見出し画像

「歯が痛い」で学んでること

また、ふと気がついた。
「そのままでもいいよ」ってことなのか。

歯が痛くて。頭が痛くて。

歯医者には通ってるけど、様子見しながらなので、すぐには解決しそうにない。
(もちろん、早く何とかして!と言えば、対応してくれるけど、私自身が今は様子を見ている)

やっぱり、私は何を学んでいるんだろう、と考えてしまう。わたしはこの「歯が痛い」で何を学んでいるのか。

そして、ふと思った。

そうか。「内側の私のままでもいいんだよ」を体験してるのか、と。

痛みがつらくて、わーっとなりかけたとき。自分が「コントロール」しようとしてることに気がついた。

どうにかできるわけでもないのに、あらがって、足掻あがいて、もだえて。

なんとか痛みから逃げようと必死だった。痛みを無いものとしようとしてた。

でも、「痛いままでもいい」と気がついた。

痛み止めをのんだりもするけど、痛いまま過ごしてみる。

痛みを感じてる私は、そこに居るだけで精一杯。ただ、そこに居る。

いつもみたいに、なんでも覚えていられない。
いつもみたいに、にこにこ笑っていられない。
いつもより増して、気を遣えない。
いつもより増して、斜め上の答えを言ってしまう。

あぁ、今まで努力して身につけてきた技術が活かせない。私の「ちょっと変」なところが隠せない。空気を読むのを忘れてしまう。

一通り嘆いたところで、気がついた。

私、「そのままでいいよ」を学んでるのか~。

今まで、ひた隠しにしてきた「内側の自分」。

ひとり反省会では、いかに自分が隠せているか、隠せていなかったかを、他の人目線で確認している。

一生懸命、「内側の自分」を見せないようにして、「普通」を装おうとしてる。

まぁ、大概、隠しきれてなくて「ちょっと変わってる人」って認識されてると思うけど。

まわりの人を一生懸命見て、バランスとって、「最適」を実行し続けて出来上がった「外側の自分」。

「外側の自分」は、社会に適応しようとする。上手くいくよう、「最善」を尽くす。

最適、最善、最高を狙っている。

で、「最高」でないと、ちょっと落ち込む。不安になる。

外側の自分であって初めて、自信を持てる。
内側の自分では、自信が持てない。

常に痛みを感じていて、「外側の自分」という鎧を着る暇がない。着たと思っても隙だらけ。

失敗もする。愛想もイマイチ悪い。ちょっと迷惑もかける。なんかうまく行かないこともある。

でも、まぁ、それでもいっか~と思えてる。

そんな私も悪くない。

そういうことを、学んでいるのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!