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#16 些事寡言

 誰の役にも立たないことを書きたい、とふと思った。まぁこのnote自体誰かの役に立っているとも言えないが、なんというか、意味のない、無産的なことが今の自分には非常に重要な気がするのだ。

 意味のない、無駄なことこそ美しいみたいなことがよく言われるけれど、それは部分的にはそうだと思う。意味のないことを積み重ね、無駄なことをすることで、いずれにせよ「意味のないことを積み重ねた」あるいは「無駄なことをした」という事実が累積するわけである。これはすでに起こってしまったことであるから、誰にも否定できない。それらの行為自体に、時空間的なエントロピーが発生する。だからどんなに馬鹿らしいことでも、意味というか事実が発生するわけである。

 僕たち(少なくとも僕)は何につけても理由を付けたり、意味を見出さないと前に進めなかったりするので、無駄な行為に名前を付けたり、意味を無理くり見出そうとするけれど、そんなことはしなくていいのかもしれない。それはただただ厳然として「存在する」のである。それだけで、なにか確固とした、励ましのような強さを感じられる時があるのだ。