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ミンディ・スミス 『Quiet Town』 ─ アルバム・レビュー
ここのところ過去の音楽ばかり取り上げてきたので、今回は2024年に出たアルバム中で最もよく聴いた個人的ベスト3から1枚を紹介したい。ベスト3のうちの2枚は過去に「新譜レビュー」として紹介したもので、ひとつはサラ・ジャローズの『Polaroid Lovers』、もうひとつはジョン・リヴェンサールの『Rumble Strip』。何れも、今どきのジャンル定義で言えば、「アメリカーナ」に分類される作品だ。
この「アメリカーナ」というカテゴリー、ウィキペディア(英語版)によれば、ナッシュビルにあるNPO「アメリカーナ音楽協会」(AMA)による定義(2020年時点)は次のようになっている。
…the rich threads of country, folk, blues, soul, bluegrass, gospel, and rock in our tapestry
カントリー、フォーク、ブルース、ソウル、ブルーグラス、ゴスペル、ロックといった上質の音楽で紡がれたつづれ織り
もっと簡単に「アメリカーナ」という言葉通りにとれば、「いかにもアメリカらしい音楽」と言えるだろう。ただ、こういったジャンル定義というのはそもそもが曖昧なもの。「ロック」の定義は?と言うのと同様、捉え方は人それぞれで良いのではないだろうか。私自身は、この「アメリカーナ」という言葉を「コンテンポラリー・アメリカン・アコースティック(あるいはフォーク)・ミュージック」と捉えている。ゆえに、ウィキペディアに載っているような、ピート・シーガーやボブ・ディランといった先人たちには当てはめたくないし、現代でもルックス先行型のカントリー・シンガーには使いたくない。また、音楽性が高くても、ロック的なニュアンスの強い、例えば、テデスキ・トラックス・バンドのような人たちには「ルーツロック」という言葉の方がより相応しい気がしている。そういう意味で言うと、今回紹介するもう1枚は、紛れもなくアメリカーナ。即ち、コンテンポラリー・アメリカン・フォーク・ミュージックだ。アルバムの主は、ミンディ・スミス(Mindy Smith)。1972年生まれの女性シンガー・ソングライターで、今回のアルバム『Quiet Town』が通算6作目となる。
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私がミンディ・スミスのことを最初に知ったのは、彼女がアルバムデビューした2004年か、その少し後のこと。当時、私はiTunes経由の無料インターネットラジオをよく聞いていた。米国発のこれらのチャンネルは、ちょうど同国のFM局のような感じで、ジャンルが細分化されている上、ほぼひたすら音楽を流してくれていたのが良かった。中でもよく聞いていたのが、「RadioIO Acoustic」というチャンネル。「アメリカーナ」という名称をその当時使っていたかは覚えていないが、まさにコンテンポラリー・アメリカン・フォーク・ミュージックを流す専門チャンネルだった。サブスクもYouTubeもまだない時代。新しい音楽を仕入れるソースとして貴重だったし、そこで気に入った曲があれば、名前を控えてCDショップでCDを探す。そんなことをよくやっていた。そうした中で気に入って購入したCDの1枚が、ミンディ・スミスのデビュー盤『One Moment More』(2004年)だった。
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最初にラジオで聞いた曲がどれだったのかは思い出せないが、このアルバムの音は私の琴線に見事に触れた。牧歌的な響きと現代的な感覚、妖精の清楚さと魔女の情念が表裏一体となったような彼女の音楽には、ある種の「幸の薄さ」を感じさせるところも含め、スティーヴィー・ニックスに通じるものがあった。バッキンガム・ニックス期からファーストソロ『Bella Donna』、あるいはフリートウッドマックの『Mirage』あたりまでの、まだアコースティックな肌触りの残る時代のスティーヴィーだ。声質こそ全く違うが、共通するのは、ヴァルナブル(vulnerable)さとそれと裏返しのような芯の強さを感じさせるところ。「ヴァルナブル」というカタカナ言葉はなるべくなら使いたくなかったが、他にピッタリと当てはまる日本語が見つからない。最も近い言葉は「傷つきやすい」だろうか。だが、それは「センシティブ」とはニュアンスが異なる。「vulnerable」には、「無防備」あるいは「無垢」というニュアンスも含まれるからだ。
スティーヴィー・ニックスにも顕著だった幽玄な情念のようなものついては、音楽的にはアパラチアン・マウンテン・ミュージックにルーツを持つと思われるマイナー調の曲の中にメジャーコードが混ざるコード進行によるところが大きいと思う。これは、スティーヴィーのほか、ある種の米白人ミュージシャンの音楽に時折現れるもので、近年ではサラ・ジャローズの音楽にも顕著だ。ミンディのデビューアルバムのトップを飾る「Come To Jesus」(アダルト・ポップ・エアプレイ・チャート32位で、現在のところ彼女最大のヒット曲)はまさにそんな1曲。ここでは、後半に登場するダン・ダグモアのラップスティールが幽玄な世界観を一層高めている。
そんなふうにして知ったミンディ・スミスだったが、このデビュー作以降、何となく聞く機会を逸してしまった。2010年代になってサブスク・ビジネスが一般化すると、iTunesの無料インターネット・ラジオが終了。CD店でこの種の音楽の新譜を見かける機会も激減し、彼女のその後の動向を意識できる環境がなくなってしまったのが大きかった(私がサブスクで音楽を聴くようになったのは、2020年代になってから)。そんな中、今年の夏頃だっただろうか、彼女の新譜が発表されることを知った。たしか、アメリカーナ系音楽メディアのSNS投稿でだったと思う。今回改めてミンディ・スミスのディスコグラフィを確認してみたところ、彼女は2012年までは比較的コンスタントに計5枚のアルバムを出していたが、今回のアルバムはそこから12年振りの新作だった。他のアーティストとのコラボレーションなど、音楽活動自体は行なっていたようだが、作品のインターバルとしてはかなりの長期間だ。
2004年以来久しぶりに見る彼女の容姿にはさすがに年の経過を感じてしまったが、肝心の音楽はデビュー作と続けて聞いても全く違和感のないものだった。アルバムは、表題作「Quiet Town」で文字通り静かに幕を開ける。かつて静かだった町に再開発の手が及び、その静けさが失われてしまったことに嘆息する歌だ。
歌の主題となっているのはアメリカのどこかの地方都市だと思うが、個人的に私の地元、京都とも重なる。インバウンド観光客向けのホテルや投資を狙ったマンション開発が進み、スーツケースをガラガラと引きずる観光客が闊歩する街だ。ただ、ミンディの場合、やるせない思いを吐露しながらも、現状に対する怒りのようなものは不思議と感じさせない。そこには、一定の経験を経てきた者だけが得ることができる、ある種の諦め、或いは達観すらあるように思える。
また飛行機よ 頭の上で轟音を立ててる
静かな町に住んでいた頃が懐かしいわ
みんな 言ったことはきちんと守り
困ったことがあれば言ってねって
本心から言っていたあの頃の町が
あなたと私はまだ恵まれてる方ね
失うものが何もなかったから
でも 賭けてもいいわ
私たちだけじゃないって
静かな町を懐かしく思っているのは
コンクリートや石造り
ああいった灰色の輪郭を持ち込んで
ここにやって来る人たち
静かな町に住んでいた頃を覚えてる?
星が街の灯りよりも明るく輝き
コオロギが日が没んだ後も鳴いていたあの頃を
まだ夢見てる 祈ってるの
残しておくことができていたらって
もっとシンプルだったあの頃
静かだった昔のやり方を
Written by Mindy Smith
Translation by Lonesome Cowboy
こうしたやるせない思いを、彼女は数多く体験してきたのではないか。そして、そこから自分なりの処世術のようなものを見い出してきたのではないか──やや舌足らずなミンディの真摯な歌声を聞いていると、そんなふうに思えてしまう。3曲目「Evrey Once In A While」で、彼女はこう歌う。
いいお天気ねって言うの
雨が降っているのは知っているけれど
何か面白いことを言うの
そうすれば 痛みを気にしなくていいから
私 時々嘘をつくのよ
そう 自分に嘘をつくの 時々ね
明日には変えてみせるって言うの
知らぬ間に 昨日のことになるわ
私 時々嘘をつくのよ
そう 自分に嘘をつくの 時々ね
きれいな顔を描くの 醜い真実の上に
そんな言葉は一言も信じないわ
でも ただそうしてるだけ
そう 時々自分自身に嘘をつくの
Written by Jeff Pardo and Mindy Smith
Translation by Lonesome Cowboy
また、ザ・バンドを思わせる曲調の「Farther Than We Should Have」では、こう歌われる。
まるでホタルのように
朝には光が消えてしまうと思っていた
物語の結末は
言葉を読む前から分かっているつもりだった
風の方に向かって
いつも耐えてきたの
そうやって嵐をやり過ごした
そしたらなぜか たどり着いたの
必要以上に遠いところまで
Written by Kevin Scott Rhoads, Mindy Smith, and Natalie Hemby
Translation by Lonesome Cowboy
今回、ミンディの経歴について改めて調べてみたところ、彼女は少し複雑な環境で育ったようだ。生まれて間もなく牧師夫婦に養子に出され、ニューヨークのロングアイランドで育てられたという。養母は教会で聖歌隊の指揮者も務めていたそうだが、ミンディが10代の時に癌で亡くなる。惜しみない愛情を注いでくれた養母の早世は、彼女にとって大きなショックだった。そして、子供時代の彼女にとっては、実の両親に手放されたという事実も心の痛みになっていたようだ。その後、養父とともにテネシー州ノックスビルに移った彼女は、そこでフォークやブルーグラスを聞き始め、ギターを手にし、ミュージシャンを志した。
そんな彼女の歌からは、傷心とともに、希望を捨てない気持ちも伝わってくる。そこにはある種の強さすら感じられる。それは、宗教家の養父母に育てられたことから来る信仰心に裏付けられたものなのかもしれない。前掲のデビュー作からのマイナーヒット「Come To Jesus」はそのものずばりのいわばゴスペルソングだが、彼女の曲に色恋を歌ったようなものは総じてあまり見受けられない。一見ラブソングと思えるものでも、どこか深淵な響きがあるし、幸薄き中で前向きに生きようとするような表現が目立つ。新作の5曲目「I'd Rather Be a Bridge」もそんな曲だ。
何日もずっと空を飛び続ける鳩の時もあれば
籠の中で歌うスズメの時もある
たいていは ただ落ちないように頑張っているだけ
私 橋になりたいの 壁になるよりは
黄金で満たされた峡谷の時もあれば
暗くて冷たい洞窟の時もある
でも たいていは 滝の下にいる
私 橋になりたいの 壁になるよりは
そう 橋はいつだって
私たちをどこかに導いてくれる
壁は私たちを隔てるもの
あなたが心を開いて
私を迎え入れてくれる方法はあるの?
Written by Kevin Scott Rhoads and Mindy Smith
Translation by Lonesome Cowboy
ミンディは、前作からの12年の間に生みの母とその家族に会うことができたという。長年そうすることにためらいがあった彼女だが、結果的にはその再会にとても感謝しているという。
”彼女の無限の愛をより深く理解できたの。彼女は自分の人生のとても不安定な時期に、私を(育ての)両親に託した。両親は、私が自分たちの子供であるということ、私を愛してるということを必ず言うようにしてくれた。それでも、自分が望まれない子だったと思うと、それは、子供時代の私にとってとても辛いことだった。でも、(実母の)クリスティーンに会って、その傷みが完全に癒えたの。彼女にも両親にも、求められ、愛されていたと分かったから”
Translation by Lonesome Cowboy
ミンディの実母クリスティーンは、この数年後に世を去ったという。実の親の家族との再会を通じて、ミンディは自分と血の繋がった家系がアパラチア山脈が連なるバージニア州南西部出身で、どんな楽器でもこなす人たちだったことを知る。ミンディの養母シャロンは、ジュリアード音楽院で奨学金を得るほどの音楽家たったが、楽器を弾いたり、曲を作ることはなかったという。ミンディにとって、実母たちとの再会は、自らの音楽的ルーツの確認でもあったわけだ。今回の新作にも、そんなアパラチア音楽の伝統を感じさせる曲が収められている。やはりアパラチア出身者の血を引くカントリー・シンガーソングライター、マトラカ・バーグとの共作「Jericho」だ。歌の内容は、旧約聖書に登場するエリコ(Jericho)の街(現在のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区内)に関するもので、キリスト教やユダヤ教に通じていないとその真意は測り難いが、一種のゴスペルソングと捉えて良いのではないだろうか。
こうした信仰に基づくような曲においても、デビュー時のような一途な思いよりはもう少し達観したようなニュアンスが感じられる。そういう意味では、かつてのスティーヴィー・ニックス的な魔女感・小悪魔感は少し薄れ、より地に足の着いた等身大の女性がそこにいるような気がする。
久しぶりに再会したかつての後輩がさまざまな経験を経て、ひと回り大きな人間になっていた──個人的にはそんな感慨を感じるアルバムだが、初めて彼女を聞く人でも、良質のアメリカーナ作品として味わえるのではないだろうか。ミンディ・スミスの歌声から、彼女の真摯な生き方が伝わってくるからだ。