「友達」という、相互同意が必要な概念。
自分には友達はいるのかもしれないが、相手はどう思っているのか分からないし、第一に友達がいて、俺はその人と何をすれば良いんだ。
友達かどうかよりも、それが本当に分からない。
友達って何をするためのものなの?
こういう事を言うと、「こじれているなぁ」と言われる事もあるのかもしれないけど、こじれてるんじゃなくて、本当に心の底から分からないだけなんですよ。
会話するという事が楽しければ、こんなこと考えないで済むんです。
人と共に過ごすという事が苦痛じゃなかったから、こんな事考えずに済むんですよ。
自分自身が拗らせずに、シンプルに「友達」という概念に考えたら。
相互同意が必要である
「楽しい」とか「楽だ」といった事が相互同意の条件である
関係には維持が必要である
状況等を差し置いて、維持できなければ、相互同意に疑問符が付く
そうなった場合、疎遠となり、相互同意の更新は永遠に延期となる
相互同意の更新がうまくいかなかった場合、「変わっちまったな」となる
…確かにこじれているように見えるのは否定できないと思ったけど、それでも、自分なりに友達について、自分的にはこう見えている。
そう考えると、「友達」という概念自体が、とても大変だと思う。
人に絶えず楽しいとか、楽だという感覚を与え続けなければならないし、それをもって自分自身でさえ楽しいとか、幸せと思わなくてはならない。
自分は、その時点でつまづいているという事だ。
人に楽しいと思ってもらえるような事が出来る自信も無いし。
だからと言って気を使ってもらわないように努力しても、それが実ってるのかさえ分からない。
ただ無視してるように感じられたりしてるのかもしれないし。
逆に、相手がそれに対して感謝していたとしても、それを察するような力がこちら側に無かったりもする。
当の本人はそんな事して全然楽しくないのだ。
苦痛、PAINです。
人と関わる事に関して、そんなモチベーションだから、結局友達なんて出来ないし、作り方も分からない。
先輩のなり方も、後輩のなり方も分からなかった。
「もっと簡単に考えなよ」と、よく言われた。
僕にとって友達は、単に、孤独を埋めてくれたり、利益をくれたりするものだ。
これがもっとも簡単に考えた、友達というものだ。
これ以上簡単に考える事は出来ない。
相手の事も、世間体の事も、常識も全部捨て去って考えたものだ。
そこから「でも人間には人格があるから」とか「気分とかあるから」みたいな事を足していっているのでしょう。
もしも「簡単に考える」という事の方向を間違えたのだったなら、こう答える。
俺は、人に興味が無い。
残念ながら、それで終わりなんだ。
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