詩集『青春』 第二章 旅の場所 作品07〜作品10
【作品07】 旅の場所(四)浅間高原
遠く異郷を旅していると
愛する人よ
自然に似て 心理はあなたのいた低みに向けて
流れていく
そんな時 わたしはどうしたらいいのだろう
わたしの旅の生活である
二つのボストンバッグを放り出して
原野の彼方まで走って行こうか
一人旅だからいいのだ
わたしを悩ませるものが訣別の記憶であっても
わたしの旅愁は
好きな煙草に似て甘く苦い
八年前 初めての出会いの時の赤いハンカチーフを
僕はまだ覚えています 鮮烈だった 紅の記憶
人よ
身は都会を離れ
日常生活を離れているはずであるが、
何故か
心は低みに向かって絶え間なく流れて行く
昨日 泊まった宿屋から見えた
千曲川の濁流のごとくに
心の低みでわたしたちはめぐりあったのだ
放たれた矢のごとくにさすらいを続ける
わたしは旅人
だから ふたたび心の低みにむけて
戻りゆくことはないが
人よ
それは
旅ゆくものたちの宿命である
●一九七一年 五月
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【作品08】 山脈の風によせて
風よ
ぼくよりも早く山脈を越えて
遠い異郷にたどり着いてほしい
異国の町並みににた避暑地に向けて
ぼくの乗ったバスはあまりにも
ゆっくりと走りすぎる
ぼくのもうひとつの心に似て
山脈のむこうの軽井沢の町に
ぼくよりもひとあし先について
ひとり高原を旅ゆくぼくの胸にわだかまる
不思議な憂鬱と苦い期待を
確かめてみてほしい
ぼくは旅人だから
その町の娘たちを愛することはないが
風よ
それは旅ゆくものたちの宿命である
●一九七一年 五月
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【作品09】 旅の場所(五)信濃平
折り重なる山々の彼方から
吹いてくる風は水田の稲を波打ちわたった
ずっとむこうの 新潟県の方から吹いてくる風
ずっとむこうに 濁った雲
そして 僕は歩いた
一つの小高い丘を越えたむこうの村落に
雨だ
パラパラと
タバコ畑の間道を歩くぼくに
旅愁ともいえる心の苦みを
味合わせてくれる大粒の雨
濡れながらぼくは歩いた
タバコの花は薄く朱色であった
遠くに姿を現しはじめた谷間の家々
むかし ぼくがまだ学生だった頃
学園闘争のさなかに
めぐりあった一人の女
ともに戦ったがゆえに ついに愛し合わなかった
一人の女が
この山麓の小学校で 子供たちを相手に
ピアノを弾いている村だった
●一九七一年 七月
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【作品10】 旅の場所(六)黒姫に
北軽の原野は彼方へとひろがり
むこう ずっとむこうに
白根山と志賀高原
山々は神錆びて黒々とそびえ立っていた
白い煙であるのか
あるいは霧であるのか雲であるのか
その白く閉ざされた空の彼方に
昨日 わたしが泊まった家がある
そこで
人々は笑いさざめき
夕暮れ 家路を急いで生きるのだった
幾人かの老婆たち
幾人かの女たち 若者たち
わたしを笑ってむかえた者たちよ
わたしのことは忘れていい
わたしは旅人 あなた方の村
あなたがたの家々に足跡を印する必要のないものだった
浅間の山々は噴煙が貧しくわいて
非常に貧しいわたしのこころに似ていた
非常に豊かであった山脈の彼方に住む人々よ
あなたがたは わたしのことは忘れてください
たとえわたしが
あなたがたの汚れて豊かであった生活を
忘れかねようとも
わたしは旅人
だから あなたがたを愛することはないが
村人たちよ
それは旅ゆくものたちの宿命である
●一九七一年 五月
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旅はつづきます。