追悼:ゴードン・ライトフットと「Carefree Highway」
去る5月1日、カナダ出身のシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットが亡くなった。84歳だった。2020年に『Solo』というアルバムを出したときにはまだ現役で頑張っているんだと思ったものだが、改めて最近の彼の写真をネットで見てみると往時とは別人のようにやせ細っていた。死因は自然死とされているが、4月中旬に予定されていたツアーを健康上の理由でキャンセルしていたようだ。
いかにも70年代的な曲想とその影響力
私は取り立ててライトフットの熱心なファンではなかったが、それでも彼の曲のいくつかは妙に心に響いた。歌詞にじっくりと耳を傾けたわけでもなかったが、彼の曲とあのバリトンボイスには生真面目な男の寂しさや優しさのようなものが感じられた。ライトフットの曲は反戦を唱えるメッセージソングでもなければ、思い付くままに言葉を羅列する天才・ボブ・ディランのような半ば意味不明なものでもなかった。私小説のようなライトフットの曲には、ある種、70年代前半のシンガーソングライター(SSW)の音楽を象徴する趣があった。
1938年生まれのライトフットは60年代前半にはキャリアをスタートさせている。したがって、70年代に脚光を浴びたSSWたちに比べると、実際には少し先輩格にあたる。その意味では70年代のSSWの括りに入れるのは厳密には正しくない。むしろ、彼らに影響を与えた世代と捉えるべきだ。ライトフットより3歳年下(1941年生まれ)で、60年代に同じマネージャー(アルバート・グロスマン)傘下だったボブ・ディランは、かつて次のように語っていたという。
ジミー・バフェットも、自分の歌はゴードン・ライトフットの模倣から始まったという主旨の発言をしている。2017年に発表されたバフェットの無名時代(1969年)の発掘音源集『Buried Treasure Vol. One』には、「The Circle Is Small」というライフット作品が収められているが、そのアルバムにはジミー・バフェット自身がリリースに合わせてナレーションした次のようなコメントが収録されている。
ビリー・ジョエルも、ライトフットからの影響を公言しているひとりだ。アルバム『The Stranger』に収められていた「She's Always a Woman」はライトフットをイメージして書かれたといい、2019年にはあるラジオ番組で次のように語っている。
今回の訃報に接しビリー・ジョエルは、自分のインスタグラムにライトフットのヒット曲「If You Could Read My Mind」をカバーした映像を載せ、追悼の意を表していた。
「Carefree Highway」の思い出
私が初めてライトフットを耳にしたのはいつか──実はあまりよく憶えていない。彼がヒットを飛ばしていたのはリプリーズレーベルと契約していた1970年から76年頃に掛けてであり、私が音楽的に物ごころのついた70年代後半以降において日本のラジオで彼の曲が掛かっていた記憶はほとんどない。温故知新的な意味合いですら取り上げられることは少なかったように思う。
彼の曲を意識するようになったのは、おそらくアメリカに留学していた1987年だと思う。時代はMTVや打ち込みサウンド真っ盛り。当然ながらゴードン・ライトフットの曲がヒットしていたわけではない。ただ、アメリカではクラシックロック(=オールドロック)専門局や「Easy Rock」などと呼ばれていたアダルトコンテンポラリー系のラジオ局がどの町にもあり、そういった局で「If You Could Read My Mind」や「Sundown」など、ライトフットの70年代前半のヒットが時折流れていた。そんな中で特に印象的だったのが、74年のアルバム『Sundown』からのセカンドシングルとしてヒットした「Carefree Highway」だった。当時の私は(未だにそうだが)、「ハイウェイ」という響きに弱かった。ジェームズ・テイラーの「Highway Song」やジャクソン・ブラウンの「Your Bright Baby Blues」の冒頭の一節「I'm sittin' down by the highway...」など、ハイウェイを人生にたとえて旅を続ける男たちの歌に完全にやられていた。そんな中、実際にアメリカのハイウェイをひとり旅していたときに、よく流れてきたのが「Carefree Highway」だった。
当時、歌詞の細部まではよく理解していなかったのだが、夢破れてハイウェイを旅する男の歌というイメージを勝手にいだいていた(今改めて歌詞を見直してみると、そう的外れではなかった)。「Carefree」という響きもまた魅力的だった。抱えていたものを全て捨て去り、何も気にすることなく旅を続ける──そんなイメージは、ジャニス・ジョプリンが歌ったクリス・クリストファスンの「Me and Bobby McGee」の有名な一節 "Freedom is just another word for nothing left to lose"(自由とは何も失うものがないこと)にも通じるものがあった。
※ちなみに、今回YouTubeを検索していて初めて知ったのだが、ライトフットも70年のアルバム『Sit Down Young Stranger』で「Me and Bobby McGee」をカバーしていた。これは同じアルバート・グロスマンがマネージングしていたジャニスより先のレコーディングのようだ。
そんなふうに抽象的なイメージと思っていた「Carefree Highway」が、実際にあるハイウェイの名前だと知ったのは偶然だった。1988年の1月末、私はアリゾナの州都フェニックスからインターステート17号線(I-17)を真っ直ぐ北に向かって車を走らせていた。友人から500ドルで買ったオンボロ車だ。金のないひとり旅。前の晩のフェニックスでは、真っ暗な公園に車を停めてバックシートで寝袋にくるまっていたらレンジャーに叩き起こされた。向かっていたのはグランドキャニオン、そして州の中部、旧ルート66とほぼ重なるI-40沿いの町、ウィンスロウ。そう、あのイーグルス/ジャクソン・ブラウンの曲「Take It Easy」で「I'm standin' on a corner in Winslow, Arizona」と歌われた町だ。まだ比較的朝の早い時間だったと思うが、フェニックスの町外れに差し掛かったあたりで、偶然目に入った標識が「Carefree Hwy」だった。「あの曲だ!」と興奮して、運転しながらとっさに撮ったのが下の写真だ。
「Carefree Highway」が実在する地名とは思っていなかったし、たまたま同じ名前だったのかな程度に思ったまま、その時はその場を通り過ぎてしまった。今ならインターネットですぐに由来を調べるのだろうが、当時は調べる術もなかった。今回の訃報に際して、改めてネットで調べてみたところ、やはりそれが歌のタイトルとなった「Carefree Highway」そのものだったことがわかった。経緯はこうだ。当時(60年代だろうか)ライトフットは、曲のアイデアやタイトルになりそうな名前やフレーズがあると取り敢えずメモをしておくようにしていたという。そんな彼がアリゾナのフェニックス周辺を旅していたときにたまたま目にした道路標識が「Carefree Highway」だった。これはなかなかいい響きだと思った彼はその名前をメモしたものの、その紙切れは何カ月もの間、車のグローブボックスの中に眠っていたという。ある時、その紙片に気付いた彼は、そのタイトルをもとに、実らなかった恋の思い出から逃げるように車を走らせる男の姿を歌にしたのだった。
歌詞の中の「you」は、単純に解釈すれば「Carefree Highway」への呼び掛けに聞こえるが、アンという名の昔の恋人へ語り掛けているようでもあり、自分自身に語り掛けているようでもある(ライトフットは22歳の頃、実際にアンという女性に突然捨てられたことがあり、その時の思いをこの歌にしたという)。曲の構成は、ブリッジ部分もないシンプルなもので、歌詞も短いが、それゆえに「歌」をより感じることができる。美しい描写に優れ、情景をイメージしやすいのもライトフットの曲の特徴だ。そのことは、例えば、早朝のジェット機で旅立ってしまう恋人をそぼ振る雨の中で淋しく見送る主人公の姿を描いた「Early Morning Rain」など、初期の作品から変わらることのない彼の魅力だった。
地味ながらも素晴らしいシンガーソングライターだったゴードン・ライトフットに、改めて感謝と追悼の意を表したい。