6年前、国立近代美術館で催された日本の家1945年以降の建築と暮らし)
建築家の篠原一男氏のこの”失われたのは空間の響きだ。”の一文で、篠原氏を合理的な科学主義の人かと思ってしまった自分は、目がひらかれた気さえする。
そうだ、人間から、情緒を奪ったら、何が残るのだろう?合理主義一辺倒で、消え去るものもあるのか?
建築家の篠原一男氏のこの”失われたのは空間の響きだ。”の一文で、篠原氏を合理的な科学主義の人かと思ってしまった自分は、目がひらかれた気さえする。
そうだ、人間から、情緒を奪ったら、何が残るのだろう?合理主義一辺倒で、消え去るものもあるのか?