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ヨシコ屋敷のこどもたち。

ところで私には甥が1人いる。15歳、あだ名は「チャミィ」。彼のもつ独特の「おかしみ」を全力で表現した良いネーミングだと思う。笑いながら産まれてきたことが、あらゆる医療関係者を「生物学的に理解できない」と悩ませもしたが、チャミィはその始まりにふさわしい微笑ましい在り様で、そして、飄々としたおかしみで、私たちを幸せにしてくれる。

彼には「発達性協調運動障がい(DCD)」という特徴がある。だから、多くの子供が疑問なく自然とこなしてゆくことが彼にとっては困難で、その為に苦労をすることも多かった。それでも、持ち前の「静かなのんびりさ」で、彼は少しずつ、世界を獲得している。「人並」のスピードでなくても、カッコよく大活躍しなくても、自分の特徴を知ってトライする。あくまで、自分のペースで。

たとえ心なく茶化されたり、けなされたりしても、彼はたいていの場合、それを静かに受け止めた。端で見守る大人の方が感情的になる場面でも、チャミィは「彼である」ことから決して離れなかったし、自分を卑下もしなかった。もちろん、傷ついていただろうし、それなりに強い眼差しを対象に向けることもあったが、彼の中には、とても素敵な「すぐれもの」が育っていた。

それは「他と違う」からこそ、彼が獲得したかもしれない感覚。信念。

「自分と他人は異なる存在。自分は自分、他人は他人。この世界のすべては、異なっていて当たり前。だから、違うことを嫌悪しない。ただ、まずは『そうなのだね』とうけとめる」。

泣いたこともある、折れそうになったこともある。大人が感知している以上の仄暗さに足を踏み入れたことだってあるだろう。だけど15年間、彼は一度も、何ものかに「のまれて」しまったことがなかった。暗闇でも自分の灯火を消さずに信じてきたのだと思う。彼の本名には「ろうそくのように、内側から外側に強く明るく放つ光」という意味をもつ漢字が組み込まれている。その名のもとに、彼は彼を生きている。

ところがどっこい、我々たかが人間の生活は、そんな綺麗ごとだけでは成立しない。チャミィは不思議な子だねとか、ドンとしてるね(ガリガリだけど!)とか、何だか笑顔にさせられる子だねとか、いいねぇ~チャミィはいい!とか、彼をとても愛して下さる方々にも恵まれて、あたたかさにも育まれて生きているけれど。とにかく一筋縄ではゆかない。自分の時間軸と世界観で生きることをモットーとしているわりには、よくぞ学校という異空間を楽しく過ごせていることよ!と、その奇跡に感謝もするし、ある程度、空気に自分をなじませているのなら、それなりの試練もひそかにこなしているのだろう。しかし、そういったアレコレを差し引きしても、ついに大人の堪忍袋が大開封される瞬間は、やってくる。

つい先日。ヨシコが旅立つ、ほんの数日前。母である妹の袋がついに開封された。チャミィは15歳、花の受験生である。その日、学校では進路説明会が開催されていた。妹はそれを、ヤツが帰宅してしばらくのち、何気に床に落としていた封書を開いて知った。説明会は勿論、とっくに終了。

この手のことは彼の日常では多発案件である。その都度、妹はよくこらえ、おおらかに見守ってきたと思う(私ならとうに♪帝国のマーチ♪を流すところを、本当にあの人はジックリ見届ける人だと感心する)。しかし、内容が内容だけに、今回ばかりは隕石がチャミィ星を直撃した。滅多に流れてこないだけに、強烈なヤツが…。

それでも、しばし涙して机の周りを片付ける姿が確認されたのち、特に何事もなかったかのように、チャミィの朝はやって来た(笑)どこまで隕石説教が届いたのか、直撃したはずの妹さえ煙に巻かれたまま、私たちはヨシコの訃報を受け取った。

ヨシコを送って幾夜目だったろう。母・妹・チャミィ・私の4人は、ヨシコの思い出を語り合っていた。そのうち、亡くなった私の従姉兄たちと伯母についての話題になった。彼らはある出来事により、私が生まれる前に逝去してしまった。母にとっても、結婚直後に、まだ小学生だった2人を遊びに連れていった記憶が唯一のものだという。母は子供好きの人だから、さぞかし楽しい時間を互いに過ごしたはずなのだが、私が彼らについてたずねても、母はどこかボンヤリとした霧の向こうに答えを探しているような様子をしていた。

彼らの母親、つまりはヨシコにとり嫁であったその人を、ヨシコはとても大切にしていた。あのヨシコが心を許し、新幹線に乗ってまで頻繁に訪ねていたというのだから、とてもやさしく賢明で、ヨシコを包み込める何かをもった女性だったのだと思う。「おばあちゃんも、3人に会えるかな」と私は呟いた。すると、黙って聴いていたチャミィが「それって、誰なん?」とたずねてきたのだ。だから、私は満を持しての心持ちで、とある思い出話を持ち出した。

私「あんた、ほら!幼稚園あがる前くらいにさ、不思議なことあったやろ!車のお兄ちゃんやん!」

チャミィ「ああ!あのお兄ちゃんか!!!」

そのノリで「あれは不思議やったよな~」と語り出した私たち。ところが、母と妹がキョトンと鳩豆顔で私たちの会話を聞いている。え??

私「…あれやで、チャミィに白い車、くれたやん? T君(従兄)」

母「ああ、おばあちゃんがやろ?」妹「T君の遊んでた車じゃよ、てな?」

はい?????? 一転、2羽の鳩と化す、チャミィと私。

微妙な空気が流れ、私は少し怖くなりながら、あの日を語り出した。

その日、私たちはヨシコ宅を訪れていた。ヨシコ宅は平屋で、廊下を伝えばグルリと一周できる建築になっている。祖父が存命の頃より、畳の目の1つ1つにまでヨシコの采配が行き渡った、堅固なヨシコ屋敷であった。大人が談笑する間、ヒマになったチャミィは「探検ちてくる!!」と可愛らしく宣言して、トテトテと奥の部屋へと歩き出した。階段もない、ましてやチリの一つも落ちていないヨシコ屋敷には何のトラップもなく、私も行っといで~!と見送った。

しばらくして、ふと彼の存在を思い出した私が、はて、どこに?と、渡り廊下を覗いてみると、ちょうど満面の笑みでチャミィが戻ってくるところだった。どこ行ってたん?「奥のお部屋~」とニコニコする彼の手には、見た事のない白いミニカーが握られていた。

私「あんた、これどうしたん?どこにあったん?」チャ「お部屋で、お兄ちゃんにもらった~!」

私「(え???)お兄ちゃん???」何となくゾクリとしていると、そこへヨシコが顔を出した。そして、アッ!と声を上げたのだ。あんた、それ、どうしたの!!

オウムのように同じ答えを繰り出したチャミィの手に握られた車を、ヨシコはそっと取り上げた。叱られる??そう思ったけれど、ヨシコは何かに堪えるようにチャミィに語り掛けた。

ヨシコ「これ、Tちゃんていうお兄ちゃんが、ここへ来た時に遊んどった車よ。あの子も車が好きやったから、これ、チャミィちゃんにくれたんよ。持って帰り」。ニコニコ、コクコクと頷くチャミィを尻目に、私は多分、ポカンと口を開けていたと思う。そんな私にヨシコは言った。「棚の奥にしまってあったんよ。あんなとこ、誰ものぞかんし、この子の手が届くワケがない。これは、Tがチャミィにやったんじゃ」。超現実主義のヨシコが、少し震えて、目尻が光っていた。私の中から怖さは消えて、何とも言えない切なさが広がっていった。

その光景を、母も妹も見ていたはずなのだ。お兄ちゃんにもろたの~♬とその後チャミィは妹の膝に乗りながらルンルン報告していたから、間違いないのだ。そのことが、2人の記憶からスッカリ抜け落ちていることに私は慄いた。チャミィは、ハッキリと(舌足らずながらも)語っていたのだ。

「探検してたらね、お兄ちゃんがきた。くるま、しゅき?って聞いたから、しゅき!トラックもタクシーもパトカーもしゅき!って言うた。そしたら、僕もしゅきだから、これあげる。シューパーカーだよって、くれた」

そして、古びた白いスーパーカーは、その日からチャミィの膨大な車コレクションの一つになった。

しかし、今おもえば、これだけの不思議事件に、その時、残りの2人が驚かなかったことこそ不自然だったのだ。けれど、私もそれを意識しなかった。あの日について改めて語り、ええ!!!ほんまに???と驚愕する2人に、いつになく真剣にチャミィが答えた。「絶対ほんまや。僕はあの日もっていった自分の車も覚えてる。赤いハイパーレスキュー、それを走らせながら部屋に入って遊んでたら、いつのまにかお兄ちゃんが立ってたんや。いま話を聞くまではT君らのことをわかってなかったから、きっとあの日、そこに他の親戚もいてて、その中のお兄ちゃんやったんやと思ってた。けど、そうじゃなかったんや、やっぱり・・・だって、その後、幼稚園とかになってから、僕、あの家がちょっと怖かったんや。あの部屋が、とくに」

しばらく、それぞれにしんみりとしたのち、私は、妻子を失った伯父が、小学生になったチャミィと対面したときの様子を思い出した。母方祖母の葬儀であったにも関わらず、叔父はチャミィを見るなり息をのみ、目を真っ赤にさせて「○○(本名)君か~!!!大きくなって!!」と大声を出したあと、ずっとチャミィを側から離さなかった。待機時間には、共に何枚もお絵かきをし、チャミィのすべてをほめたたえ、あげくは馬になって部屋中を這いまわっていた。葬式を終えて帰る際には、腰をかがめて頭を撫で、やっぱり赤い目で何度も「絶対、東京に遊びにおいで!おじちゃんがディズニーでもどこでも連れていってあげるから!待ってるから」と、ぎゅっと手を握りしめて、何度も振り返りながら帰っていった。

そのことを私が語ると、母がアッと声をあげた。なんで私、こんなこと忘れてしまってたんやろう!と。そこから母は、まるで封印が解かれたように、ヨシコから聞いた従姉弟の話、伯母の話を語り出した。特にT君について。知りたがり屋で不思議と周囲の人に愛されて、虫博士でもあって、ちょっとどんくさくて突拍子がなくて。そんなT君に翻弄されながらも、伯母がノビノビと彼を育もうとしていたこと。そして何より「きっとあのままT君が成長してたら、あの子、チャミィにすごく似た顔してたはずなんよ!なんで私、今まで散々チャミィと生きてきて、それに気付かんかったんやろ!」。

だから伯父は、あれほどチャミィを放さなかったのだ。息子と過ごした時間が、あの日、伯父の中で突如たちあがったから。

そして、妹が静かにつづけた。

「いま、よくわかった。こないだ、チャミィに説教したあと、私の中にモヤモヤしてたことを、T君が教えてくれたわ。チャミィと自分はとてもよく似ていたり、共感するところがあるんやって。それで、T君には叶えたかった夢があって、チャミィにもきっと、自分の夢を叶えて欲しいと思ってくれてるんやと思う。チャミィを信じてやってほしいって。応援してくれてる…」

その間、当のチャミィは、またじっと黙っていた。私はふと、彼の好きな曲を思い出した。「なあ、あれって、まさにT君とチャミィにピッタリの曲じゃない?」。しばらく沈黙をつづけたあと、頷きながら彼は言った。「そうや。あれは、僕らの唄や」。

まだ怖い?そのあと、私が尋ねたら、チャミィはニッコリして首を振り「もう怖くない。あの子はT君やし、T君は友達でもあるし、お兄ちゃんでもあるしな」。そして、照れているような、感じ入っているような、ちょっと誇らしいような、そんな顔でニヤッと笑った。

一人っ子のあんたに、お兄ちゃんができたね。ちょっと不思議なお友達でもあるね。何も起きなければ、何度もあのヨシコ屋敷で顔を合わせたことだろう。本当ならうんと年の離れた2人なのに、こどものまんまで出逢った2人。ああ、この感じを私は知っている。グリーン・ノウだ。あの名作「グリーン・ノウの子供たち」だ。チャミィだって小学生の頃、夢中になって読んでいた、あの一冊。

グリーン・ノウほどの御屋敷じゃないけれど、ヨシコによって磨き上げられたヨシコ屋敷で、時空をこえて好きなモノをウフフと共有して、手渡されて。そしてまた10年以上の時を経て、今度は青年になりかけているチャミィと、青年になれなかったT君が再会した。去り行くヨシコがあけた風穴を通って。真実を知って。

この世界でチャミィが生きつづける限り、2人の年は開いていく。時間は前へと流れてゆき、チャミィもその中を歩いていく。だけどきっと、T君はヒラリとその流れに乗り込んで、つかず離れず、チャミィ号を見ていてくれるだろう。「何の根拠もないけれど、そう思っていたほうがうんと幸せなこと」、あのシリーズだ。

違っていることを、のびやかにうけいれた子どもたちよ。どうか、ゆっくりと、しなやかに。生きたかった明日を、生きてゆく明日を、それぞれに歩いてゆけばいい。誰の分までとか、誰のためとかじゃなく生きて、チャミィがこれから見る景色を、ときどき、ただただ、T君が楽しんでくれたらいい。あわよくば、車輪が外れかけたら教えてやってほしいけど、別に導かなくていい。2人は似ていて、2人は違っていて、それでいい。互いが居ることを、互いが信じていれば、それでいい。誰が否定しようと、そんなこと、へっちゃらな2人のはずだから、思いきり人生を味わえばいい。大きな安らぎの中へ、いつかチャミィも還っていく。そのとき、どんな顔して2人は会うのだろう。

【そこに君が居なかった事 今は側に居られる事 こんな当然を思うだけで 世界中が輝くよ】
【そこに君が居なかった事 そこに僕が居なかった事 こんな当然を思うだけで 今がこれほど愛しいんだよ 怖いんだよ・・・・地球で一番 幸せだと思った あの日の僕に 君をみせたい】

あのスーパーカーは「白字に青いライン~」とブツブツいいながら、チャミィがコレクションの山をかき分けて長いこと探したにもかかわらず、ついに出てこなかった。だけど、チャミィもわかっている。大切なものは、形が消えても、ちゃんとあること。T君という星が時を経て、もっとあたたかく、しっかりとした重みを加えて、自分の心の空に静かに光っていることを。すっきりした横顔の向こうに、一度も会えないままだったT君の笑顔を、私も見たような気がした夜だった。いとしい、こどもたち。

【同じもの見られたら それだけでいい 同じ気持ちじゃなくても それだけでいい 変わっていくのなら 全て見ておきたい 居なくなるのなら 居た事を知りたい】    BUMP OF CHICKEN / R.I.P より

まだ熾火の消えないヨシコ屋敷からは、これからも、長い年月が織りあげた物語が解き放たれていくだろう。飛び出した星はもう一つ、私の掌に降りてきている。そのお話は、またいつか。

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