詩集『青春』 第二章 旅の場所 作品11〜作品14
【作品11】 祭の夜
夕暮れ
夏祭りの踊りの輪につながって
わたしは
さめる者であるのか
酔える者であるのか
おんなたち
華やかな帯を結んで
美しく化粧した少女たちよ
身にあふれる熱情を
饒舌に変えて
語れ 宵闇のうち
その時 わたしは
沈黙をまもる者のひとりでありたい
それはわたしが生まれた谷間の
祭りの夜のことだ
彼女らはついにわたしの隣人でありえず
わたしもまた
この村落で育たなかった
わたしに覚えのない村の女たちよ
あなたがたを
わたしは決して愛することはないだろう
ひそやかに伏し目する若い恋人たちよ
おまえたちも滅びるがよい
わたしたちの
すべての愛が滅びたように
やがて
訪れた闇の世界で
人影は黒くうごめき
祭りの夜は更けていった
こころは苦みに満ちて
わたしにはわたしの愛の世界があった
たとえ
わたしの旅がどんなに苦々しく
孤独に満ちたものだったとしても
わたしが
滅びた愛のかたわらから
離れることはなかった
●一九七一年 八月
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【作品12】 旅の場所(七) 龍嶽禅寺
苔むして静謐な世界がある
風化した石段の高みにつづく高原の寺
二十余丈の杉木が群立して
八月もすでに遅く
ありとあらゆる秋の気配が忍び寄っていた
すだく虫の音
よわよわしく衰えた日差し
山々を足早くめぐりさる冷たい疾風
道祖神と馬頭観世音の 日に焼けた石仏が
午後の光を受けて 眠っているのか
人間たちの意識も
ここは山寺
背後の小高い丘では
秋になれば 昔ながらの祭がとりおこなわれる
それは
古代の支配者たちの墳墓だ
まだ
秋は来ない
オートバイに乗った郵便配達夫が残暑見舞いの葉書をくばる
まだ
秋は来ない
だが 高原の寺に
秋の訪れは近い
●一九七一年 *月
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【作品13】 旅の場所(八) 非人面行列
けばけばしい装束と異形の仮面に
観光客は奇異のまなざしを投げかけ
この日
海は凪いで曇天であった
海辺の町の祭り
非人面行列
黒く日に焼けた漁師たちの顔に
崩れかけた共同体規制のなかに
熱い土着への陶酔があらわれる
おお 夏が終わろうとしている
紫斑を肌に浮かびあがらせて老人たちは笑う
海は汚れきって不漁続きだったが
この日
海辺の町は夜遅くまでにぎやかだった
●一九七四年 八月 〇非人面行列は現在は「面掛行列」と呼ばれる鎌倉御霊神社の奇祭である。江戸時代には鶴岡八幡宮の祭礼だった。非人面行列はかっての昭和の時代までの呼称である。
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【作品14】 旅の場所(九) 晩夏の終わり
人よ
山脈に秋が来ている
葡萄棚に葡萄が熟れた
夜更けまで起きていると
通り過ぎる音無き小雨がある
明日もまた夜明けに霧が流れるだろう
人よ
八月の旅が終わろうとしている
もうじき
山脈のおそい夏が終わろうとしている
●一九七一年 八月
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この章に集められた詩篇は、わたしが22歳から23歳の、大学を卒業して出版社に就職して、雑誌記者として仕事を始めたころにつくった作品である。 担当雑誌が月刊誌だったので、毎月、連続して二十日間働いて、残る十日間は自由な休日というスケジュールだった。二十日間は殺人的に忙しいが、それがすめば、残りの十日間、どこでなにをしていようと会社は文句をいわなかった。考えようによっては、かなり気楽な、気ままに旅をする余裕もある生活だった。そんななかで、自由にものを考え、本を読み、気随に旅した。
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