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楽しんだり面白がったりしたい

自分と向き合うようになって、「自分は一体、何をしにここに来たんだろう」みたいなことを考える。

自分の使命みたいなものを知りたい。
「天命」という言葉を知ったときに、そう思い始めたのかも。

楽しみに来ている

最近思うのは、自分は「楽しみに来ている」んだな、と。

自分の人生、特段つらいこともなく、大きく困ることもなく、ふわ~っと生きている自分って、どうやねん!と感じることもあった。何もしていない自分が後ろめたいような。

何か遣わされた使命・天命のために生きれたらいいのに、と願ってしまう。

いったん、自分で使命を決める

「いったん、自分で使命を決める」のが大事と耳にした。

さらに、「単に楽しむことが使命の人もいる」と聞いた。「観光しに来ている」んだって。その場所ならではの風景や経験を楽しみに来ている。

なんとなく、心に残っていた言葉だけれど、少しずつ心に浸透して、やっと自分もそうかもしれないと受け止め始めた。

ついつい思いつめたり、焦ったり、「このままではダメだ」みたいに思いがち。でも、「今を楽しむ」をいったん、自分の使命にしてしまおうと思う。

「自分を大切に」を意識するようになって、ますます「今を楽しむ」「私が楽しむ」が大事なんだな~と感じている。

しっかり自分を楽しめるようになったら、きっと、次の使命が見えてくる。

オンラインお茶会

「人のために、私は何ができるだろうか」と考える。

でも、まだまだ自分を大切にしきれていないと思われる私は、「誰かのために」に全振りできない感じがする。心に引っかかりを感じる。

「オンラインお茶会をやる」というのが、近々の目標というか、イベントというか。ゆくゆくは自分の「当たり前」にしたいことだと感じている。

オンラインお茶会のことに思いを馳せていて、ついつい、「私が、あなたのために」みたいな姿勢になるのを感じる。でも、そうじゃない、と感じる自分もいる。

もちろん、誰かの役に立ちたい。私でできることであれば、いくらでもお役に立ちたい。

でも、そこには「一緒に成長したい」とか、「一緒に楽しみたい」が含まれているように思う。

もう少し「自分を大切にする」を実行していたら、何かピンとくるものが見えてくるような気がしてる。

面白がる

ふと、「面白がる」は私の使命かもな、と思う。

人とは違うものを面白がる私だからこそ、できることがある。

長年、付き合ってくれる友人たちが連絡をくれる時。人には簡単に理解されにくいようなことや、人とは違った方向から考えているとき。そんな時に、私にお声がかかる気がしている。

「誰かのために面白がる」?
ちょっとよくわからないけど、とりあえず言葉にして置いておこう。
なんだか、そっちの方向って直感が教えてくれる。


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