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生きている意味について

生きている意味って考えたことありますか?わたしは常に考えていました。

私は学生時代、ゲームばかりやってる友達とかを見て「意味ないことしてるなあ」と思ったり、少しボーっとしている時間が長いなと感じるとバイトを毎日入れまくったりして...常に時間に対する生産性を考えていました。

今思うと、「自分が生きていることを示すもの」を生産することに価値があると無意識に思っていたんです。そりゃそうですよね、生き物なんだから生理的に「それ」に急かされて然るべきだなと思います。

しかしながら、子孫を残したりお金を稼ぐことだけが生きる意味だとは今の私には思えません。なぜなら色々な人をみてきて、出産や子育てや仕事だけが人の幸福の本質だとは思えないからです。(ここで「幸福になるために生きるのか」と思った鋭い?貴方、その話は後でします。)

うだうだ言っていますが、最近答えが出た気がするのです。その答えは「生きるため」だと思うのです。

これはかなりややこしいと思います。普通、過程の先に目標がありますから。例えば、桃を食べる【目標】ために桃を育てる【過程】というみたいに。

でも、生きる意味という問題は目標が過程になっているのです。これは難しい。落とし穴みたいです。うっかり。気付かなかった!という感じです。生きるために生きる。言い換えれば「生き続けるために生活を整える」ということです。

「生き続けることが目標」なんて絶望も感じます。みんな大義が好きですからね。みんな小さい頃はヒーローで、自分は大義を持った特別な存在だと思っています。多くの子供がベルターズオリジナルをもらって幼少期を過ごします。でも大人になるとそんなことないなと気づき、そして次第にそれにあがらう体力や気力もなくなっていきます。

絶望です。この絶望的な生きているという状況の中で、生き続けることの本質が見える考えがあるます。それは「人生はただの暇つぶしだ」と考えることです。生きる絶望から抜け出すために、楽に死ねればいいですが、死んだらお気に入りの洋服も着れなくなるし、マカロンも食べれないし、親も悲しむ。ハンターハンターの最後はどう終わるのだろうか...これは夢見が悪い。嗚呼...生きるのも死ぬのも絶望。

ここで終わってしまったり、死ぬ方が続けなくていいから楽じゃんっと言ったら、そこで試合終了です。ここからが大切です。確かに何かをし続けるのは、ものすごいパワーがいります。心を浪費せずに何かを「続ける」ためには、学習心理学的に言えば「報酬」が必要不可欠です。さらに言えば、それは変動比率(ある事象が一定時間ごとに起こるのではなく、ランダムに起こる)で獲得することが最も効果的です!

この「報酬」こそが「幸福」だと思うのです。

つまり、幸福をちょこちょこ自分で入れて生き続ける。これが健全な「生きる」であり、生きることの本質だと思うのです。

だからこそ、自分が何をしている時が「幸福」なのかを知ることが重要で、それを整えていくことが「生活」なのだと思います。

人生にはつらいこともあります。あまりにも辛いことが起きると、一歩も進めないことだってあります。でも、毎週面白い漫画は出るし、だいたい毎年春と秋があるし、無料でかりられる図書館の児童書は意外と面白いです。この小さな幸せをしっかりと感じて、最後には老衰とかで楽ちんに死にましょう。(若いと死ぬのは大変です) 楽しみですね。

まとめ: 寒がりな私はわたしのために電気毛布をクリーニングに出し、週末を楽しめるように話題の漫画を⑩冊レンタルしておく...これこそが、生きる。



もちろんバイタリティーのある方々は、「大義」を探してもいいと思っていますよ。...「暇つぶし」の仕方はそれぞれです。d( )



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