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[エッセイ]イタリア滞在記AT_14【2022年2月8日(火)】

リーマンショックとかくだんの感染症だとかの影響で職を失い、生活が立ち行かなくなるなど、何かの拍子で歯車が狂うと、今まで当然のように存在していた普通の暮らしは一瞬にして跡形もなく崩れ去り、何もかも失って路上生活を余儀なくされることもあるだろう。僕にもそんな経験がある。
忘れもしない2012年初夏。僕はイタリア、エミリア・ロマーニャ州のラヴェンナへ渡り、アルフレードという現地人の青年と暮らしていた。経済状況は良好とは言えなかったものの、僕の人生の中で五指に入るほど楽しい時を過ごしていた。しかし、順風満帆な生活は長くは続かず、その年の夏の終わり、僕の面倒を全面的に見てくれていた彼が憲兵に逮捕されたことで、僕は家を失った。
ほとんど着の身着のままで、日中は広場の柱廊で過ごし、夜は墓地で眠る。季節柄、寒さに悩まされることはなかったが、蚊には本当に苦しんだ。ラヴェンナの蚊はやばい。観光で行かれる際は、真冬でもない限り、虫刺されの薬を日本から持参することを強くお勧めする。イタリアで売られている痒み止めは全く効果がないから。
...話を戻そう。アルフレードがいなくなった後は、彼の友人たちが僕の友達になった。アルフレードもそうだったが、彼らも “少し変わった仕事” で生計を立てており、その暮らしぶりは決して豊かとは言えず、かろうじて寝る場所があり、なんとか一日に一度食事ができる...といった感じだった。そんな困窮した状態にも関わらず、彼らは僕を助けてくれた。食べ物が手に入ると僕にも分け与えてくれ、雨が降る夜には僕を家へ招き、一つしかないベッドを譲ってくれた。広場にいれば独りぼっちになることはほとんどなく、泣いたことがないと言えば噓になるが、それでも笑っていたことの方が多かったのは紛れもない事実だ。
そして、そんな暮らしも長くは続かず、秋の終わり。日が暮れた広場の柱廊に一人で座っていた時、現在の親友、アンドレアと出会った。路上で生活をしていたおよそ2か月の間に、「こんなところにいたらダメだ」と誰もが僕に言ったが、本当に僕をあそこから連れ出したのは彼が初めてだった。やつは僕を家に連れて帰り、しばらく普通の生活をさせ、日本へ送り返したのだ。見ず知らずの外国人にそこまでするなんて、変なやつ。今でもそう思っている。

午前11時。仕事中、検体搬送車内にて。
「バールに寄ろうか」と、アンドレアが言う。
「お前一人で行ってこいよ。僕、車の中で待ってる。今朝からトマトダイエット始めたんだから邪魔すんな」
馴染みのバールの前で車をとめると、彼は、
「紅茶だけでも飲んだら?」と、微笑んだ。
そう言われ、紅茶だけなら...と、僕も車を降りる。
店に入ってイングリッシュブレックファーストを注文する僕に、やつは、
「プチフールとかクッキーくらいなら食べてもいいんじゃない?」と耳打ちをした。
朝はトマトしか食べてないし、昼も夜もトマトしか食べないんだから、まぁこいつの言う通りかもな...と、クッキーを3枚オーダーする。

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店外の丸テーブルについて、自己嫌悪した。
「僕、普段はこんなに意志薄弱じゃないのに...」
「これくらい食べても大丈夫だって言ってるだろ。むしろトマトしか食べないほうが体に良くない」

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「これくらい?プチフールとかクッキーだけって言ってたのに何でこんなことになってんだよ!ミニパイ全種類ぜんぶ買い占めるとかおかしいだろ!」
「別にいま全部食べるわけじゃないよ。残りは夕食の前菜にしようと思って」
...結局、仕事を終える前に車の中で全部食べた。

仕事を終えて帰宅後、僕はトマト、アンドレアはコールドカットとチーズに、クラッカーの昼食を済ませる。僕が「少し体を動かさないと...」と言うと、今日は天気もいいし、自転車で中心街へ行こう!ということになった。

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↑ 2月上旬だというのに、道端にはもうマルゲリータ(マーガレット)の花が咲き誇っている...

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↑ 町の中心に位置する広場は、家から自転車で5分ほどの距離にある。

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↑ 自転車で中心街を回る...

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↑ 先週2月4日(金)に、”マドンナ・デル・フォーコ(炎の聖女)祭” が行われた教会(ドゥオーモ)が建つ広場に出た。

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↑ ドゥオーモ外観

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↑ こちらの木版画が、”マドンナ・デル・フォーコ(炎の聖女)” だ。

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↑ ドゥオーモの天井。僕に言わせれば、この教会の圧巻だ。思わず目を奪われ、つい見つめ続けてしまう。スタンダール症候群を引き起こしそうだ...

ドゥオーモを出て、”マドンナ・デル・フォーコ” が元々飾られていた学校の跡地に立つ教会を訪れよう、ということに。道中、アンドレアは何故かタバコ屋へ寄り、Gratta e Vinciスクラッチ宝くじを一枚購入した。

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↑ 今は教会だが、昔は学校が建っていた。1428年2月4日(水)の火災により校舎は全焼、しかし絵と、絵が飾られた壁だけは焼け残った...という奇跡を祝し、現在でも毎年2月4日にはマドンナ・デル・フォーコに祈りを捧げる祭りがドゥオーモで行われている。

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↑ 教会前の碑文は、「今日こんにち多くの奇跡を起こしている」という一文で締めくくられている。あぁ、なるほどね...
Gratta e Vinciスクラッチ宝くじが当たる、っていう奇跡を期待してる?」
「マドンナ・デル・フォーコの加護があったら明日からバカンスに出発だ」
「奇跡の無駄遣いだな」
「始めに一括で30万ユーロ、月々6千ユーロが20年間、最後にまた一括で10万ユーロ手に入るのが奇跡の無駄遣い?」
「無駄遣いに決まってんだろ。僕に起こった奇跡はそんなもんじゃなかったよ」

中心街を一通り回り、バールで休憩することに。

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↑ 紅茶と...ブラックベリーのチーズケーキ。こちらのケーキ、酸味は上に乗ったブラックベリーにしかなく、その下のジャムも、チーズクリームも、土台のタルトも甘い。最近りんごや人参、トマトを食べることが多いのだが、これらの甘味とは質の異なる甘味が最高。野菜や果物の甘味よりも断然満たされるっていうか...体には良くないかもしれないけど、心の栄養としては優秀だと思う。砂糖ってすごい発明品だよな。ちなみにアンドレアはカンパリを注文した。彼はこのあとオフィスへ仕事に行く。出勤前の一杯はさぞかし美味いことだろう。イタリアでは昼休憩の飲酒は一般的。少量であれば、飲酒後に車を運転しても問題ない。

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↑ 「お茶請け/酒のあて足らないな」ということで追加したポテトチップス。もうトマトダイエットは明日からでいいや。