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徳島と米津玄師さんと法学 Flowerwall

こんばんは。lotterです。
記事をのぞいていただきありがとうございます。

今日はわたしが好きな歌手「米津玄師」さんについて。

米津さんは徳島出身で、何を隠そうわたしと同郷!
ということで勝手に親近感を持って、勝手に応援しています。

その中で今回は「Flowerwall」という曲をご紹介したいと思います。

「Lemon」以降の超々有名曲たちに比べると知名度は低いと思うのですが、わたしはこの曲が大好きです。

曲調もそうなのですが、なんといっても歌詞!

恋の歌みたいな歌詞なのですが、わたしには、

大好きなこと・そして一生を賭けてもやりたいことに
出会えた戸惑いと喜び

を歌っているように聞こえるのです。

一節だけ引用させてください。

フラワーウォール 目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた

米津玄師さん「Flowerwall」より引用

徳島というのは地理的な面、また県民性も保守的だと言われます。それは住んでいても実感します。田舎特有のご近所付き合いや、あんまり突飛なこと・派手なこと・変わったことができない(そういうことを人目を気にしながらやる)ような空気、子どものときはそれを閉塞感のようにも感じていました。

都会のようにキラキラしたものもないし、そっち方面の想像力はかなり貧弱になりがち。

そんな中で、「何かを作って発信する人になろうと思うこと」自体大変なことで、多くの戸惑いや悩みを生みます。しかも、実際にやるためには徳島を飛び出さなければならない。

この狭い世界から飛び出そうか、どうしようか。目の前にはキレイな夢があり、でも、それに手を出す最大の障壁が自分の故郷への思いだったりする。その壁が自分を守るためにあることも気付いてはいるから。

それでも、出会えたワクワクやそれに全力を注ぎたい気持ち、そういう純粋な喜びが表現されているような気がするのです。

歌詞の解釈は自分流ですが、それをおいても米津さんの歌詞はとても繊細だと思います。ストレート過ぎず、聞き手にいろいろな想像をさせ、でも何らかの共感を生む。それは繊細な感性で世の中の物事を見ているからこそかなと。

この繊細な感性をどうすれば法学の世界に持ち込めるでしょう。そしたら法学のツンツンした感じも少しは和らぐのに。

繊細さはほぼ優しさだと思っています。理論や形式だけではなく、色んなことに気が付き、本気で憂い、顔も名前も知らない誰かのことを考えられる。それこそ、夢中になれることを見つけた高揚感の横で自分を守ってくれている誰かのことを想像できるような。

そんな感性がこれからの法学、特に労働法学には必要だと思っています。労働法学は、「労働者といえば相対的な弱者で、法律によって守られるべき存在」というモデルをどこまで維持すべきかで揺れています。

この揺れはこの後もっと大きくなるはずで、現実の「労働」もどんどん多様化しています。この半年間でさえ、新型コロナウイルスの影響で働き方が大きく揺らぎました。

そうなると、法律的な論理だけで結論を導き出せるような問題はどんどん減っていって、「生身のリアルな人間」を想像できないとたどり着けない。そこには、今までのようなモデルとはかけ離れた強さを持った人もいるでしょうし、反対に弱さを持った人もいる。

米津さんのように、世の中を敏感に感じ取ってそれを表現する能力が、場所は違えど法学者にも求められていると思います。

そんな人になれたらいいな。

なお、わたしは地元が大好きです(誤解なきよう)!

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