湯けむり夢子はお湯の中 #8 夢子の恋路
母の仕組んだお見合いもどきをしてから一ヶ月。
坂口和真さんとは、毎週土曜になると、それぞれのおすすめ日帰り温泉へ連れだって行く仲となりました。
まだ、おつきあいするという話にはなっておりません。温泉仲間ができたという感覚でしょうか。
♨️
こんばんは。湯川夢子です。3月で41歳になりました。昨年の自分より5歳くらい若返ったような気がするのは、恋路らしきところに身を置いているからなのでしょうか?
今夜は和真さんのワンボックスカーで、ドライブも兼ねて海辺のスパリゾート『渚』さんにお邪魔しております。
こちらのスパでは、各種温泉のほか、岩盤浴やロウリュウサウナもあり、別途料金であかすりやエステも受けることができます。
♨️
「夢子さんは岩盤浴も入りますか?」
「和真さんはどうします?」
「夢子さんに合わせます」
「……私は温泉に入れれば…」
「そうですか。では、2時間後に食堂で落ち合いましょう」
「はい。では、2時間後に」
全然足りません。少なくとも3時間は滞在しないともったいないです。
しかし、初めての温泉デートのときに、彼から一時間半と提示された入浴時間を2時間に延ばしてほしいとお願いしたため、今回もこれ以上の交渉は控えることにしました。
急いで脱衣所で服を脱ぎ、全身をボディソープでガシガシと洗って空いている浴槽から順に攻めてゆきます。混んでいるところは飛ばしましたが、塩サウナはしっかりと入ってお肌を整えました。
♨️
「楽しいお風呂でしたね」
「ええ、まるでアトラクションのようでした」
温泉施設内のお食事処で、和真さんと本日の湯を語り合います。
ちょっと疲れた目元で私に微笑みかけ、メニュー表を読みやすいようにとこちらへ向けてくれる和真さん。私はかつ丼とミニたぬき蕎麦のセットで!と言いたいところでしたが、春の筍御膳を注文することにしました。
「ぼく、うれしいんです」
「え、何がですか?」
「温泉につき合ってくれる友人もいるにはいますが、せいぜい年に一、二回、旅行での宿泊先で温泉に入れればという感じだったんです」
「そうだったんですね」
どちらでしょう?温泉に誰かと行けるのがうれしいのか。私と行くのを楽しいと思ってくれているのか。それに…
「あの……ひとつ伺っても?」
「はい」
「お風呂って私たちの場合、混浴でないかぎり男女別々に入りますよね?となると、入浴している間は別行動になってしまいます。
それでも、一緒に温泉を楽しめたと感じてくださっているのかなって、ふと心配に思うときがあるのです」
ずっとモヤモヤしていたことを言ってスッキリしたかと思ったら、とてつもなく恥ずかしい気持がすぐさま追いかけてきました。
私は和真さんに何を求めているのでしょう。いろいろ早とちりしていたのではないか。「うれしい」と言ってくれた彼の言葉をどうして素直に受け取れないのか。
それ以前に、私は湯に対する自身のルールを崩されたくない、頑固でわがままな女だったのか。
そして、彼のワンボックスカーの後部座席に押し込められていたのは、どう見てもチャイルドシートだと思うのですが。それって……
数秒続いた彼の沈黙は、私の心をぐしゃぐしゃに乱してゆくのでした。
~つづく~
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