もうムリ!!!ブラック労働に心が折れて無断帰宅(2017年)
この記事をご覧いただきありがとうございます。
わしです。
私は2014年に大学を卒業して社会人になった、
現在32歳、社会人11年目の会社員です。
ちょうど今年(2024年)で社会人になって10年経ちました。
10年の振り返りとしてnoteを開設し、
順番に記事を書いております!
今回は生保レディ3年目(2017年)の
7月ごろに起きた繁忙月での話を書きます。
少々乱暴な書き方をする箇所もあるかと思いますが、
当時の私の気持ちだと思って
読んでいただけると幸いです。
数カ月ノルマ未達成続きで給与下がる
2017年度に入ってから、
初月(4月)は未挙績。
5月や6月も、契約は取れても件数が少なく
ノルマ未達成状態が続きました。
多分↑の記事のお客さんの契約のみだと思います。
だからどんどん給与が下がっていきます。
給与一桁が続くって正直転職を考えないとやばい。
↓こちらの記事でも給与が少なくなった話を書いてますが
この時よりもさらに酷くなっていましたよ。
最低限の生活費を親から援助
社会人なのにみっともない話ですが、
2年目の途中から
家賃や光熱費などの最低限の生活費(固定費)を
親から援助してもらってました。
だからなんとか親友の結婚式の祝儀や
パーティドレスやバッグなどを揃えられた感じ。
(祝儀は相場の半分が限界だった)
でもやっぱりおかしい。
社会人なのに、自分でお金を稼いで
生活費を払う、自立しないといけない時期なのに
なぜ親から援助をしてもらわないと
生活が成り立たないのか??
当初は私が自立するために一人暮らしを始めたのに、
どうしてこんな状況になっちまったの???
もちろん原因は分かってるけど・・・。
最低賃金保証額な給与
当時の給与明細(報酬明細)や通帳記入されたものは
もう処分してしまったので手元にありませんが、
本当に酷い時の給与は、明細に
最賃保証って書いてありました。
(最低賃金保証だと思う)
その時の振込額、6万円台。
終わっとる(´;ω;`)
そういうレベルまで落ちました。
いや、堕ちましたがいいか?
正社員!!!とか言われて、
月の給与は15万円前後と言われて、
よし、頑張ろう!と思って、
一人暮らしで自立しよう!と思って決めた
あの時は何だったんだろう・・・。
何なら3年目に入ってから、
歩合給の割合がぐっと増えたので、
ノルマ未達成であれば歩合給が発生しません。
ただの地獄。
わずかに固定給っぽいものもあったのですが、
それも社会保険に消えます。
ノベルティを購入していればその分控除されます。
生活どころか、
活動もできないじゃん・・・。
とんでもないブラック労働・・・。
家では毎日泣いていたと思う
あまり覚えていないんですが、
成績も上げられず
アポイントも取れず
アポなしで突撃しても会えず
会って話せても契約には至らず
毎日9時に出勤して退勤が21時頃・・・。
カレンダー通りの休みなんて都合よく取れないし、
締め切り前の土日なんか当たり前のように休日出勤。
休出しても結局お客さんに会えなければ
振替休日すら取れない。
土日に友達と約束をしていても、
結局休日出勤が入って予定がキャンセル。
月に1回は帰省すると父親と約束したのに、
その帰省すらいつしかGW、お盆、年末年始程度。
しかもその連休ですら活動しろという始末・・・
(帰省している家族を狙うチャンスとか、
自分が帰省するなら家族や地元の友達とか…)
体調も崩しやすくてしんどいし、
朝もだんだん起きる時間が遅くなる始末でした。
何も生み出さない状況がどんどんしんどくなり、
お風呂に入ってシャワーを浴びながら涙を流したり、
寝るときも涙を流して泣いたりして
翌日目が腫れた状態で出社していました。
いろいろと気にしていなかったとしても、
やっぱり働いても働いてもお金にならない。
頭の中がいつの間にかお金のことばかり。
締め切り近くになってくると、
焦りと給与のことで頭がいっぱい。
ついには涙を流しながら帰ることも増えました。
先のことも考えると、
本当に自然と涙が溢れてきたんです。
頭もぼーーっとしてたし、
いつか赤信号を渡ってしまうんじゃないかと思うくらい。
心が休まらない
成績が上がっていないから、
支部長からは
「今週末の活動は?」(休日出勤の強要)
「週末が勝負だよ」
「今日は大事な〇曜日だよ」
毎日、毎週のように言われました。
もう休む時なんてないのかよ・・・。
休日に出勤しても、アポイントが取れていないと、
振替休日(代休)が取れない。
アポイントも2個取れていれば半日、
午前と午後で2個ずつあれば1日取れるというルール。
飛び込みで訪問した場合商談に繋がれば、
アポ1カウントという、
休日が取れるルールが本当に謎すぎた。
挙句、私は独身だったので、
「独身だから夜(定時後)も働けるでしょ?」
「夜も働けるのは独身の特権」
とまで言われる始末・・・。
プライベートなしかよ。
確かに周りは子供がいる人がいたり、
家族がいるから帰らないといけなかったりと
自分以外の家族のために定時で帰っていました。
けど、独身の私だって
やりたいことあるし、休みたいときは休みたい。
それなのに「今日は帰りたい」と言えば、
「ちょっとでも職域行ってよ」
「え、もう帰るの?数字どうするの?」
って・・・。
人間と思われてないんかな。
ついに心が折れて無断で帰宅した
ムカつきがピーク
2017年の繁忙月。
7月だったと思います。
全然成績は上がらないし、
アポイントもキャンセルが続いたり、
ドタキャンがあったり、
見込みになる人がいなかったり・・・。
周りがうおーーー!と成績を上げて
ラストスパートを飾る中、
私はノルマ未達成のまま。
締め切り3日前に、
もう見込みがなくて
成績も上げられないし、
給与も今月も一桁確定・・・
最後まで頑張る気力もなく、
何を言われてももうイライラしかせず、
泣きながら支部を後にしました。
その翌日の締め切り2日前。
出勤しても頭はボーっとしていて、
表情も上手く作れなかったと思います。
同じチームの人から
「なんかムカついてるようだけど?」
と言われたのを覚えてます。
もう全てがムカつくよ・・・。
繁忙月の締め切り間近の中私は行く当て無し。
周りがいろいろとガヤガヤしている中、
私はここにいても楽しくないし
どうせノルマ未達成で終わるし、
帰ろ。
もう何もしたくない。
そう思って特に支部長へどこへ行くとも言わず、
そのまま帰宅しました。
結構昼間の明るい時間帯に。
暗い部屋でずっと横になってた
帰宅後、部屋着になってメイクも落として、
そのまま布団で横になってました。
カーテンも閉めていたので、
日の光は入るものの部屋は暗かったです。
なんかそれくらいがちょうどよくて、
ちょっと現実から逃げられたことに
救いを感じました。
なんかもう、
明日締め切りだけど、どうでもいいや。
そんな気持ちでした。
結構メンタルも限界のボロボロだったと思います。
「これってもう、うつ病なのかな」
なんて思いましたが、
本当にうつ病の人ってうつ病って自覚はないみたいだし、
そう思っているくらいならまだ大丈夫なのかな・・・
とか思っちゃいましたね。
夕方少し落ち着いてから、
支部長へ電話で連絡しました。
「もうムリです。」
って。
その後なんて言われたか覚えてませんが、
そこまで追い詰めることは言われなかった気がします。
繁忙月締切日は休んだ
締切日こそ、最後の最後まで追い込む日ですが、
一晩休んでも気持ちが変わることなく、
そのまま体調不良で休むことにしました。
体がまじで重かったです。
この日、締切日で忙しいにもかかわらず
支部長があるものを届けに自宅に来ました。
トレーナーが、私がしんどそうなのを見かねて
おにぎりを作ってくれていたので、
それを届けてくれました。
私が休むことは当然知らなかったので、
本当は支部で渡したかったようです。
↑の記事のように
4月に異動してきたばかりの頃は、
意見が合わなかったり、私のプライドもあったりで
すごいやりづらい!!と思っていた人。
ただ、トレーナーの元を離れてからも、
私が職域に毎日訪問していたこと、
遅い時間に支部へ戻ってきていたこと、
苦戦していたことはずっと見てくれていました。
おにぎりを受け取ってから、
薄暗い部屋の中で食べた記憶があります。
なんか、千と千尋の神隠しで
ハクからおにぎりをもらった千尋みたいな感じで
食べてたと思います。
とりあえず、明日は行こう。
って思って翌日は出勤しました。
一応立て直せたけど、そろそろ寿命
確か、この時点でもう2017年の8月分に。
アポイントをすっぽかされたお客さんと
再度アポイントが取れて何とか契約に至りました。
友達にまじで心配された
休日に友達と4人で出かけました。
その帰りに私の仕事の状況について、
素直にそのままのことを話しました。
主に給料のことですが、
全然成績を上げられなくて一桁になっている
親の援助で何とかなっている
年収が100万円台
・・・と話した気がします。
その時に
「それって大丈夫なの!?!?」
と、本気で心配されました。
「転職考えた方がいいと思う」
やっぱり、そう思うよな~と。
”普通の生活”がキラキラして見えた
普段あまり周りと比べることはしない私ですが、
ネットで自分くらいの年齢の人の平均年収を見てみたら、
300万円前後だった気がします。
圧倒的に私の年収が少なすぎて、
ちょっと恥ずかしくなってきました。
お金ないお金ないと言って、
やりたいこともできず、欲しいものも買えず、
なんかSNSを見ていても
他の友達は充実した感じがするな~
ちゃんと働いてお給料がしっかりもらえていれば
こんな生活ができるんだな~・・・
そんな人たちがキラキラして見えました。
本当にごく普通の社会人生活です。
ブランドものを持っているとか、
高級レストランに行っているとか、
そういうレベルじゃないです。
ただ単に日常生活が、キラキラして見えたんです。
なんかそう思うと、
友達を心配させたくないし、
両親も心配させたくないし、
本当の本当に転職しないと・・・
と考え始めました。
だから、もう生保レディも終わりかな。
そんな感じですぐ1か月が終わった気がします。
メンタルの波が、
この時は本当に激しかったと思います。
もちろん2年目の時も同じことはありました。
多分心療内科に行ったら、
間違いなく何かしらの診断を受けていたと思います。
別に行ってもよかったんですが、
当時「精神疾患になると保険に入れなくなる」
というのを知って、
見直しもできなくなるかもしれないし、
行くのは悪だ!負けだ!
って自分の中で思っていたので、
行くのはあきらめてました。
そこはなんか保険脳でしたね(笑)
それでは、次回の記事もお楽しみに・・・!
この後無事に転職を考えられます。
いよいよ生保レディ編も終盤ですな!
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