり誇らしかった。
②自分に似合う服を見つけよう
苦手なことを、なにかひとつ楽しめるようになりたかった。毎日ホソクさんを見ていて心惹かれたのが、ファッションだった。
もともと服には疎い。ファッション誌はどれもピンと来ないし、かといって流行りっぽい服を当てずっぽうに買っては「アンタ何その変な格好!」と家族にどやされる始末。
私にとっておしゃれとは、毎シーズンやらなあかんのにお金ばっかり飛んで行くし、うまくできひんし……という、苦痛でしかない作業だった。頑張るか……いい機会だし……。
無いセンスに頼るのはもうおしまい! ここはシンプルにお金をかけた。既に経験のあったパーソナルカラー診断に加え、骨格診断を受講。
そして、それでもなお上がりきらないテンションを上げるために、ホソクさんと同じ髪型にしてもらった。バリカン初挑戦である(※これが一番効いた)
結果は、骨格ナチュラルのイエベ秋。ということで、同じくイエベのホソクさんや、テヒョンさんのファッションを参考にしやすかったことも功を奏した。
あんなにしんどかった服選びを楽しめるようになったのはもちろん、友人にも「今のlotusのほうがええな」と言ってもらえる機会が増えたことが、なによりうれしかった。
③一人暮らしをはじめよう
せっかく2年かけるなら、大きな目標も掲げてみよう。となると、やっぱりこれかと思った。一人暮らし。
わたしは、生まれてこのかた実家を出たことがない。そもそも甲斐性もコミュニケーション能力も限りなく低く、おまえを家から出せるもんかと家族に言われてはいたものの、そのことに甘えて親の脛をかじりつづけてしまっていたのだ。
2年あれば、そんなわたしでも、ひとり暮らしを始められるレベルに達することができるかもしれない。とりあえず資金として100万円貯めた。
でも、ここで突如問題が発生した。初めて受けた婦人科検診で、おおきな卵巣嚢腫が見つかってしまったのである。
【計画中断】 婦人科の天井を見上げて
ということで、手術・療養のために2週間仕事を休んだ。
病棟で、いろいろな形の女性、家族の幸せ、あるいは悩み事を垣間見た。それまではなんとなく、人生とは(紆余曲折あれど)一本道だと思っていた。どこかには通じるし、どこまでも歩いていけると。『on the street』のMVでホソクさんが歩いていた、あのストリートみたいに。
でもよく考えたら、ストリートがどこまで続いているか、今の自分にはわからないのだ。歩き続けようという気持ちがあったって、今この瞬間、道は崩れてなくなってしまうかもしれない。
せめてこのストリートが、最後に振り返ったとき「歩んでよかった」と思える道だったらいいのに。
だったら、嫌々続けていることはやめてしまおう。一日でもはやく、未来の自分が喜んで振り返れそうな生き方を始めよう。そう思って、次にやることを決めた。
④転職しよう
大学卒業から3年目、フレッシュさはとうに失い、かといってスキルはあまりにも未熟な年齢。それでも職場にはいろいろと思うところがあったため、「なんとかなりませんか!?」と大学のキャリアセンターや恩師、地元のハローワークにも泣きつき、沢山のアドバイスをいただいた。
前職の都合上、働きながらの転職活動はできなかった。なにも生み出せないプー太郎になった私を、実家に置き続けてくれたのは父だった。どうせならとことん悩みなさい、こんなに悩めるのはこれが最後かもしれないから、と言って、無職の私を急かすことなく見守り続けてくれた。
新しい職場とのご縁が繋がるのは、それから3ヶ月後のことになる。奇しくも、最初にわけもわからず取得した「UX検定基礎」を評価されての選考突破だった。
⑤noteの毎月連続更新を続けよう
これは継続目標だった。noteを毎月書くぞと決めておくことで、なにか自分の中の窓を開けつづけておけるような気がしていたからだ。腹を切っても、仕事がなくても、これは絶対、なんとかして続けようと決めていた。
途中お茶を濁しつつも、この記事でキリよく40ヶ月連続更新を達成することができた。うれしい! いつも読んでくださりありがとうございます!
そしてこのnoteが、もうひとつうれしいご縁を運んできてくれることになる。
⑥ZINEを作ろう
せっかくたくさんnoteを書いてきたので、形に残してまとめたかった。例えば花様年華の考察だけで一冊、表紙はシープスキンにして、青い押し花を栞にして……儚くてかわいい感じに……。
そう思っていたのだが、事情が変わった。
以前からnoteをご覧くださっている方にとってはもう何度目かという話なのだが、哲学者の谷川嘉浩さんにお声がけいただき、『暮らしは、ことばでできている』というZINEを共編集させていただいた。ひっそり半年以上かけての企画だった。
私個人としてはエッセイを一本書いたほか、冊子デザインも担当(装画は昼間さん)。
子どものころ、おぼろげに抱いていた夢のひとつに「自分の作った本が書店に並ぶ」があったのだが、まさか叶うとは思わない。
なにより、文章やデザインへの感想をたくさんたくさんいただけたこと。「読者さまの心を揺さぶってやるぞ!」と意気込んでやったわけではないけれど、そうして作ったものが結果的に誰かに喜んでいただけたなら、こんなにうれしいことはないのです。
本当にまたとない経験をさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
⑦韓国へ行こう
正直実現不可能だと思っていた。お金もかかるし、休みも取れないし、ひとりで飛行機乗ったことないし......。
ところが状況が変わった。転職のためにいったん会社を辞めたことで、突如終わりのない連休が生まれたのだ。
行くなら!! 今しか!! ない!!
ということで、行ってきた。宿の取り方も飛行機の乗り方もわからなかったので、近所の旅行代理店の表に差してあった『2泊3日でソウル』のチラシを引っつかみ来店。予約から渡航まで3週間という無理なお願いをしてしまったものの、代理店さんの手腕により丸ごとパッケージプランで行かせてもらえた。
行くぞと決めたら意外となんとかなるもんだなあ。
初めての海外旅行、それも憧れの韓国という地。ホソクさんが見て聞いたかもしれない数々の景色と、言葉と、息づく文化を身体中で味わった。
いまだ言葉に表せない経験を沢山したが、この「なんとかなるもんだなあ」の感覚を、実感として得られたことがなによりの収穫だった。
そして、ホソクさんが帰ってきた
2024年10月17日。ホソクさんが1年半の兵役を終え、無事表舞台へと帰ってきた。お休みもそこそこに、始球式で見せてくださった輝く笑顔!
うれしかった。
あの笑顔こそ、私の希望だった。
擦り切れるほど聞いた音楽たち。引っ張り出しては眺めたポスターに写真集。馴染みのないジャンルの本でも、ホソクさんが好きらしいと聞けば手を伸ばした。そこにいなかったけれど、ずっとそばにあったのだ。どんな喧騒の中でも色褪せない、彼が残した足跡、光の道が。
2年あれば、と思って始めた挑戦だった。
いま私は、転職に合わせて実家を離れ、初めての土地に住みながら、拾っていただいた企業で働いている(つまりひとり暮らしも叶いました!)。甲斐性とコミュニケーション能力は相変わらずからっきしだけれど、いろんな人に助けられながら、なんとか生活できている。
ずっとそうだった。ひとりで始めた挑戦だけれど、いつも誰かに助けてもらって、いろんなご縁に恵まれたからこそ辿り着けた現在地だ。次の2年は、いただいたものを返せる2年にしましょう。そうやって身軽に、一歩一歩、どこまで続くかわからない自分だけのストリートを歩んでみよう。いつかその道のりも、喜ばしく思い返せる日がくるだろう。
2年あれば人生は変わることを、BTSさんが教えてくれた。その一歩目をくれたホソクさんに、心からの感謝と敬意を贈りたい。ここまで読んでくださった皆さまも、本当にありがとうございました。
明日からもがんばろう!