旧東海道ひとり旅_4【保土ヶ谷宿】
東海道五十三次 4番目の宿場町は、保土ヶ谷です。
日本橋を出発して約33㎞ほど行くと、保土ヶ谷宿があります。
江戸を出て最初の難所である権太坂の手前に位置するということで、足腰の弱いおじいちゃん・おばぁちゃん、そしてひ弱な男や か弱い女の子はここ、保土ヶ谷宿に泊まり、足腰の強いおじいちゃん・おばぁちゃん、普通以上の男や か弱くない女の子は次の戸塚宿へ急いだといいます。
客引きの留女による戸塚宿との宿泊客争奪戦は、『東海道中膝栗毛(上)』(十返舎一九 著)の中でも描かれており、弥次さんが、
おとまりは よい程谷と とめ女
戸塚前て はなさざりけり
という狂歌を詠んでいます。
ちなみに僕は、留女などいなくても間違いなく保土ヶ谷宿に泊まるタイプです。
今回はガイドブックやGoogleマップを参考に、
・金沢横丁の道標
・保土ヶ谷宿本陣跡
・旅籠屋(本金子屋)跡
・権太坂
・境木立場跡
・境木地蔵尊
・焼餅坂
・品濃一里塚
・品濃坂
...を訪れることにしました。
■金沢横丁の道標
左から2番目の石碑には「程ヶ谷の 枝道曲がれ 梅の花」と記されている。杉田梅林*への道標だが、俳句で道案内なんてかっこよすぎる!
*かつて神奈川県横浜市磯子区にあった梅の名所
各石碑の詳しい解説はこちら(↓)
さて、道標を完全無視して次の場所へ向かいましょう。
■保土ヶ谷宿本陣跡
保土ヶ谷宿本陣跡の詳しい解説はこちら(↓)
ん...? 「手抜きすんな、自分で書け」って?
そんなことより、ほら、見て! 下の写真、虹がかかってる!
■旅籠屋(本金子屋)跡
まだ3か所しか回っていないのに、もうすでに1,200文字を超えています。先を急ぎましょう。
■権太坂
ガイドブックには、『権太坂は馬でさえ体力を削られ、上りきれずに行き倒れた人や馬を投げ込む家があったほど』とある。
あぁ... 僕の運命やいかに...
それでも何とか上りきりました。
■境木立場跡
かつてはここに茶店が並び、難所を越えた旅人たちが休憩しながら景色を楽しんだのだとか。
ガイドブックにも、立札(もう少し画面をスクロールしていただくと、これ[↑]の拡大写真をご用意してあります) にも、『牡丹餅が人気だった』と書かれていたので、売ってるかな? と思ったのですが、売っていませんでした...
水仙の花言葉は「うぬぼれ」「自己愛」。
どちらもとても気持ちいいので(?)、誰に何と言われようと、僕にとっては大切なことです。
■境木地蔵尊
ヒヤシンスの花言葉は「スポーツ」「ゲーム」。
色によって個別のそれがあるようで、
赤は「嫉妬」
白は「控えめな愛らしさ」
紫は「悲しみ」...だそうです。
■焼餅坂
上の写真・奥に見える古そうな木製の看板がこちら(↓)
焼餅坂を下りきると...
■品濃一里塚
■品濃坂
こうして、僕は無事、坂の難所を越えたのでした。
この連載では、"1記事につき、できる限り1首または1編の短歌かイタリア語の詩を詠む" というルールを設けていますので、ここで一首...
順序よく 難所越えたと 思うでしょ?
実は逆から 行ったんですよ
Che furbo che sono!
東海道五十三次 4番目の宿場町、保土ヶ谷はここまで。
次回は5番目の宿場町、戸塚へ行ってみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
参考図書
・ビジュアル版 鑑賞ガイド 地形がわかる 東海道五十三次 (大石学[監修]、朝日新聞出版)
・東海道中膝栗毛(上) (十返舎一九[作]・麻生磯次[校注]、岩波文庫)