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種田山頭火の歌碑

三河松平郷(現豊田市)の豪族であった松平家に生まれた徳川家康。その母親、於大の方が安産祈願で訪れた場所と聞いていた、故郷のそば鳳来寺山。
中山間地でもあり、材木屋が多い。”三河杉”は、昔はブランドだったようだ。

樹齢からみて、この鳳来寺山に東照宮を三代将軍徳川家光が建てたころ苗木で植えたということとになりそう。370年、いやこれからも歴史を黙して語らぬ鳳来杉か?
松尾芭蕉から、十返舎一九、沼津を最終の地と選んだ若山牧水、種田山頭火の名が並ぶが、当時は現在以上に鄙びた場所によくこれだけの文豪が、来訪したものだ。人里離れたが、全く離れすぎないで山道が続いていたんだろうと想像の世界に入ってしまう。
自由律俳句の歌人、山頭火の一句、一句を見返すと、この鳳来寺の景色と気持ちの描写からまったくもって純粋な”心眼”すら伝わってくる。

伊那の高遠付近に、井上井月という江戸時代後期も俳人が居る。つげ義春の漫画、”蒸発”で知ったのだが、越後生まれ、伊那谷をさすらい数々の俳句・書をのこしているが。

漂泊の俳人、山頭火が井月のお墓を二度訪ねている。その途中での来訪だろうと思った。


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