ある地名の風景
駅へと続く名もなき坂道-大塚 otsuka-2
タイトルにある駅とは山手線の大塚駅ではなく、
地下鉄丸ノ内線の”新大塚駅”のことです。
そう、ここも紛れもなく”大塚”。
文京区大塚・・
山手線の”大塚”という駅名は
いったいどこから取ったのか。
その南北には北大塚・南大塚の町名があるものの、
ただの”大塚”という地名は
昔からこのあたりにはなかったようです。
いろいろ調べて
この駅名の元は2キロも南にある
文京区の大塚だったことが分かりました。
つまりここが本家本元。
でも、どうしてこんな離れた場所の地名を駅名にしたのか。
ここがよく分からないのですが、
山手線が計画された明治の終りころ、
当初は今の地下鉄の新大塚駅あたりに
山手線の駅を設ける予定だったようです。
ところがその後、幾度か計画の変更があり、
やっと現在地に決まったものの
駅名は最初に計画された場所の地名”大塚”を採用した・・
どうもそんなところらしいのです。
となると、この文京区の大塚に
”大きな塚”がある、またはあったのでしょうか。
もったいつけるつもりはないのですが(笑)
実は大塚一丁目にある
貞静学園という女子高校の敷地内に
かつて、枯れた榎木が立つ
高さ1.5mほどの塚があったそうです。
これが”大塚”の地名の元でした。
文京区の説明によると、
塚は昭和の初めに崩されてしまったものの、
平成12年の調査で
敷地内から竪穴式住居跡がみつかったそうです。
この塚は古墳だったのかもしれませんね。
「地名には移動する性質がある」と言われます。
伊勢の人が開拓した神奈川の伊勢原、
広島の人が北海道に入植した北広島・・
今回の大塚も理由こそ違え
ちょっとだけ移動してしまったようです。
だからいくら調べたって
山手線の大塚駅周辺には塚もなければ
”大塚”という地名も見当たらないのが当たり前。
謎が謎を呼ぶ・・
地名のそんなところが好きなんです(笑)
(文京区大塚)