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頭の中に静寂をつくる
「自分を大切にする」ことを意識し始めたら、やっぱりマインドフルネスというか、「瞑想」というのが、浮かび上がってきた。
仕事初め
年末年始は幸せだった。家族以外、ほとんど誰とも会わず、ゆっくり休むことができた。こんなことがやりたい、あんなことをしたら楽しそう。自分の思いに向き合えて、「自分」に集中できた。
いつもより遅めの仕事初め。ゆったりとしたスタート。いろんな人にあいさつをした。
特に何か起きたわけではないのに、また、うっすらと何とも言えない「後ろめたさ」が戻ってくる。
年末年始は、忘れていたのに。人に会うと戻ってくる。
後ろめたさと「みんな」目線
これは一体、何だろう。なぜ「後ろめたさ」みたいに感じるのか。
頭の中が、うるさくなっていることに気がつく。
また、誰のだかわからない目線で、自分のことを見ている。
自分がつくりだす「みんな」の視線。
自分の振る舞いは「間違っていなかったか」。
反省会を始めている。
人と違うことがバレないように。
ちゃんと「普通」に化けれてるか、振り返る。
油断して、しっぽが出てしまっていないだろうか。
ひとり反省会は、もう要らない
自分と向き合うようになって、「そういうのは要らない」と知った。
もう長年、続けている、この癖。ひとり反省会。
ついつい、自分に批判的な他の誰か目線で、自分を振り返ってしまう。
でも、もう、「自分だけでいい」。
自分に集中して、自分を大切にする
自分を大切にするためには、「ひとり反省会をやめる」が重要だと感じている。
まずは、「あ、今、他の誰か目線になっている」と気づくところから取り組んでいる。つい自分より他人を優先してしまう。
モヤっとしたり、頭の中がうるさく感じたら、「本当は自分は何を感じているか、どう思っているか」に目を向けるようにする。
そういうとき、だいたい頭に血が上っている。気が頭に上っている。
だから、深呼吸をしてみる。
へその下から足の付け根あたりに、しっかり空気を送るよう意識してみる。
そして、自分に集中する。
「本当は、どうでもいいと思ってるんだ、私」とか。「あの人のことが大切なんだ、私」とか。単純に「疲れてるな」とか。
今まで見て見ぬふりをしていることにも、気がつけるようになってきた。
瞑想って
やたら瞑想の本が目につくので、少し読んでみた。
「瞑想をして、何をしているのだろう」と思いながら。
「今、ここ」に集中する、という言葉は、何回も目にしている。でも、いまいち、体感としてわからなかった。
でも、いろいろ読んでいるうちに、「自分の頭の中がうるさい」ことに気がついて。これを止めようとするのに「瞑想」がいいんだ、と、腑に落ちた。
頭の中の静寂
朝起きた瞬間、職場からの帰り道、ちょっとした隙を見つけては、頭の中を静かにしてみる。決して、完全な静寂は訪れないのだけれど。
「自分の頭の中に、静寂をつくりだそう」と意識してみると、なにやら、とってもいい感じ。自分を大切にする感じが、すーっと現れる。
緩ませる、余白をつくる
頭も体も、緊張しまくりで、カチコチだな、私!
頭の中が少し静かになって、少し余白が出てきたら、なんだか気持ちいい。身体も緩ませてあげたくなる。
なんか、そんな風に過ごしてみている。