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「歯が痛い」で学んでること
また、ふと気がついた。
「そのままでもいいよ」ってことなのか。
*
歯が痛くて。頭が痛くて。
歯医者には通ってるけど、様子見しながらなので、すぐには解決しそうにない。
(もちろん、早く何とかして!と言えば、対応してくれるけど、私自身が今は様子を見ている)
やっぱり、私は何を学んでいるんだろう、と考えてしまう。わたしはこの「歯が痛い」で何を学んでいるのか。
そして、ふと思った。
そうか。「内側の私のままでもいいんだよ」を体験してるのか、と。
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痛みがつらくて、わーっとなりかけたとき。自分が「コントロール」しようとしてることに気がついた。
どうにかできるわけでもないのに、抗って、足掻いて、悶えて。
なんとか痛みから逃げようと必死だった。痛みを無いものとしようとしてた。
でも、「痛いままでもいい」と気がついた。
*
痛み止めをのんだりもするけど、痛いまま過ごしてみる。
痛みを感じてる私は、そこに居るだけで精一杯。ただ、そこに居る。
いつもみたいに、なんでも覚えていられない。
いつもみたいに、にこにこ笑っていられない。
いつもより増して、気を遣えない。
いつもより増して、斜め上の答えを言ってしまう。
あぁ、今まで努力して身につけてきた技術が活かせない。私の「ちょっと変」なところが隠せない。空気を読むのを忘れてしまう。
一通り嘆いたところで、気がついた。
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私、「そのままでいいよ」を学んでるのか~。
今まで、ひた隠しにしてきた「内側の自分」。
ひとり反省会では、いかに自分が隠せているか、隠せていなかったかを、他の人目線で確認している。
一生懸命、「内側の自分」を見せないようにして、「普通」を装おうとしてる。
まぁ、大概、隠しきれてなくて「ちょっと変わってる人」って認識されてると思うけど。
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まわりの人を一生懸命見て、バランスとって、「最適」を実行し続けて出来上がった「外側の自分」。
「外側の自分」は、社会に適応しようとする。上手くいくよう、「最善」を尽くす。
最適、最善、最高を狙っている。
で、「最高」でないと、ちょっと落ち込む。不安になる。
外側の自分であって初めて、自信を持てる。
内側の自分では、自信が持てない。
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常に痛みを感じていて、「外側の自分」という鎧を着る暇がない。着たと思っても隙だらけ。
失敗もする。愛想もイマイチ悪い。ちょっと迷惑もかける。なんかうまく行かないこともある。
でも、まぁ、それでもいっか~と思えてる。
そんな私も悪くない。
そういうことを、学んでいるのかもしれない。