花屋の葉子さんとシークレットガーデン 【物語】
海を臨むこの街で、花屋をひらくのが夢だった葉子さん。その夢を叶え、5年目の初夏を迎えようとしていました。
本日は臨時でお店を閉め、あるお宅へお花の配達に向かいます。
山の上にある洋館が、依頼人であるマダムのお家。
見事に手入れされたバラが咲き乱れていました。
「このバラを全部、マダムが?」
「ええ、みんな我が子みたいなもんですからね。と、言いたいところだけど、高い所はとうてい無理。だいぶ前から、ガーデナーの楠木さんにお願いしているのよ」
さすがは楠木さん。葉子さんは朝露にしっとり濡れたバラ達を眺めながら、マダムのあとに続きました。
「今日あなたを呼んだのはね、ここをお花で埋め尽くしてほしくて…」
マダムが案内する先には、八畳ほどの広さでしょうか、お庭の一角を囲んだ空間がありました。
『オズの魔法使い』に出てきそうな黄色いレンガ…ではなく黄色い石積の壁に囲まれています。さらには鍵穴のついた木の扉まで。“屋根のないお家”と表現するには少し壁が低い気もしますが。
「まあ!ひょっとして、これって」
「そうよ、ついに作っちゃったの!シークレットガーデン。秘密の花園よ!」
まるで歌うような抑揚をつけてマダムが発表しました。
葉子さんとマダムは手をとり合い、少女のようにキャッキャとはしゃぎました。
「これも楠木さんが?」
「そうなの。彼、何でも出来ちゃうのねぇ。食いっぱぐれない男よー。しかも独り身らしいわ。葉子さんどう?」
「もう、マダムったら、からかわないでください」
耳を真っ赤にする葉子さんを見て、マダムはウフフと満足そうに笑いましたが、それ以上冷やかすことはしませんでした。
◇
マダムはこの素敵なお庭に抱かれた洋館に、たったひとりで暮らしていました。
ご主人を早くに亡くし、子どももいません。マダムは相当な美人さんで、再婚話も続々舞い込んできたのですが、すべてお断りしました。大好きなご主人は、姿かたちこそ見えないけれど、ずっとマダムの胸の内に棲んでいるのです。
そんなマダムもこの夏で八十歳。ラベンダー色のサマードレスがよく似合う、エレガントなおばあちゃまになりました。
◇
しばらくすると、後ろからマダムを呼ぶ声が聞こえてきました。
噂のガーデナー、楠木さんです。
門の上から頭がひょっこり覗いていますね。細いフレームの眼鏡をかけ、知的な鼻筋の彼。しかし、シャツはちょっとくたびれて、白いものがチラつく頭にはクルンと寝ぐせが。
マダムは手を挙げて招き入れる仕草をしながら、「やっぱり彼には必要だわ」と、葉子さんの横顔を見ました。
呼ばれたのは自分だけだと思っていた葉子さん。動揺を隠しつつ、首に巻いたタオルをとって会釈しました。
「おはようございます、マダム。アブラムシの駆除が功を奏しましたね」
バラを見やりながら、楠木さんはにこにこ顔。
「やあ、葉子さん。今日はよろしく!」
楠木さんは、マダムのお家を挟んで葉子さんの花屋とは反対側の街でファームを営んでいます。主に花の苗と植木を扱う園芸店で、5年前、葉子さんが花屋をはじめた頃からいろいろ助けてもらっていました。
開店のときにはお花の仕入れから陳列まで手伝ってくれたのです。
葉子さんにとっては恩人であり、師匠のような存在でした。
「ルピナスにラベンダー、ゼラニウム、矢車菊、マリーゴールド…柏葉アジサイにアガパンサスも!美しいね」
葉子さんがケースにつめてきた鉢植や苗を見て、楠木さんがうんうん頷きます。
「とても素敵な庭になりそうだ!イメージが湧いてきたぞー」
「お茶の時間まで私はアシュリーの相手をしなくては…あとはふたりに任せていいわよね?」
アシュリーは、マダムの溺愛している茶トラで長毛の猫のこと。いまも外に出たくて居間の出窓をカリカリと引っ掻いています。
じゃ、と指先をヒラヒラさせ、マダムはワルツのステップを踏みながら行ってしまいました。
◇
残されたふたりは、早速シークレットガーデンの扉をくぐり、壁に囲まれた世界を見渡しました。
入口正面の奥には、ピンクのツルバラが絡まるアーチがあります。
「このツルバラは元々あったものですね」
「そうだね。マダムが一番大切にしているバラだよ」
楠木さんもたくさんのお花やグリーンを自分の軽トラから下ろし、運んできてくれました。
「どのように植えましょうか?」
「中央を貫く石畳とツルバラのアーチを残して、あとはとにかく花を溢れさせて、とのご要望だったな。葉子さん、自由に並べてごらん」
葉子さんは腕組みしてう~んと唸りました。
シークレットガーデンの壁は、人が両腕で優しく包み込むような、緩やかな楕円を描いています。
目をつむり、持ち寄ったお花達がどこに根を下ろしたがっているか、想像してみました。パズルのピースを嵌めてゆくように、それぞれが自分の席を選びます。
なるほど。よしっ!葉子さんはパッチリ目を開くと、頭の中の映像が薄れぬうちにシュパパパパッと鉢や苗を配置してゆきました。
その様子を、楠木さんは目を輝かせて見守っています。
「すごい!花のオーケストラだ!」
彼はまるで少年のような無邪気さ。楠木さんの言葉で葉子さんも少女に戻り、はにかんだ笑顔を覗かせました。
◇
植えてゆくそばから花達は水を欲し、その欲求を満たしてやると、今度は葉に載った雫でお手玉でもするのじゃないかしら?という機嫌の良さ。
花屋の葉子さんとガーデナー楠木さんは、腰を反らし汗を拭いました。
そしてグッドタイミングで、マダムがよく冷えたレモネードをふたりに持ってきてくれました。
「あら、まあ!もう完成したのね」
ぐるりと見回し、マダムはほうっと薔薇色の溜め息をつきました。
「なんという美しさなの…ありがとう!想像以上のお庭になったわ!」
◇
フランス窓のあるサンルームに案内され、ふたりはレモネードをゴクゴク飲み干しました。ミントの葉が浮かぶピッチャーからマダムがおかわりのレモネードをすかさず注いでくれます。
「ところでマダムはなぜ、シークレットガーデンを作ろうと思い立たれたのですか?」
葉子さんが質問しました。
洋館の前に広がるマダムご自慢のお庭は、そのままで十分美しく、完成された芸術でした。
ゆえに、このお庭のシンボルであるツルバラのアーチをわざわざ壁で囲んで隠すのはどうして?と葉子さんは不思議に思っていたのです。
するとマダムは戸惑い、そうねえ…まだ言ってなかったものね…とグラスの中のレモネードと氷をマドラーでくるくるかき回しました。
ずっとご機嫌だったマダムが言いよどむのを目の当たりにし、葉子さんは不安になって楠木さんを見ました。彼も異変に気づいたようで、そっとマダムの顔を覗き込んでいます。
「マダム?」
「あら、ごめんなさいね。何から話したら…でも、あれだけ素敵なシークレットガーデンを作ってくれたんですもの。あなた達には話しておかなくてはね」
となりの居間から猫のアシュリーがやって来て、マダムの膝の上に飛び乗りました。マダムはその豊かな毛並みを背中から撫でてやり、お鼻を指でチョンと触りました。
「あのシークレットガーデンはね、私の柩(ひつぎ)なの」
◇
マダムがお医者さまから余命宣告を受けたのは、およそ3ヶ月前のことでした。
胸が苦しくなることがあって、かかりつけのクリニックから海側の大きな病院を紹介され診てもらったそうです。心臓がかなり弱っていて、このままでは半年の命ですと宣告されたのだとか。
マダムは残りの日々は病院ではなく自分の家で過ごしたいと希望しました。
私が入院してしまったら、アシュリーの面倒はだれがみるの?お庭のバラは?頼れる親戚も子どももいないのに、おちおち病院のベッドで弱ってゆくのを待つなんて…。
アシュリーの次の飼い主を探して、お墓のこともちゃんとしないと。
マダムはできる限りのことをして、最後は自分にとっての理想的な人生の幕引きをしたいと考えました。
マダムは胸の内に棲む彼女のご主人に語りかけました。
「ねえ、あなた。もう少ししたらおそばにゆきますからね。また私たち、あちらの世界でも夫婦になりましょうね。
でも、私、おばあちゃんだわ。ううん、きっとあちらへ行ったら若い頃の姿に戻っているわよね。そういう融通はきくと思うの。神様って粋な計らいのできる方でしょ?
そうだわ、結婚式をするのはどう?私たちが誓いを立てたバラのアーチの下で、もう一度、永遠の愛を誓うの。ああ、またあのウェディングドレスを着る日が来るなんて!
そしてあなたとワルツを踊るのよ。いまでも鮮明に憶えているわ…花びらのようにふわりと翻るドレスの裾を、あなたが踏んづけちゃって、私、勢いで後ろに倒れるところだった。それをあなたが必死で受け止めてくれて。うふふ、間一髪だったわねー」
マダムは残りの日々をもっと素敵にしていこうと思いました。そして思いついたのが、あのシークレットガーデンだったのです。
たくさんのお花に囲まれながら、思い出のバラのアーチの下で誰の目も気にせずウェディングドレスに身を包み、天に召される。
あちらの世界へ行ったらすぐにご主人と二度目の結婚式を挙げるつもりです。
◇
「余命宣告を受けてよかったことはね、逆算して自分のやりたいことができるってこと。残りの人生、無駄なく目一杯楽しむつもりよ!」
すべてを話し、マダムは晴れ晴れとした表情でフゥッと一息つきました。
あまりのことに言葉も出ない葉子さんと楠木さん。
あのシークレットガーデンがマダムの柩だったなんて。もし事前にそのことを知っていたら、自分はどんな気持で花を準備したでしょうか。
「あなた達を騙そうとしたわけではないのよ。嫌な気分にさせてしまったらごめんなさい」
◇
マダムのシークレットガーデンを仕上げてから、葉子さんは花屋でお仕事しながらふとした瞬間に思うのです。
今頃マダムは黄色い壁に囲まれた夢の空間で、猫のアシュリーと戯れ、レモネードが入ったグラスを陽にかざし、ときに寝ころんで、ご主人が迎えにくるときを待っているのだろうか…と。
そして、数週間続いた梅雨が明け、晴れ間が覗いた午後。
葉子さんは市役所にある花壇の花の植え替えを終わらせた足で、山の上の洋館へと向かいました。なんとなく胸騒ぎをおぼえたからでした。
ひとりでは勇気がなく、車に乗る前、楠木さんに短くメールでマダムのお宅に訪問する旨を知らせておきました。
数分後、着いたはいいけれど、すっかり怖じ気づいてしまった葉子さんは、門の前で行ったり来たりしていました。
しばらくすると白い軽トラが到着し、楠木さんが降りてきました。
「楠木さん。お仕事中でしたか?私、あんなメールを…すみません」
「大丈夫だよ、片付けが終わったところだったから。マダムは?」
まだ呼び鈴を押していないと答えると、彼は門の上からお庭を覗きました。
「実はぼくもあれから何度かマダムを訪ねたんだ」
雨の日は開店休業状態なので、畑をやっているご近所さんから野菜をもらうと、楠木さんはお裾分けという名目でマダムの様子を見に行っていたのです。
「さすがに雨だと屋根のないお庭で過ごすのはむずかしいわね。だから私、雨の日には絶対に死なないと決めてるの」
そう、マダムは安心させるように冗談ぽく話していたそうです。だから晴れた日はよけいに心配になる。楠木さんも葉子さんと同じ不安を抱いていました。
呼び鈴を2、3回鳴らしても、応答はありませんでした。門から玄関まで行き、ドアをノックしながら呼びかけましたが、やはりマダムは現れません。
ふたりは顔を見合わせ、シークレットガーデンへと走りました。
意を決して、扉を開けると…
昨日までの雨の名残と久しぶりの陽光を浴びて、花々は生き生きと輝いています。
アーチに絡まるピンクのツルバラも、こぼれんばかりに咲き乱れ、神々しさをたたえた美しさ。
中央に設えたベンチには、純白のドレスを纏って横たわるマダムの姿がありました。
入口で固まり動けないでいるふたりの脚の間を、猫のアシュリーがフサフサのしっぽを立て、すり寄ってきました。
マダムは目を閉じ、背もたれに体をあずけたまま動きません。『マイ・フェア・レディ』でオードリー・ヘップバーンが被っていたような大きなつばの帽子のつくる陰のせいで顔が青白く見えます。
そんなマダムの口元は穏やかに微笑んでいました。
八十歳になるおばあさんとは思えないくらい、息をのむほどの美しいさだ。葉子さんはこんなときなのに、ツルバラと花達に抱かれ横たわるマダムについ見とれてしまいました。
次の瞬間、夢の世界をアシュリーが流星の如く横切り、マダムのお腹のあたりにピョピョーンと飛び乗りました。
「ひゃっ!」
驚いて声を上げたのは、葉子さんでも楠木さんでもありません。
なんと、さきほどまでピクリとも動かなかったマダムがびっくり飛び起きたではありませんか!
「ああ…アシュリー、あなただったの」
「マダム!」
「え?まあ、葉子さん?」
「マダム~!」
「あらま、楠木さんも?」
葉子さんと楠木さんは、泣きそうな笑顔でマダムに駆け寄りました。
◇
「夢を見ていたの」
シークレットガーデンの石畳で、長い胴体を伸ばしながら寝ている猫のアシュリーを囲んで座る三人。
「彼も私も若いときの姿だったわ。そしてふたり、バラの下でワルツを踊ったの」
マダムが愛おしそうにツルバラのほうを振り返りました。
「今度こそドレスの裾は踏まなかったわ、あの人。
ちょうどダンスが終わってお辞儀をしたところで映像がぐにゃっとしてね、目覚めたらあなた達がいたのよ」
心配してくれてありがとう、とマダムは睫毛を伏せて会釈しました。
今日の午前中、マダムは病院に検査結果を聴きに行ったそうです。
「ひとまずは大丈夫でしょう。ですって」
シークレットガーデンが完成してからというもの、外で穏やかに過ごす時間が長くなったマダム。
そしてアシュリーを代わりに飼ってくれる先もなかなか決まりません。
「いいえ、ただ“飼える”条件があるってだけではダメ。我が子として愛してくれなきゃ。心の底から相手を信用できて納得するまで、この子を誰かに引き渡すことなどできないわ!
それに、せっかくあなた達が作ってくれたガーデンだって、私が死んだら壊されてしまうかもしれないでしょ?
そう考えるようになったからかしら。生き甲斐とか、何かを守りたい想いに生かされた気がするの。もちろん、私は幸運でもあったんでしょうけど」
そうしみじみ口にするマダムの頬が、傾きかけた陽に照らされていました。
シークレットガーデンを囲む石の壁は、心地好い光と風だけを選んで招き入れ、マダムを優しく包むのでした。
◇
「葉子さん、ちょっとぼくのファームに寄る時間あるかな?」
「はい。あとは帰るだけですから」
楠木さんはいつもよりゆっくり軽トラを走らせ、 葉子さんの車と信号ではぐれないように気をつけてくれました。
彼のファームへの行き方はわかっていましたが、葉子さんはカルガモのヒナのように一生懸命軽トラについて行きました。
ファームに着くと、早速彼は、ビニルハウスの脇に置いた荷車から苗を2つ取り出して来ました。
「これ、フェリシアというツルバラの苗」
「ひょっとして、マダムのシークレットガーデンの…」
「そう。アーチになっていたピンクのツルバラと同じものだよ」
「憶えていてくれたんですか?」
ひと月前、一緒に花を植えながら、いつか自分のお庭にもバラのアーチをつくるのが夢だと葉子さんが口にしたのを、彼はずっと頭に留め置いていてくれたんですね。
「もっと早く渡したかったんだけど…キミの予定もあるだろうし…」
「うれしいです!」
「ほ、ほんと?」
「私もいつかマダムのように、自分の思い描く理想のお庭が作りたいんです」
「うん。葉子さんは魔法の手をもっているからね。きっと素敵な庭が出来るよ。でも…」
「?」
「でも、ぼくが手伝う余地も、少し残しておいてくれたら、うれしいな」
「え?」
楠木さんは照れ隠しに眼鏡を外して手拭いで拭きはじめました。
そんな彼の横顔を見て、あ…意外と睫毛長い。と眺める彼女。
そこへ、“おいおい、お二人さーん!”と夜風が吹き抜けてゆきました。
ハッとした葉子さんの耳が赤く染まったところで、このお話はひとまずおしまいです。
では、またいつか。
◯
最後までおつき合いいただき、ありがとうございました🍀
分けずに一気に書いてしまい、巻物級の長さに😹
ちょっとずつでも読んでいただけたなら幸いです。