noteに書いた内容を人に話す
職場の食堂に行くと、だいたい一人で昼ご飯を食べるのだけど、混んでる日は、誰かと相席することになる。
久しぶりに相席した人たちと、とりとめのないことをしゃべっていた。子どもの話になって、誰かが、子どもがじっとしていない、という話をした。
「アウトドア用のワゴンに、子どもを乗せて引っ張って歩いている家族っているけど、うちの子は、勝手に抜け出して、振り向いたら乗ってなさそう」と言っていた。激しく同意。うちの下の子たちも、じっと乗っていられない。というか、じっと乗っていられないんじゃないか、と親が思ってしまう。
「でもさぁ、自分も子どもの頃、突飛なことをしてたよね」とその人が言う。「深い側溝に入って、金網の下にもぐって、空を見上げたりしなかった??」と。
私も溝にもぐってたことがあるな。水が流れていなかったり、ちょろちょろ流れている溝に入り込んで、金網や鉄板の下をくぐって、探検していた記憶がある。
山の中で育った私は、わざと山奥で道に迷ったこともある。全然予想していない場所に出て、おおっ、大冒険したわーと思ってた。他の人も、「山の中ではないけど、わざと道に迷うのやったことある!」と言っていた。
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そう。子どもが冒険したと言えば、、、と、次女が警察に保護された話をした。そこに居た人はびっくりしたものの、面白がって聞いてくれた。
警察からの電話ってさー、何も悪いことしてなくても、ドキッとするよね!
困ったときに大人に相談したのは、やっぱりすごい「生きる力」だと思う!
私は、この事件をどう捉えていいものか、複雑な思いを抱えたままだった。でも、noteに書いていたので、わりとまとまった話し方ができたと思う。noteに書いてなかったら、どう話をしていいかわからず、なんとなくグダグダしてしまってたんじゃないかと思う。
人に話すことで、またストレス発散になるというか。面白がってくれるし、わりとその人たちも同じような経験をしそうと感じれた。びっくりして引かれないで済んで、話を共有できたことで、関係性が深まる感じ。
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以前にも食堂で、次女が大きな公園で迷子になった話をしたことがあった。「あの子のことだよね!」と覚えてくれてる人がいて。「うちの子もそうだけど、同じことを繰り返しがちだよね~」と。
また、身に染みる。そう。これは、繰り返し起きることなのです。だから、そういう子だ、と良い意味であきらめる必要がある。
あくまで「前向きなあきらめ」です。いちいち驚いてストレスを抱えるんじゃなくて、「そう、そういうことが起きるのよ」と大きめの心で構えておく。
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こんなことがあったんです~と話すことで、共感してもらえたり、フィードバックがあって前に進んでいける。
noteがあるからこそ、私は人に話せていると思う。
note内での関わりもありがたい。noteに書いたことで、人に話せるようになるのもありがたい。
そんな感じです。