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梅林マン【物語】

 「この梅林には、梅仙人が現れる」と数年前から噂を聞くようになったのだが、この町にそんな言い伝えはなく、私も信じてはいなかった。
 仙人というワードから、白い髭をたくわえ白い衣を纏い、湖池屋スコーンをでっかくしたような杖を持ったお爺さんというビジュアルを想像してみた。いや、信じてはいないが。

 で、梅仙人を見た人がいるのかというと、噂だけが独り歩きしているようで、実際仙人を目撃した人は私の知るかぎりこの町にはいない。
 では、誰がこんな噂を広めたのだろう? 町役場の観光推進課が町起こしのためにデマを流したのか? ならばデマにならぬようにゆるキャラとして仙人を実体化してもいいようなものだけど。では、この町の住人でない者が目撃したのか? しかし、ネットで検索しても「梅仙人」はヒットしない。

 もはや誰が噂していたのかもわからないし、私の記憶違いか夢ででも見たのか。と、噂自体が幻であったかのように思われてきた。

 が、いま私の目の前にいる男は、一点の曇りもないまなこで私を見つめ、「梅仙人」を名乗っている。


 平日の昼。梅の花もそろそろ終わる頃かしら、といつもの散歩道からさらに足を延ばし、梅林を訪れた。人はまばらで、茶店や出店も閉まっていた。
 週末に開催される梅まつりも残るところあと一週。暖冬で梅の開花が早まったし、それまで花は残っているだろうか。きっと、私の好きなロウバイの香りも嗅ぎ納めだ。すでに茶色い実がポコポコと成っている。

 そうだ、たしか遅咲きの梅が集まるエリアが向こうにあったはず。思い出して梅林の奥へ足を踏み入れると、そこにはビビッドなピンクのカバーに覆われた「さつまスティック」の露店がポツンと佇んでいた。

 休日になれば、ここにも人の列ができるのだろう。
 この辺りは白梅が植わっているのか。ロウバイとはまた違う澄んだ香りを、緩やかな風が運んでくる。 

 ベンチを探しにさつまスティックの露店の前を通りすぎようとしたそのとき。突然、何者かに呼びかけられた。

「やあ!」

 辺りを見回せど人影はなし。
 おかしいなと首をかしげてまた歩き出そうとすると、すぐ横で、にゅっという気配がした。
 イリュージョン? さつまスティックのピンクカバーの後ろから、男が現れた。

「……………」
「待って、無視しないで」
「……………」
「お願いだから、スルーしないで」

 とても怪しい。鳥肌がうなじまでのぼってくる。だが、顔や声の雰囲気が思いの外いい人そうで、無碍むげにはできなかった。

「私に何かご用でしょうか?」
「梅仙人です」
「……やはり失礼いたします」
「待って待って!僕のこと憶えてない?」
「はい?」

 梅林はナンパに適した場所とは思えないが、梅仙人を語って人の好奇心をかき立て、引き止めようという手口だろうか。だがしかし、改めて彼の顔を見てみると、だんだんと会ったことなくもないような気がしてきた。

「僕は……」
「あ、ちょっと待って!思い出せるかもしれない。自分で答えたい!」

 綺麗な茶色い瞳。色素薄めの自然な茶髪。スラリとした体つき。優しいハスキーボイス。野山を愛する人。

「ひょっとして、梅村くん?」
「なはっ! うれしい。思い出してくれた?」
「え、高校卒業以来だよね。十五年ぶり?」
「もうそんなかぁ」

 年を重ねた彼は、高校時代の色白な肌はそのままに、薄すら皺が刻まれやや頬がこけていた。

「いま仕事は何してるの?」
「だから、梅仙人」
「そういうのいいから」
「……梅、仙、人」
「梅村くん、そんなキャラだったっけ?」

 実は当時、私は彼に恋していた。梅村くんはシャイだけど、私とはよく会話してくれて、それが特別な気がしてすごくうれしかったのだ。ユーモアセンスもゼロとは言わないが、こんなしょーもないこと言うタイプではなかったと思う。

「僕ね、ここ数年は、この時期にこの梅林にいるんだ」
「もしかして、さつまスティック売ってるの?」
「いんや、ここから登場したら面白いかなって」
「突然出てきたから驚いたわ」
「僕も、ついに宇田川さんに会えたぞって驚いた」
「ん?」
「なぜだかこの梅林と宇田川さんのことしか思い出せなかったんだよね」
「どういうこと?」
「見て、これ」

 彼はフリースジャケットの胸ポケットにあるジップを開け、何かを取り出した。手のひらに載せてこちらへ見せる。水色のフェルト生地で作られたマスコットのような……。いや、ちょっと待てよ。見覚えあるぞ。紅色の糸で梅の花が刺繍してある。

「こ、これは」
「宇田川さんが卒業前のバレンタインに僕にくれた御守り」

 わわわ……思い出した! 高校の帰り道、この梅林で梅村くんにチョコと一緒に手作りの御守りを渡したのだ。うわぁ、懐かしいな。そんでもって下っ手くそな刺繍。

「よく取っておいてくれてたね」
「そりゃ、うれしかったからさあ。御守りだし、肌身はなさず持っていたよ」
「なんか、ごめんなさい。ちゃんとした御守りじゃないのに」
「ううん、おかげで命が助かった」
「そんな大袈裟な」
「いや、本当本当。三年前、旅先で谷へ足を滑らせて落ちたときも奇跡的に助かってさ」
「えっ? そんな大変な目に遭っていたの?」
「うん、怪我はすっかり治ったんだけど、記憶の方がね……」

 梅村くんはさつまスティックの台に上半身をあずけ、その事故のことを語り出した。

 彼自身は、なぜその谷を訪れたかは記憶にないと言っていたが、彼は高校生の頃も野山をめぐるのが趣味であったので、私はごく自然にそのシチュエーションを思い浮かべることができた。

 とにかく、とある谷で滑落した梅村くんは、山菜採りに来ていた地元の人に助けられ、一命を取り留めた。が、事故の際、頭を強く打ったせいでほとんどの記憶をなくしていた。
 所持品は見つからず、唯一の手がかりはポケットにあったあの手作りの御守りだけだった。彼の記憶に辛うじて残っていたのも、この御守りにまつわる梅林の風景と、私のことだけだったのだそうだ。

「いま、巫女のトミ子婆さんがご祈祷してくれていてね。こうしてこの場所に姿を現すことができているんだよ」
「待って、どういうこと? 梅村くん、大丈夫?」
「そうそう、自分の名前も『梅』までしか憶えていなかったけど、不思議と宇田川さんの顔と名前と、きみと過ごした高校最後の冬は憶えていたんだよな」
「わわっ」

 そんな馬鹿な。梅村くんの輪郭が不自然なまでにボヤけて見える。

「トミ子婆さんのパワーもそう長く続かない。でも、宇田川さんのおかげで僕の名前が『梅村』だということがわかったよ。ありがとう。そうだ、あと、そこが何県の何市何町なのか教えてほしいんだけど」

「ここは、○○県の梅園天神町だよ。市じゃなくて、町よ。駅名にもなっているでしょ」
「へえ、そうなんだね」
「ねえ、梅村くんの言ってること、さっきからチンプンカンプンなんだけど!」

 そう言っている間にも、彼の体は所々霞がかかったように白くなってゆく。

「ほらね? 仙人ぽいだろ」
「にこにこしてる場合じゃないってば! 説明してよ。何なの? この状況は」

「僕の体は別の場所にいる。いまは助けてもらった村の人達にお世話になっているんだ。どうにかして自分にまつわることを見つけられるようにと、この三年、僕の記憶にある梅林の時期に合わせて特別なご祈祷をしてもらっていたんだよ。村の巫女トミ子婆さんの能力で、その間だけ僕の意識は記憶のなかの梅林に行ける」

「警察には届けなかったの?」

「何せ僕本人に記憶がないからお手上げでね。トミ子婆さんだけが頼みの綱だったのさ。とはいえご高齢だから、年に一度のご祈祷が限界で。でも、すごい幸運だ! 唯一僕の憶えていた宇田川さんにめぐり逢えたんだから」

「ああ、やだ。嘘でしょ……消えちゃうの?」
「大丈夫。死ぬわけじゃない。近いうちまた会えるよ」
「忘れないで。あなたの名前は梅村くんで、ここは梅園天神町の梅林よ!」
「うん、もう覚えた。梅仙人の名に恥じぬ梅梅づくしっぷりだ。宇田川さん、そっちへ帰ったらまた会えるかな?」
「それより、消えちゃう前に念のため復唱して! ここは梅園天神町で、あなたは梅むら……梅村くん?」

 気がつくと、私はピンクのカバーに覆われたさつまスティックの台に突っ伏していた。
 

 梅仙人の正体見たり。それはかつての想い人。


 結局、あれはぜんぶ夢だったのだろうか?
 清らかな梅の香りが、風に乗って通りすぎる。梅林を振り返ると、白、紅、薄紅色の花が青空に浮き上がり、そのコントラストがファンタジーにも現実にも思えてきて、さらに私を惑わせた。

 それにしても梅村くん、十五年間もあの御守りを持っていてくれたんだ。不恰好な梅の花の刺繍を思い出し、ムズムズ口角が上がってくる。

「そうなんだー。ふうん、そうなんだー!」

 驚いたヒヨドリが、ピチイーッと怒ったようにひと鳴きして枝から飛び立つ。

 いまどこにいるかもわからないが、また会おうって言っていた。そしたら、一緒にさつまスティック食べたいな。
 噂の梅仙人と、思い出の梅林で。

~おわり~


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀


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