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散歩の哲学

 散歩には哲学がある。と最近おもう。

 唐突だろうか。詩人・長田弘が「この世界は本である」と表現したように、いちばん身近な世界の、人々の生きていることを、それらの人々が各自で何かを紡ぎ、今この瞬間も築き上げていることを滔々と散歩は示してくれる。それは世界を読み解く行為の第一歩であるような気がする。目的地を決めずに、交差点にては選択し、脇見しながらゆったりと歩く。いつも見ているものを清新な気持ちで、じっと見つめるような、そんな行為だ。花粉と黄砂が無くなれば、もっと清らかな気もちになれそうだ。

 カズオ・イシグロは、”地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか” とインタビューで答えていた。COVIDによる急速な分断、それは「当たり前なんかない」という感覚をもたらした。僕たちが知らなければいけないのは、異郷に行って感じる差異ではなく、僕たちの最も近いところにある、”違い”だ。それは、分断された社会を解きほぐしながら、ゆっくりと繋いでゆく糸口になるかもしれない。