ココア屋と魔法の処方箋 【物語】
暦のうえではもう秋だというのに、ココア屋には一向にお客が来ない。
夏の間も酷暑酷暑の酷暑続きで、日中の人出が減少。夕方過ぎても暑さはおさまらず、ただでさえ少なくなった人の流れは、両隣のマックとスタバへ吸い込まれていった。
マックシェイクとフラペチーノを毎日交互にテイクアウトし、それをわざわざココア屋へ持ち込んで涼みに来ていた、姉で占い師で魔女の末裔の若山ジュリエットは、こう語る。
「昨年は冷やしココアでなんとか乗りきったけど、今年の暑さは異常よ。思いきってココア氷をやればよかったんだわ」
ココア屋マスター(ガラスの50代)は、自分の淹れるココアには絶対の自信とプライドをもっている。これまで崩そうとしなかったこだわりのルーティーンを曲げてまで渋々はじめた冷やしココアだったのに、今年の夏は店に来るお客自体が激減してしまった。とはいえ、普段でも客の入りは決して良いわけではないのだが。
カウンターで項垂れるマスターに追い打ちをかける、あの足音が聞こえてきた。コツコツコツコツ……。いやでも背筋が伸びる。
慌てて彼女の入場曲である『わがままジュリエット』(BOØWY)の曲をレコードでかけたが間に合わず。姉がココア屋の扉を開いたときにはまだイントロの部分が流れていた。
「あんたが氷室の歌い出しより先に『泣き顔でスマイル』すなっ!💢」
何をしても怒られるし、何もしなくても怒られる。そういう役回りである。
「今日もお客は来ていないようね」
「そういう姉さんはどうなんだい?百貨店の占いコーナーなんて、この暑さじゃわざわざ人は来ないだろう?」
めずらしく切り返してきた弟に驚いた顔をしたあと、ジュリエットはフッと微笑んだ。「ほう、ほう、ほう」とサンタさんのようにほうほう頷き、ますます口角が上がるが、見開いたその目は笑っていない。
「こちとら、昼過ぎだけで3人の悩める主婦を占ってきたわ。なんなら午前中、百貨店の催事場で講演会もこなしてきたわ。並べられたパイプ椅子はすべて満席。立ち見も出たけど。あんたの方はどうしてたの?うん?」
勝てるはずのない相手に闘いを挑むと、このようなしっぺ返しを食らう。
つつつーーっ ピタッ)) ☕
カウンターの向こうで撃沈したマスターは、早々に白旗を挙げて、姉のために冷やしココアを流した。
流した、というのは書き間違いではない。冷やしココアの入ったグラスをカウンターテーブルの木目を読んでスライディングさせ、寸分の狂いなくジュリエットの座った目の前へと流したのである。
これはマスターの数少ない特技であり、こだわりのルーティーン。このテーブルの木目の上を滑らせることによって、ココアに『ホッとするおまじない』と『元気が出るおまじない』がかけられる。お客さまへのささやかなギフトである。
おや?そういえば、いつもなら弟への戒めと当てつけという名目で、マックかスタバでテイクアウトした商品をガサゴソ取り出す姉が、今日は何も持ち込んでいない様子。
マスターの作った冷やしココアのグラスを取り、てっぺんにあるバニラアイスにサッと手をかざした。
ホットココアでは、バニラアイスではなくマシマロがオマケで付いてくる。
マシマロにも、魔女の末裔である若山ジュリエットのとっておきの魔法が仕掛けられている。
縁あってこの隠れた名店に迷い込んだお客のため、それらには、『一歩踏み出すキッカケのおまじない』がかけられていて、彼らがそれを飲み干したあとには何かしらの素敵な展開が起こるのだ。
「姉さん、ひょっとしてお疲れかい?いま、バニラアイスに何かしたよね?」
「あんたも目ざといわね」
姉に叱られないためにも、姉の顔色や言動の変化には敏感になっておく必要があるからだ。だが、ほとんどの場合、見逃す。
「いえね、私の占いコーナーにいつも足を運んでくれるお客さんがいてね。2ヶ月に一度のペースで来てくれていたんだけど、もう半年ほど顔見てないのよね」
「何かあったのかな?」
「最後に鑑定したときちょっと不安がよぎったのを思い出してね。そしたら気になって気になって、怖くなってきちゃって」
へえ、向かうところ敵なしの姉さんにも怖いという感情があったんだ。と、声に出したらきっと怒られるので、マスターは頭の中で呟いた。
「何かもっとかけられる言葉があったかもしれないし、占い中に魔法はかけられないけれど、お守りになりそうなものを渡せたかもしれなかったのに。私、その日の彼女との別れ際がよく思い出せないのよ」
☕
聞くと、その占いに来る常連のお客さんは主婦で、夜はファミレスでパートをしているのだそうだ。夫からは子どもはいらないと言われ、姑からは孫ができないなら息子と離縁してくれと迫られていた。元はといえば、この夫の母親に毎月相当額の生活費を渡すために、子どもはお金がかかるから諦めてくれと告げられたのだとか。
また一方で、他県にある実家の親の介護に通い、子どもがいないからと、諸々の費用はすべて彼女が負担していた。実家の近くに住む長男夫婦からの助けは一切なかったらしい。
実家からの帰りに姑の家で夕飯を作り、そのあと家でも夫に夕飯を拵え、パートへ出かけた。
仕事のないときに彼女はジュリエットのところで占ってもらっていたが、占いというよりも、ただ話を聞いてほしいという感じだった。
「ストレス溜めたくないから、ときどき夫に文句言ってしまうんです。それが、可愛くないって言われるんでしょうね。休みの日は別々に過ごすし、家族って何なんだろう?」
この先の展望を視てみましょうね、とジュリエットが占おうとすると、「先生、私の望む未来は来ないってわかっています。考えただけであまりに身勝手で、不道徳なんですもの」と断られた。
それはあなたの周りの人たちでは?と出かかったが、自分の感想をはさむより、お金を払って貴重な時間をここで過ごそうとしてくれる彼女に、できるだけ鑑定時間内は彼女の好きなこと吐き出したいことを話してもらうのがよいと思った。
☕
「魔女なんて、現代社会においては無力なものよ。シンデレラの魔法使いみたいに、彼女の人生をガラリと変えてあげることもできない」
「まじないのマシマロを持たせてあげたらよかったんじゃ?」
「それはここの魔法。ココア屋での魔法よ。うちの魔法には時代や空間の雰囲気との相性もあるの。百貨店の占いコーナーじゃ、相手の手に触れて、話を聞いて、アドバイスするのがせいぜいね。それをお客さんが行動に移すかどうかは、委ねるしかない」
ちょっと気持が落ち着いたわ、とめずらしく姉からお礼を言われたマスターだったが、弟としては心配だった。仕事場に戻るジュリエットの背中が、いつもより小さく見えたから。
☕
ジュリエットが去ったわずか半時間後、聞き慣れない足音が廊下に響いてきた。まさか、新規のお客さんが?と、マスターの鋭い視線が扉に向けられる。
カランコロンとドアベルが鳴り、喪服姿の女性が一番端の席に腰かけた。
「いらっしゃい」
つつつーーーっ ピタッ))☕
カウンターの奥から向こうへ、久々の最長コースを寸分の狂いなくココアのカップ&ソーサーが流れて止まる。
おおお!めっちゃ緊張した!
お客さんにココア流すのすんごい久しぶりだったから、腕が鈍ってたらどうしようって、めっちゃ力入ったよ~!
そこまでのセンテンスを瞬時に脳内に巡らせ、マスターはありったけのダンディズムを含んだ声で言った。
「うちの店、ココアしか提供しておりません」
うおぉぉ~!これも久々に言えたわ~!🥺✨️
ココア屋マスター渾身の決めゼリフに、お客さんはやや戸惑いながら会釈し、そっと一口啜った。「あ、美味しい」と表情が和らぐ。とはいえ、ずいぶんと疲れた様子だった。
「失礼ですが、どなたか……?」
「え?ああ、すみません、こんな格好でお店に入ってしまって。友人の告別式に参列した帰りなんです」
「ご友人が…それは、ご愁傷さまでした」
マスターは少しでもリラックスしてもらえるようにと、マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』(間奏曲)のレコードをかけた。
「美しい曲ですね」と、目を閉じた女性の目には涙が滲んでいた。
「今日は私の命日でもあるんです」
「……?それは、どういう意味ですか?」
ゾクッとした。まさか、変なことを考えてはいないかと不安になるマスター。しかし、その女性はこう続けた。
「すみません。誤解を招く言い方でしたね。命を絶とうとか、そういうことではありません」
「ではなぜ、今日があなたの命日だなんて」
すぐには答えず、彼女はココアを一口飲んだ。
「亡くなった友人は、高校時代の同級生だったんです。まだ40代で、お子さんは中学生と小学生の女の子がふたり。新しいお家に引っ越したばかりでした。念願のワンちゃんも飼いはじめて、夢の新生活がこれからはじまるってときだったのに……」
「それはお気の毒に」
「私、彼女のことが羨ましかったんです。理想の家庭を持つ幸せな人だって。でも、彼女は死んでしまった。
運命だなんて言いたくないですが、誰にでも抗えない目には見えない煙のようなものが纏わりついているのかもしれない。と、怖くなりました」
指先をカップ温めながら、彼女は揺れるココアの水面を見つめた。
「私、人生は長い長いトンネルのようだと思っていたんです。気が遠くなるほど長くて暗くて……でも、もっとツラい思いをしている方達はたくさんいるのだから、安易に我が身を嘆いてはいけないと思っていました。でも、とてもやりきれなかった。
暗くて長いトンネルの先に突然穴が現れて、ストーンと落ちてしまう。それが私の人生の終わり方だって想像していました」
一体、この女性に何があったのだろう。マスターは身じろぎするのも忘れ、次の言葉を待った。
「そんなとき、友人の訃報を知らされて、今日、葬儀に参列していてね、とても不謹慎なんだけど、目の前がサァーっと拓けていった思いがしたんです。
まだまだ若いし先のことだと思っていたのに、『死』が、同い年の友人の身に実際起きるなんて、という衝撃からでした。
ああ、人生のエンドロールって、不運の真っ只中でも、幸せの絶頂にいても、それが決められた寿命ならばおかまいなしに訪れてしまうんだわって、愕然としたんですよね」
マスターはマシマロの入った器を用意し、祈りを込めた。
「昨日までの私は死にました。自分の心は自分の意思で何度でも生まれ変わるんだって思いたいし、周りの状況は変えられないけれど、私の人生の持ち主は私ですもの」
つつつーーーっ ピタッ))
「サービスのマシマロです。ココアに入れてお召し上がりください」
「……あ、ありがとうございます」
唐突に話を切られ、やや面食らいながらも、彼女は素直にマシマロをカップへと投入した。程よく溶けた頃合いで口に運ぶと、彼女の頬に赤みがさしてきた。
「実は今日、こちらへおじゃましたのはね、ある方からココア屋さんを紹介してもらったからなんです」
そう言って、彼女はハンドバッグから名刺サイズのショップカードを取り出し、マスターに見せた。はて?ショップカードなんていつ作ったかしら?と首をかしげるマスター。
カードには、『ココア屋』○○駅前ロータリー、マックとスタバの間のサフラン色の扉を開けて奥へ、とだけ書かれていた。裏面には紫のバラのシールが貼ってある。
「ここへ行って、ココアでひと息ついてらっしゃいって。教えていただいたんです。
すぐ行く気にはなれなかったのですが、今日やっと勇気を出して扉を開けました」
「あの……このカードをあなたに渡した人って……」
口髭を震わせ、マスターが魚のように口をパクパクさせている。
「これからその人のところへ行くつもりです。ここから近いし、話したいことたくさんあるので」
ココアを飲み干すと、喪服姿の女性はお金をカウンターテーブルにコトンと置き、「ご馳走さまでした」とマスターに会釈した。
廊下に響く靴音が、心なしか来るときより力強く感じられた。
「姉さん。あなたの魔法、ちゃんと届いてましたよ」
マスターはマシマロをポーンと真上に放り、口を開けて受けようとした。が、それは大きく外れてカウンターの上に不時着した。
すかさずそこへ姿を現すこびとのコーチョレホトットさんとおふたりさん。
「食べ物で遊んじゃいけないんだトット」
「わぁーい!マシマロのクッションだぁー🎵」
やはりこのココア屋には魔法が宿っている。
~ fin ~
長めの物語を最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀
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