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謝らない、謝れない

夫の特徴の1つに謝らないというのがある

いつも謝らないわけではなく、
自分に非があると自覚した場合は謝れる。

逆説的に言うとそのプロセスに自分自身の非がないと思えば
謝らないと言うより謝れない、
要するに謝ると言う発想がない。

夫の頑なに謝れない態度や行動を見ていて、
謝ると言う行為は自分が主ではなくて、
相手が主なんだと考えさせられる。

当たり前のことだが、私たちは日常生活に於いて、
様々な形で人と関わっている。

例えば、人と待ち合わせをしていたとしよう。
自分は時間に余裕を持って、家を出たにもかかわらず
電車の遅延、飛行機の到着遅れなど、
自分以外の要因が重なって約束の時間に間に合わなかった場合、
それは自分に非があるわけではなく、
他の要因で約束を守れなかったことになる。

こう言う例は日常よくあることなので、
夫の場合「どうやら世間一般では謝罪することでその場をやり過ごすものだ」
ということを経験から学んでいる為、謝ることができるようである。

この例をもっと噛み砕いて考えてみる。
もちろん、約束に遅れたのは本人のせいではないし、本人には非がない。
では、人はなぜ謝るのかと言うと、
主な理由として、
相手に迷惑をかけたこと、
相手に不都合な事態を招いてしまったこと、
待たせてしまったことにより、イライラさせたかも知れないし
心配させたかも知れない。
これらは全て相手の立場を考慮し、相手の気持ちを慮っているのではないだろうか。

一緒に暮らす夫婦、パートナーである場合、
自分に非がなくても相手に辛い思いや、寂しい思い、
ちょっとした言動で相手が傷つくこともあるのではないだろうか。
仕事が急に入ったとか、急遽、予定が変わってしまったとか、
家庭内の状況が相手ばかりに負荷がかかる状況だったとか。。。

それら全て自分が意図したわけではなく、
他の要因がそうさせていたと言うことが往々にしてあると思う。

しかし、それを慮って相手の気持ちに寄り添い、
或いは相手の辛さや苦しさに理解を示す態度や言葉をかけられない。

それがASD高機能自閉症を持つパートナーの辛く、孤独なところだと思う。