土曜の夜はのんびりと。なぜ終戦直後に憲法を作ったのか 勝手に心を読んでみる
おはようございます。lotterです。
記事をのぞいていただき、ありがとうございます。
今回はわたしがずっと疑問に思っていたことを書いてみようと思います。
とはいえ、学問的・史学的な研究や見解は、すでに政治学・法学の分野で多くあるでしょうから、そういう話ではなく、感じた心の話をしたいと思います。
今の日本国憲法は、終戦直後の1946年11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行されています。直後というのは、憲法という国家の法体系の頂点に立つ法律を作り上げるには、あまりに短いと思うからです。
押し付けとか和訳しただけとか様々意見があるところですが、仮にそうだとしても、日本の頭脳たちが多くの力を費やしたことは想像に難くない。
それは、憲法学における解釈議論の豊かさからも感じられます。
だからこそ、なぜこの時期に?と思うのです。
戦後の混乱期、賢い頭や卓越した行動力には、活躍してもらわなければならない局面がたくさんあったはず。
憲法といえども法律です。しかも、国家と国民の間の関係を書いたもの。占領統治下なら実質的には決める必要がないとも言えそうです。
別に戦後の生活に関係する具体的なことは何も書かれていない。理念が書かれた法律。
会社が潰れそうで従業員が不安に思い、困りきっているタイミングで経営理念を見直す。無理やり例えてみると、そんな感じかもしれません。
でも、そこに、
世界の中で国家が生きていくための、
そして人が生きていくための不可欠さ
を経験則から感じていたのかなと思います。
人権を尊重した民主的な憲法をシステムとして作っておかなければ滅んでしまうということを、二度の大戦を含めた歴史から学んでいて、それはほとんど疑いのない感覚として当時の賢い人は持っていた。
民主主義が何においても完璧な制度だとは思わないし、基本的人権だってこれだけ進んでしまった技術の前では、憲法だけでできることはそんなに多くはない。
それでも、今の香港で起きているようなことは、わたしの心が危険だと言っている。それは、あえて言えば、日本の憲法の中で生きて、学んだから。
良いか悪いかという評価は別にして。
生存のために欠かせないから憲法を作った。
そういうことなのかなと感じています。
この日にこういう話をすると、どうしてもイデオロギー的なものを感じられてしまうと思うけど・・・色を付けずに語るのは難しいですね・・・
今の憲法をことさら美化する気はありません。
念のため。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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では、また。