
【試し読み】翻訳される言葉たち、そして、芋掘りの時間
文学フリマ大阪12にて頒布するZINEの、私のエッセイ部分の試し読みです。
翻訳される言葉たち、そして、芋掘りの時間
新緑の生い茂る初夏、しばらく祖母の実家に滞在していた。ひとりで暮らす祖母の、畑の世話を手伝うためだ。
祖母が住んでいるのは、海と山に挟まれた小さな漁師町である。足元を流れる川なんて、今どき珍しいくらい水が綺麗で、毎年、鮎をめがけて方々から釣り人がやってくるほどのもの。なんとも住み良いのどかなところだが、わたしの契約する携帯キャリアは、ちょっと……いや、かなり相性が悪いらしかった。フリーWiFiを提供してくれるようなお店もない。
ということで、自然と、インターネット禁制生活が始まった。
わたしには、推しがいる。追いかけているコンテンツがいくつもある。それらの更新を見逃したらと思うと恐ろしかった。普段、起きている間はずっとSNSを見つめているのに、一体どうなってしまうのか……。
しかし、この心配は杞憂に終わった。畑の面倒を見て、買い物に行き、祖母やご近所さんとおしゃべりしていれば、時間はあっという間に過ぎていくものだ。意外となんとかなるもんだなあなんて言いながら、まだ葉ばかりのジャガイモにジョウロの水をふりかけていた。
ジャガイモはすごい。畑に植わっているジャガイモを見たのはこのときが初めてだったのだが、大きな葉っぱがわっさわっさと茂っている様子は、そこらの雑草の山と見分けがつかなかった。それなのに、足元の土の中には、食べられるイモがごろごろ生っているというのだから不思議だ。ほんまかよ……。祖母の家を発つ最後の日まで、微妙に信じきれなかった。まさに、シュレディンガーのジャガイモである。
***
結論から申し上げると、ジャガイモは無事に収穫された。わたしが大阪の自宅へ帰ってからひと月後、抱えるほどの段ボール箱いっぱいに詰まったジャガイモが届いた。ジャガイモは、生きていた!
そして、推したちのコンテンツもまた、怒涛の更新を見せていた。そら見たことか! 量が量なので(これを書いている間にもどんどん増えていくのだ)、いくつものコンテンツを見殺しにしてしまった。無念極まる。やらなきゃいけないことが全部終わった夜更けに、推しの活動をひとり噛み締めるのが、至福の時間なのだけれど。
わたしの推しは、韓国にいる。世界的ヒップホップグループBTSのラッパー、お名前をj-hopeさんという。
推しがいる。今どき、珍しいことじゃない。自分なりの方法で好きな人を応援し、そのこと自体を生きがいにする——そんな生き方に、現代では「推し活」なんて名前がつけられるほどになった。
ただし、国外の人を好きになってしまうと、たいへんだ。
僕が今まで生きてきた中で良くないことだったとしても、成長できる一つのきっかけになったんです。
これは、j-hopeさんの2021年7月27日のインタビュー記事だ。「今まで生きてきた中で良くないことだったとしても、成長できる一つのきっかけになった」、なんてかっこいいんだろう! 初めてこれを読み、胸を打たれたその日から、わたしはこの言葉を心のお守りにしている。
自分もこんなふうに生きていきたい。人知れずそう決心させてくれるような力が、推しの言葉にはある。
それがたとえ、「翻訳家さんの訳した言葉」であったとしても、だ。
(つづく)
このあとのエッセイ本文では、翻訳家さんの自伝などにあたりつつ、わたしたちが「翻訳された推しの言葉」から受け取っているものはいったいなんなのだろう、ということをつらつら考えています。
翻訳家さんがいなくては成り立たない、K-POPの推し活について、感謝と敬意(と推し大好きのきもち)を目一杯込めて書きました。
ひとりでも多くの方に楽しんでいただけると幸いです。
ZINE『暮らしは、ことばでできている』について
ZINE『暮らしは、ことばでできている』では、他にもクリエイター、会社員、書評家、デザイナー、文筆家、哲学者、……などなど、さまざまな職業・来歴をもった方々の文章を集めています。
せわしく言葉が飛び交う今、それぞれの場所で育まれたことばの数々が、なにか皆さまの活力になれば嬉しく思います。
【頒布】9月8日(日)文学フリマ大阪12 す-52 / 言葉の遊び場
【仕様】B6 / 本文178ページ
【価格】検討中
▼文フリ大阪12 公式サイトはこちら
https://bunfree.net/event/osaka12/
当日はどうぞよろしくお願いいたします!