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<文章の書き方>Vol.4 お手紙de“書く”練習編③「時候の挨拶を書く~ことばdeスケッチ~」

このnoteでは、私自身がライターとして仕事をする中で教わってきたことや気づき、「私はこんなことを大切にしています」ということを書き綴っていきます。
 
「文章を書くことに苦手意識があるけれど、気持ちや思いをじっくりと伝えるために、好きになれたらいいなぁ」「自分が出会った素敵な人や場所、出来事について、文章で誰かと共有できるようになれたらいいなぁ」と思っている方にとって、少しでも何かご参考になれば嬉しいです。
 
1回目の記事で「“書く”コミュニケーションの練習として、1人、誰かのことを思って、そのたった1人に伝えるために書く、お手紙を書いてみませんか?」と提案しました。

日常的にお手紙を書くことを通して、伝える力や表現力を磨いていけたらいいのではないかなぁと考え、2回目の記事から「お手紙de“書く”練習」をテーマにお話ししています。

これまでに、練習編①「伝えたいことを書き出し、整理し、型に入れる」

練習編②「つっこんで、内容を深める」とお話ししてきて、

今回は練習編③「時候の挨拶を書く~ことばdeスケッチ~」をテーマにお話しします。

「時候の挨拶」は、お手紙の冒頭に書く、その時々の季節のことと、相手を気遣うメッセージのことです。「初夏の候~」「猛暑の候~」といった定型文を引用することも多いですが、自分の感性を生かした独自の表現を楽しむ部分とし、文章を書く・磨く練習をしませんか? という提案です。

時候の挨拶を書く機会はありますか?

メールやMessenger、LINEでやりとりをする時、どう書き出しますか?

私の場合、メールの相手はお仕事関係者がメインなので、基本的には「こんにちは!」「お疲れさまです」「お世話になっております」という一言から、早々に本題に入ります。仕事の依頼・確認・共有・報告などをメインとしているので、端的にそのポイントがわかるほうが相手に喜ばれるからです。

MessengerやLINEの相手は、親しい人がメインなので、会話みたいにポンポンポンっとやりとりできるように、基本的には挨拶や前置きをせずに速攻、本題へということが少なくありません。

ただ、お手紙や送り状といった書面では、どうでしょうか。いきなり本題ではなく、時候の挨拶や前置きを添えることのほうが、まだ多くないですか?

もしかしたら、世代的なものなのかもしれません。40代の私は、お手紙も主流時代を20年近く経験しているので、いわゆる“昔ながら”のやり方を踏襲しているのでしょうし、その世代とのつながりが多いから、そうなっている部分もあるのでしょう。

とはいえ、書面の場合は、時候の挨拶が添えられていることがまだまだ多いという印象があります。

定型文? それともオリジナル?

時候の挨拶は、インターネットを検索すれば、定型文が出てきますし、文書作成ソフトwordでも「あいさつ文」挿入機能があって、「初夏の候~」「猛暑の候~」と各月に合う時候の挨拶が簡単に出てくるようになっています。便利ですね。

それらを活用すればOKなのですが、その多くは当然、自分の実感を伴わない定型文です。

自分で考えたわけではないので当たり前なんですが、「自分の想いや実感がこもっていないなぁ」「とりあえず入れるだけになっているなぁ」との思いが募り、「これなら書いても意味がないのでは?」「いっそのこと、なくしてもいいのでは?」と一時期、時候の挨拶を飛ばして「こんにちは。いかがお過ごしですか?」から本題に入るようにしていました。

しかし、なんだか味気ない!

そんな時、たまたま知人から歳時記を教えてもらい、季語に触れたことで、時候の挨拶の素晴らしさ、楽しみ方を見出したんです。

その風景の「表現=捉え方」に感性が宿る

歳時記をパラパラとめくっていたら、「山笑う」という春の山を表現した春の季語と出会いました。

いつか見た、「山笑う」風景

生命の息吹が芽生える春の山を「まるで山が笑っているようだ」と捉えた感性に胸がキュンとしたんです。ほんわかピンク色の桜、やさしいミドリ色の木の葉に包まれる春の山はまさに、そう見えます。

夏は「山滴る」、秋は「山粧う」、冬は「山眠る」と、季節ごとに山を擬人化した表現があります。

春夏秋冬をそんなふうに表現する感性って、なんて素敵なんだろう。私もこんなふうに季節をめでられるようになりたい。そう思ったんです。

それからは、目の前の風景をどんな言葉で表現すると、相手と共有できるだろうと考えるようになりました。

相手に、この季節、風景を贈りたい。そのことによって、相手の日常に季節感だったり、彩りだったり、視点が変わるきっかけだったりを贈ることができたら素敵だなぁと思ったんです。

それが、再び時候の挨拶に注目し、書き始めるきっかけでした。

自分ならではの表現を模索し、試す機会に

「時候の挨拶を自分の言葉で書いてみよう」と意識し始めたら、「見た風景、感じた今を表現することは、文章力を鍛えることにもつながる」と気づきました。

たとえば、まちを歩いていても、「この木は何の木だろう?」「同じ木でも、色が違うものがあっておもしろい」「色づいている葉ばかりに注目していたけれど、緑のままの葉も濃厚で渋い」「この感覚を例えるなら、どんな表現がいいだろう?」など、さまざまなことを感じ、考えられるようになったからです。

また、「この言葉ってそもそも私が思っている意味であっているのかな」「もっとほかに表現できる言葉はないのかな」と調べるようになり、さらに「今の季節を音で表現するなら?」「匂いなら?」「感触なら?」と感覚も研ぎ澄まされていくようでした。

ちょうど、そのおもしろさに気づき始めた頃、遠藤周作著『十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。』(新潮社、2009年)という本を読みました。

作家の遠藤さんは、文章を書く初歩的な訓練として、風景や人などを見て、「~のような」と修飾語や形容詞をつけることをゲーム的に行っていたそうです。

本で紹介されていた1例をピックアップすると、

空は〇〇〇〇〇のような色を帯びている。

遠藤周作著『十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。』(新潮社、2009年)より

その「〇〇〇〇〇のような」のところに、どんな言葉を入れますか?

「澄み切った水」のような。
「燃えさかる炎」のような。
「薄いベールをまとった」ような。

どれもこれも、どこかで聞いたことがあるような表現ですね。遠藤さんは、「手アカでよごれた表現」ではなく、「自分で、キャッチした、オリジナルな言葉を」書くことを意識することと、何度も書いておられました。

空を毎日見上げて、「今日の空をどう表現しよう?」と考えていくことは、表現力を鍛える、磨く、いい練習になりそうです。

そういうふうにゲーム的に取り入れるのもおもしろいですね。

絵ではなく、言葉でスケッチする

話は戻しまして、時候の挨拶。

今の季節「夏」なら、

「朝、ほんの少しの時間だけ、蝉の鳴き声が聞こえました。まだ、紫陽花の花も美しく咲いているけれど。もう、7月。夏を感じますね。だんだんと暑さが厳しくなっていく今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?」

「植物園の売店で、ソフトクリームを買って食べるということを久々に。途中、どろ~りと溶けて、持ち手がベタベタっと。あぁ、この感覚。子どもの頃の夏休みを思い出すようで懐かしい! 最近、どんなことで夏を感じましたか?」

「ああ、あの白い花はクチナシなんだ。ということを、最近教えてもらって知りました。あま~い、いい香りがするんですよね。最近、どんな発見がありましたか?」

・・・など。

親しい人に向けて、お手紙に添える時候の挨拶を想定して書いてみました。

自分が今、見ている・感じている季節を、絵ではなく、言葉でスケッチするイメージで取り組むと、おもしろいのではないかなぁと思います。

実際に、「お手紙を書く機会がそれほどないので」という方も、それなら日々取り組めますし、言葉でスケッチしてストックしておけば、いざという時に時候の挨拶として使えます。

そこで、「ことばdeスケッチ」に取り組んでみませんか?

その方法として、

①その日もしくはその週に印象に残った
 風景や音、香り・匂い、感覚、心象などを書き出す。
②「①」の中からトピックスやキーワードを選ぶ。
③「②」の中から、
 相手に映像が思い浮かぶように、
 100文字以内の文章でまとめる。

という流れでしてみてはいかがでしょうか?

理想は、その場にいながらのスケッチ!

数日描いた、「ことばdeスケッチ」

私も「ことばdeスケッチ」を習慣化してみようと、スケッチブックまで用意してはりきっていたのですが! ほぼ3日坊主になってしまい・・・この記事を書いたのも、いいきっかけ。その場にながらのスケッチにも取り組んでみたいと思います。

次回はお手紙de“書く”練習編③のおまけとして「季節の挨拶文を書く~ことばdeスケッチ~ 私はこんなふうにやってみました!編」を書けるように、今日から、いや、この数日中には実践をスタートして、その報告をしますね!

「これでいいのかな」「大丈夫かな?」と不安いっぱいで、ドキドキしながら、書き綴っています。だから、リアクションやサポートをしていただけると、とても嬉しく! 舞い上がります。励みになります。