Lonesome Cowboy

70年代のロック、シンガーソングライターに始まり、カントリー、ブルーグラス、ブルース、…

Lonesome Cowboy

70年代のロック、シンガーソングライターに始まり、カントリー、ブルーグラス、ブルース、サザンソウルとアメリカンルーツ音楽に根ざした音楽をこよなく愛する1966年生まれ。アメリカ音楽の数々の「聖地」を巡る旅も体験。翻訳とPRツールデザインを生業としています。

最近の記事

ローレル・キャニオンの記憶を辿る

ここ数週間、私の周辺(note内)では、リンダ・ロンシュタットに関する話題で盛り上がっている。彼女のドキュメンタリー映画『Linda Ronstadt: The Sound of My Voice』(2019年)や、1970年前後に彼女を含めたロサンゼルス・エリアの若いミュージシャンたちが一種のコミュニティを形成していたローレル・キャニオンにスポットを当てたドキュメンタリー『Laurel Canyon』(『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』2020年)をご覧

    • ダン・ダグモアの最近のインタビューと名演10選

      今回も70年代の南カリフォルニアのロックに関するお話。前回は、グラム・パーソンズとリンダロンシュタットの接点を軸に「カントリーロック」というスタイルが形成されていく過程での、実験的試みやそのルーツとなった音楽について検証した。 今回は、リンダたちが追求していた音楽が、「カントリーロック」という時空の限られたジャンルから、より普遍的なアメリカン・ミュージックへと変遷していった過程を、あるミュージシャンにフォーカスすることで掘り下げてみたい。そのミュージシャンとは、70年代中盤

      • リンダ・ロンシュタットとグラム・パーソンズの決して意外ではない接点

        前回・前々回の記事で、「カントリーロックのパイオニア」と言われるグラム・パーソンズの生涯について紹介した。1960年代末から70年代初頭のロサンゼルスで華開いた「カントリーロック」──その形成の過程でグラム・パーソンズが果たした役割は大きいが、カントリーロックは決してグラムひとりが作り上げたものではない。全米各地からこの地に引き寄せられてきた若者の才能とエンターテイメント業界のコマーシャリズムが入り混じった一種独特なカルチャーの下で、ヒッピー世代のミュージシャンたちが互いに影

        • グラム・パーソンズ、そして、ジョシュア・トゥリー(後編)

          今日「アメリカーナ」や「ルーツロック」と言われる音楽の歴史を語る際、無視できない人物のひとりがグラム・パーソンズだろう。前回の記事では、「カントリーロック」のパイオニアと言われる彼がどのような音楽をつくってきたのか、そして、そこに至るまでどのような人生を過ごしてきたのか、その断片を紹介した。今回は、彼の命をわずか26年で奪うことになった非業の死にまつわるエピソードと、その背景にある、ある場所の存在について語ってみたい。 1973年9月、2枚目のソロアルバムのレコーディングを

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          グラム・パーソンズ、そして ジョシュア・トゥリー(前編)

          前回の記事でクリス・ヒルマンとバーニー・レドンについて取り上げたので、今回は、フライング・ブリトー・ブラザーズで彼らのバンドメイトだったグラム・パーソンズについて書いてみたい。 グラム・パーソンズと言えば、今でこそ「カントリーロックのパイオニア」として一定の認知と評価を得ているが、私が彼の音楽を意識し始めた80年代前半には、まだまだ知る人ぞ知る存在だった。エルヴィス・コステロが81年に彼の曲を取り上げたりしていたが、当時は大して話題にも上らなかったと思う。そんなパーソンズが

          グラム・パーソンズ、そして ジョシュア・トゥリー(前編)

          バーニー・レドン×クリス・ヒルマン:最新の対談動画で知ったいくつかのエピソード

          先日、note仲間の音楽の杜さんが、フライング・ブリトー・ブラザーズのサードアルバムとディラード&クラークのファーストアルバムを相次いで紹介されていた。すると、まるでそれにタイミングを合わせたかのように、ある興味深い対談動画がカントリーミュージック名誉殿堂博物館のサイトにアップされた。フライング・ブリトー・ブラザーズでバンドメイトだったクリス・ヒルマンとバーニー・レドンの最近の対談だ。ご存じのように、クリス・ヒルマンはバーズのオリジナルメンバー、そして、バーニー・レドンはイー

          バーニー・レドン×クリス・ヒルマン:最新の対談動画で知ったいくつかのエピソード

          国境の町 エルパソ

          先月(2024年5月)末、ウィリー・ネルソンの新しいアルバムが発売になった。ソロスタジオ作としては何と75作目。コラボレーションも含めれば、彼が作ってきたアルバムは150を超える。1933年(昭和8年)生まれの91歳、この年齢で現役バリバリで活躍している芸能人は、他には黒柳徹子さんくらいしかいないのではないだろうか。さすがに往時に比べれば声はガラガラだが、それでも十分に伸びのある歌い方だ。しかも、若い頃とは違う、ある種の凄みすら感じさせる。 新作のタイトルは『The Bor

          国境の町 エルパソ

          44年後の感慨:ドゥービー・ブラザーズ「Keep This Train A-Rollin'」

          先日、note仲間のよっしーさんがドゥービー・ブラザーズの76年のアルバム『Takin' It to the Streets』(邦題『ドゥービー・ストリート』)について書かれた記事(下記)を読んだ後、それに感化されてマイケル・マクドナルド期のドゥービーのアルバムを順番に引っ張り出して聞いていた。 『Takin' It to the Streets』から順を追ってBGM的に何げなく聞いていたのだが、そんな中で今まで気にしていなかったある曲の歌詞が耳に留まった。それは、解散前の

          44年後の感慨:ドゥービー・ブラザーズ「Keep This Train A-Rollin'」

          【追悼】デイヴィッド・サンボーンの歌伴名演10選

          去る5月12日、日本でも人気の高いサックス奏者、デイヴィッド・サンボーンが亡くなった。78歳だった。最近も「サンボーン・セッションズ」というYouTubeチャンネルでゲストとの共演を発信していたし、コンサートの予定も入っていた。なので、私自身は寝耳に水という感じだったのだが、実はここ数年来、前立腺癌と戦っていたという。彼のFacebookページをフォローしながら見落としていたのだが、この5月4日の投稿では、「歩くのも困難なくらいの痛みが脊椎にあるため、5月に予定されていたコン

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          ブルーグラス名盤探訪『J.D. Crowe & the New South』(1975年)

          毎年新緑の季節になると、ブルーグラスが聞きたくなる。本能的なものか、その言葉の響きからくる「刷り込み」に近いものなのかはわからない。 ご承知のとおり、「ブルーグラス」というジャンル名は、この音楽スタイルを確立したビル・モンローのグループ名「ブルーグラス・ボーイズ」に由来する。1930〜40年代にかけて、スコットランドやアイルランドにルーツを持つアパラチア地域で歌い奏でられていた民俗音楽にブルースやジャズの要素を取り入れ、よりドライブ感・スウィング感のある音楽へと進化させたの

          ブルーグラス名盤探訪『J.D. Crowe & the New South』(1975年)

          ジェイムス・テイラー コンサート雑感(2024年4月6日 東京ガーデンシアター)

          ジェイムス・テイラーは、私にとって特別な存在だ。14〜5歳の頃に初めて聞いて以来40数年、ジェイムスの音楽は常に私の人生のBGMだった。20歳前後の多感な時期、彼の曲はジャクソン・ブラウンの曲とともに、私の人生の「道標」だった。「Country Road」や「Riding On A Railroad」に自分探し・アメリカ探しの旅に出る勇気をもらい、疲れた時には「Yon Can Close Your Eyes」や「Don't Let Me Be Lonely Tonight」に

          ジェイムス・テイラー コンサート雑感(2024年4月6日 東京ガーデンシアター)

          L.ヘルム/J.キャッシュ/E.ハリス/C.ダニエルズらによる出色のコンセプトアルバム『The Legend Of Jesse James』

          前回の記事でエミルー・ハリスの2番目の夫ブライアン・アハーンについて、彼が関わった70年代の作品を軸に取り上げた。一方で、エミルーの80年代を語るとき無視できないのが、3番目の夫ポール・ケナリーの存在だ。今回は、このポール・ケナリーについて、彼を語る上で鍵となるアルバム『The Legend Of Jesse James』を軸に掘り下げたい。 アルバム『The Legend Of Jesse James』(邦題『ジェシー・ジェイムスの伝説』)は、1980年にA&Mレコードか

          L.ヘルム/J.キャッシュ/E.ハリス/C.ダニエルズらによる出色のコンセプトアルバム『The Legend Of Jesse James』

          プロデューサー ブライアン・アハーンと「White Line」

          少し前にエミルー・ハリスの初期の曲「アマリロ」(Amarillo)について書いた際、彼女の当時のプロデューサーであり、その後夫にもなるブライアン・アハーンについて言及した。70年代のカリフォルニアにおいて、ロックサイドからのカントリーロックでもナッシュビル産のカントリーでもない、独自のカントリーミュージック・モデルの形成に寄与したという意味で、ブライアン・アハーンの果たした役割は大きいはずだが、その貢献度については(特に日本では)これまであまり語られてこなかったように思う。そ

          プロデューサー ブライアン・アハーンと「White Line」

          新譜レビュー:John Leventhal 『Rumble Strip』

          今回は、1月末に発表されたジョン・リヴェンサールのデビューアルバムを取り上げたい。「デビューアルバム」と言っても、彼はぽっと出の新人などではない。それどころか、プロデューサーとして19回もグラミー賞にノミネートされ、そのうち1998年にはプロデューサー&コンポーザーとして「ソング・オブ・ザ・イヤー」と「レコード・オブ・ザ・イヤー」も受賞している。90年代以降、「アメリカーナ」と言われる分野の一翼を担ってきたベテランミュージシャン。その彼が、71歳にして初めて発表した自身のアル

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          ボズ・スキャッグスとジェフ・マルダーの 一見意外な音楽的共通項

          前回、ボズ・スキャッグスの音楽的ルーツに触れた記事を書いた際、彼の実質的ファーストアルバム『Boz Scaggs』(1969年)を聞き直していたのだが、そんな中でちょっとした「気付き」があった。それは、ボズの根っこにある音楽性とジェフ・マルダーのそれとの共通点だ。例えば、アルバム『Boz Scaggs』には、一般的な彼のAORイメージからはほど遠いカントリーブルース的な要素が垣間見られる。ボズがヨーデル唱法を聞かせるジミー・ロジャースのヒルビリーブルース「Waiting fo

          ボズ・スキャッグスとジェフ・マルダーの 一見意外な音楽的共通項

          ボズ・スキャッグスの音楽を何と形容するか?

          ボズ・スキャッグスが来日する。ここのところ東京公演1回切りという海外アーティストが多い中、2月19日の東京から3月1日の福岡まで、なかなかのサービスぶりだ。ボズの来日は、1978年の初来日から今回で何と23回目になるという。それだけ彼が日本のファンに愛されているということだろう。 ボズのコンサートは今までに4回見た。最初に見たのは1983年。ジョー・ウォルシュ、マイケル・マクドナルドとのジョイントで、会場は大阪球場だった。どんな曲を演奏したかなど詳細は残念ながら憶えていない

          ボズ・スキャッグスの音楽を何と形容するか?