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ヴェポラップの香り
小さい頃、風邪をひいたり、熱を出すと母親がヴェポラップを胸の上のあたりに塗ってくれました。
それを塗ると、風邪の症状でだるく重たい体が少しだけラクになるような気がしました。
浅い呼吸が、すっきりとしたメントールの香りで鼻の詰まりを緩和させ、だんだんと息がしやすい状態に変わっていきます。
あぁなんだかさっきより少しだけ気分が良くなったと、布団の中でボーっと意識の遠くで感じます。
大人になってヴェポラップを塗ることが風邪の時になくなって、はたと、まだヴェポラップはあるのかなと思いました。
風邪をひいた時にあれを塗るだけで、心細さが軽減されたよなぁと思い返します。
あの清涼感に満ちた香り、好きだったなぁと。
先日、姪っ子が遊びに来て、帰る時に両手を広げて近づいてきたので、ハグをしました。
いつの間にかまた少し大きくなった姪っ子に、嬉しくなりました。
小学生の姪っ子なのですが、あと数年したら私の身長も抜かすだろうなぁと思いながら鎖骨のあたりに彼女の側頭部を感じます。
お互いに広げた手が背中をさすります。
まだまだ華奢な細い腕だけど、それでも、しっかり背中まで回り私の背中をさすってくれるなんて、なんだか頼もしいじゃないの、今までは私が色々と質問に答えていたけれど、ここから先、私が彼女に質問して助けてもらうことがきっとたくさん増えてくるんだろうなという想いが浮かび上がってきます。
それと同時に、まだこうして、私に抱きついてきてくれるなんて、可愛らしいし、愛おしいなぁという感情が沸いてきます。
お互いに「また遊ぼうね」と言葉と言葉以外の両方約束を交わします。
こうやって姪っ子とハグをしていると、母にヴェポラップを塗ってもらっていた時の自分を思い出す私がいました。
あの時が母が塗っていてくれていたということ自体も薬になっていたんだなと感じます。
ケア、つまり「手当て」というのは文字通り、手を当てるということです。
手で薬を塗ってくれることその行為自体が癒しだったのでしょう。
そこにどれほどの救いがあったのか。
また小さい時に具合が悪くて、もどしてしまう時も背中をさすってくれもしました。
そうするとやはりしんどさの中でも安心感に包まれるような感覚があり、大丈夫と思えたのでした。
大人になって同じような状況になってもさすがにそうはならないので、さすってもらえたらどんなにいいだろうと思うことがあります。笑
そうしたら、辛さが半減するのに。笑
なので、私にとってヴェポラップは安心の香りなのでした。
本当はそれはヴェポラップと母の手がもたらした安心なのかもしれませんが。
数年前の寒い冬のある日に仕事に向かう途中、交通事故なのか、人が道路で倒れているのを見たことがありました。
あまりのショックにふらふらしたまま仕事場に着いたのですが、ショックと寒さでなかなか血の気がもどらない私はずっとへんな感じでした。
貧血みたいな状態になっていました。
なので、先輩に今見てきたことを説明して、倒れそうなので、ハグをしてくださいとお願いしました。
理解してくださった先輩女性は私をハグしてくれて、大丈夫、大丈夫と何度も繰り返し優しく言い続けてくれました。
その優しい声と人の体温と優しい背中にまわった手のひらを感じることで徐々に私は落ち着きを取り戻していきました。
そうして、しばらくしてから足に力が戻ってきて私は彼女にお礼を言って離れました。
あの時の「大丈夫、大丈夫」は本当に優しくて、すごく大きな存在に守られているような気持ちになりました。
今でもその包まれた感覚は忘れられません。
(ちなみにその倒れていた人は、救急車も呼ばれ大丈夫だったようです)
人と人とが言葉以外で取るコミュニケーション。
それは確かにあって、その受け取れる深さというのもなかなか言葉に表すことが難しいものなのかもしれません。
ただ、何度も思い返すほどの記憶に残るもので、やはりそこにはとてもいい作用が働いていることに間違いはありません。
守られたことがある、手当をされたことがある、その体験は人を支えてくれるし、また他の誰かがかつての自分のような状況であると知ったならば、守りたい、手当をしたいという気持ちにさせてくれます。
それが人をいかに安心させてくれるのかということを身に染みて感じているから、自分の手をそのように使いたいと思うのでしょう。
小さな頃の記憶が思い出されて嬉しい夜です。