100年生きる果てしなさ
この記事の最後にTwitterで流れてた記事を張り付けてあります。
私の記事は置いておいて(w)その記事はとっても興味深いかもしれません。
よく"人生100年"なんて言われるようになりましたが、私は100年生きる気力も体力もありません。たぶん。
100年生きたいと思っているのは、ごく僅かな富裕層の方々か、超絶に楽天家のどちらかのような気さえします。
いずれにしても極々少数の人々ではないかと。
「もっと生きたい」と願っても何らかの理由で叶わない人々がいる、そんな言説もよく見聞きします。
ただ、私は「早々に退場したいと思いながら生きたくはない」というのがふさわしいのかも。
なんにしても100年は長過ぎる。
メンタルで何かを抱えていない方々にはさっぱり理解できないかもしれませんが、この気持ち。
双極性障害に限らず様々な精神疾患で起こりえる気持ちなのかもしれませんが、私は今後生きていくなかで元気いっぱいの自分を実感できたとして、その状態を信用できないということです。
「これって行き過ぎてる?またいつか落ちる?」
そういう疑心暗鬼が生まれるに違いありません。
そして
「ぐっすり眠りたい」
「薬から解き離れたい」
「後先考えずに今を楽しみたい」
「何の気負いもなく毎日お風呂に入りたい」
「消えたい」
こうした色んな思いを抱えて生きるには、100年はあまりに長過ぎます。
以前にもちょっと触れたような気がするのですが、メンタルな病は客観的な医学的データで状態が示しにくい。
仮にある精神薬の血中濃度を計測したとします。
そして医師が「適切な範囲内ですね。」と言ったとしても、患者である私が得られる精神的な安堵感にほとんどありません。
きっと心の病は、脳が生み出すのでしょうけれど、脳を操作しただけで心の問題は解決しないのでは?
私が100才になるまでに何らかの方法で解決するでしょうか?
ここまで書いた後、Twitterで下にあったような記事を見つけました。
感情(心?)が操作可能な対象となったのでしょうか?
小学生の時、海外の確か大脳生理学者がの女性の脳に電気的刺激を与える実験をしているモノクロのドキュメンタリーを見たことがあります。
被験者の女性はその刺激で映像が見えたり、音が聞こえたりと笑顔で証言していました。確か。
私たちがアンドロイドになる日も近いのか?