ベリーバトゥン
2019年3月1日。禁酒1日目。
2019年3月8日。禁酒一週間達成。
2019年3月11日。禁酒10日達成。
2019年3月15日。禁酒二週間達成。
2019年3月16日。禁酒半月達成。
2019年3月21日。禁酒20日達成。
2019年3月22日。禁酒三週間達成。
2019年3月26日。禁酒25日達成。
2019年3月31日。禁酒30日達成。
2019年4月1日。禁酒1ヶ月達成。解禁。以下また半年間のスリップ。
2019年10月1日。禁酒1日目。
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「競技だってさ、クソくらえ。たいした競技だよ。
もしも優秀な奴らがずらっと揃ってる側についてるんなら、人生は競技で結構だろうよ ― そいつは僕も認めるさ。ところが、優秀な奴なんか一人もいない相手方についてたらどうなるんだ。そのときは、人生、何が競技だい?とんでもない。競技でなんかあるものか」
1日4缶、1.4リットル、608円。
ひと月で18240円の出費です。以外と安い趣味。
そろそろ禁酒するぞ。体がボロくなってきた。傷が治りにくくなった。傷跡が残るようになった。指と顔。DNAにダメージ。脳細胞にだめーじ。新陳代謝が追いつかず、修復の精度が落ちた。老いた。老いている。ニキビだけはこれまでの人生一度もできたことがなかったのに、最近おでこがブツブツでいっぱいになってきた。ニキビ予備軍みたいなやつら。まだ目立たないが、光をかざすと見える、皮膚の裏であいつら、気色悪い。おでこのニキビはなんですか?調べたら、「質の悪い食事」「肝・腎機能の低下」「ストレス」が原因だという。ダメージダメージの蓄積。1ヶ月でどれだけ修復・改善されるのか、ちょっと確かめようと思う。しかし1日4缶くらいなら、一生健康に飲める気がしていたのに、これでも多いんですか。飲んでいるのがビールでなく、質の悪い酒だからというのも大いにありうる。蝿の王、ストロングゼロ。
ドラッグに種類と効能の違いがあるように、もちろんお酒にも酔い方の違いというものはあります。最近は1日に飲む4缶のうち、半分はサッポロ 99.99(フォーナイン)に変えている。これもストロングゼロと同じ152円で9%なんだけど、酔い方がワインみてえにスマート。スマートすぎてつまらないんですな。「これじゃ9%の意味ないっすよ、てか9%の酔い方しないのに9%ってこれ哲学っすよ」とか一人で喋り出したくなるほど賢い酒である。飲んでて罪悪感がない。スリルがありませんね。健康に良さそうなのでしかたなく飲みますけど。
ほかにも少し値は張るがサントリー角ハイボール濃いめ9%がある。これはいっつも一口飲むたびにゲロ吐きそうになる。喉の奥が拒否する。慣れないものか。特訓のつもりで飲んでいる。最近は「10口に1回えずく」くらいの頻度まで少なくなってきたが、どうしてもえずく。酒が苦手なんですね。
角ハイボール系の酔い方もやはりそれほど面白みがないというか、こうゆったり加速していく感じがもどかしく、チェッ玄人好みだぜとホールデン・コールフィールドになりたくなっちゃいます。そうするとヤツが恋しい。あの悪ガキが。あのキテレツ、爆発的な酔い方のストロングゼロが。これで見れる景色、酔い方、ものの捉え方というのは、ほかの良質な酒とは一線を画すと、キムタクも言ったか言わないか(最近キムが如くはストロングゼロ柑橘系にいまさらハマってきてるそうで新しい地図、という感があります)それくらいに異常な魅力というものがありますね。
『でも、仕事の種類なんか、なんでもよかったんだ。誰も僕を知らず、僕のほうでも誰をも知らない所でありさえしたら。そこへ行ってどうするかというと、僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。誰かが何かを僕に知らせたいと思えば、それを紙に書いて僕のほうへおしてよこさなきゃなんない。そのうちには、そんなことをするのがめんどくさくなるだろうから、そうなれば僕は、もう死ぬまで誰とも話をしなくてすむだろう。』―――(P308-309より)
「一口目はあめ〜!と思う。慣れてないと歯磨きたくなるくらい激甘。そんで脳天にガツンときてジワジワ毒が回ってくる感じ。だいたい3缶目くらいからウヒョー!ってなる。視界がグラグラしてボヤけて耳が遠くなったり近くなったり、耳にもピントあるんだって感じで。あーアメリカの飲み物かと思うほどのゲロ甘のポップ。ジェリーフィッシュのファーストみたいな感じ。ベリーバトゥン。90年代パワーポップバンド。」
街歩くゴミへのインタビュー。
♪That Is Why/Jellyfish
ストロングゼロの魅力。
「悪酔いする」ということである。これは欠点でもあり魅力でもある。二律背反です。
キツイアルコールをガキでも飲めるように激甘にして提供する。ほとんどヤリサーの手口のような飲み物です。この豪快さととろけるような甘さの両立。いや、二者屹立といってもよい。ノイズとポップ。キングと女王。なにより時代の飲み物である。
ゴッホはアブサンを飲んで絵を描いた。
太宰治は電気ブランを飲んだ。
どちらも大衆的な飲み物(飲み方)である。大衆を知らずしてなにが作家か!(おれは作家じゃないが)芸術家は時代の落とし子となれ!(おれは芸術家ではない)つまりは大衆を知るためには、時代を知るということには、ストロングゼロを飲まなければならないと、こう君に言っているのだよ(急に語り出したぞ
麻薬か福祉か、虚無の酒。
素晴らしいコピーである。エンタの神様で呼び込みされそう。
Wikipedia~2014年12月からは、「-196℃ ストロングゼロ ダブルレモン」のアルコール度数を8%から9%に変更した[5]
自慢じゃねーけど、おれちょうどこの境目を知ってるんだよドャァ(ほんと、自慢じゃねえ)
ちょうどもう死んだ彼女がおれの家の目の前のドラッグストアでバイトを始めて、おれの家に入り浸り半同棲みたいなことになった時期。その頃夜はそのドラッグストアで始めは氷結6パーから飲むようになって、8パーが置かれるようになったぞ?お、9パーもでやがったなおい!すげえなコスパ!コスパコスパ!!!!と時代の潮流に波乗りして酔ってた。彼女が悲しんだりウザい時は深夜3時に家を出て、ケータイショップの駐車場で一人で隠れて飲んでた。3缶目あたりから狂ってくる。脳に新しい生物が生まれて大きくなっていく感じで、なんかこう、圧迫される感じで、体感として酔っているというのがわかりやすかった。痛みがないと気持ちよくない、というマゾみたいなことを覚えた。
ストロングゼロストロングゼロ言うとりますけど、別にストロングゼロばっかりがストロングゼロていうわけでもなあんやで。キリンザストロングちゅうものもあんねや。これがえろおうまくてな。だいたいわしらパッケージが嫌いやなあ。ストロングゼロて黒字にあんな安い雰囲気のん。体に悪いんのん丸わかりじゃのん。さけえ、それよらも少しシュッとした感じのキリンザストロング、これのホワイトサワーゆうのがごっそうや。ちょっと遊戯王カードぽいやろ?デュエマぽくねけ。
ストロングゼロのメイン張ってるダブルレモン、ダブルグレープフルーツ、ドライ。なかでもダブルグレープフルーツがこれ、時代の象徴の飲み物である。飲めばすぐに現代の痛みというものがわかるだろう。ガチを感じたくば、ダブルグレープフルーツ味を求めよ。キツいワキガのような酸味が君を鼻から脳天までよわらせてくれるだろう。ポールトーマスアンダーソン監督に『ザ・マスター』という映画がある。そのなかで主人公のホアキン・フェニックスが作る緑色の自己流カクテル、これは「飲むと失明する」と言われているほど強烈な酒なのだが、このカクテルの味、おそらくストロングゼロのダブルグレープフルーツに似ているんではないかと、おれは完全なる妄想をする。完全なる妄想だ。完全なる妄想だぞ。
「君がいま、堕落の淵に向かって進んでると思うと僕は言ったが、この堕落は特殊な堕落、恐ろしい堕落だと思うんだ。堕ちて行く人間には、さわってわかるような、あるいはぶつかって音が聞こえるような、底というものがない。その人間は、どこまでも堕ちて行くだけだ。世の中には、人生のある時期に、自分の置かれている環境がとうてい与えることのできないものを、捜しもとめようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな。いやむしろ、自分の置かれている環境では、捜しているものはとうてい手に入らないと思った人々と言うべきかもしれない。そこで彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。実際に捜しにかかりもしないであきらめちまったんだ。わかるかい、僕の言うこと?」(P292)
(追記、こないだ12%の狂気の飲み物スーパーストロングゼロのグレープフルーツ味を飲んだが、ゲキマズでシビれた。ホアキン・フェニックスが作ってた「失明するカクテル」はたぶんこっちのほうが似てるだろう。)
おれは正直3つとも飲み飽きてもうオアシスにおけるワットエバー、ドントルックバックインアンガー、ニルヴァーナにおけるスメルズ、グリーンデイにおけるアメリカンイディオットという感じで飽き飽きしてもう好かん。だいたい新商品の赤色っぽいやつばっか飲んでる。「桃 ダブル」とか「まるごとアセロラ」とか。ストロングゼロはいいかげん危険なので1日2缶までが健康ラインだろう。3缶、4缶目あたりになると記憶を保ってられない。理性を保ってられない。ストロングゼロの唯一の救いは酔いが猛スピードで回って連続飲酒が不可能な点だろう。アル中とは連続飲酒状態によって引き起こされる。ビールや焼酎お湯割などの軽めの酒を常時体内に摂取し続けているのが連続飲酒状態であり、ストロングゼロの強烈な酔いはそれに向かない。バーッと一気に狂ってアトラクションのように酩酊、気絶へと至る。飲むスピードやどれだけ意識を保とうとするかによって変わってくるが、基本的に連続飲酒をするにはキツすぎる酒だ。長時間チビチビとという飲み方には向かない。仕事が終わって家へ帰る前にちょっとボウリングでもしていくか、といった感覚の酒である。スポーツである。自我の溶解、それを観測しようと努めるもう一人の自分、さらにそれがドロドロに溶けてしまうまでのほんの一瞬、理性のギリギリ残った一瞬間、そのとき見える景色感覚というものは筆舌に尽くしがたい。それではみなさん、いざめくるめくストロングゼロの世界へ。混迷の現代を導く152円のトリップワールドへ、どうぞ。
「いまにも君も自分の行きたい道を見つけ出さずにいないと思う」
「そのときには、そこへ向かって出発しなければならない。しかも、すぐにだ。君には一分の余裕もないんだから。君の場合は特にだ」
「君は、人間の行為に困惑し、驚愕し、はげしい嫌悪さえ感じたのは、君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない、それを知って君は感動し、鼓舞されると思うんだ。今の君とちょうど同じように、道徳的な、また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに、その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君はそこから学ぶことができるー」(P295)
誘っておいてなんだけどおれは辞めるよ。1ヶ月はよす。禁酒は3月からはじまるのであと4日、存分に酔っ払い、下地を作っておく。敬具。
この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。
拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智えいちよりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂たましいをころし得ぬ者どもを懼おそるな、身と霊魂たましいとをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬いけい」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂へきれきを感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈はずです。不尽。
ご質問は、『拝復。気取った苦悩ですね。』から、『このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。』まで、と云う部分でしょうか。
あくまで私見でですが、まとめてみます。
先ず、手紙の送り主は、何かしら行為をなすことも無く、いざそれを実行しようとすると、トカトントンと音が聴こえる、との事でした。
太宰はそれを『気取った苦悩』、と捉えて居ます。
実行もせず、凄まじく格好悪いところを人に見せない様に、格好つけて物事から逃げて居るから聴こえるんだ、と云う事ですね。
あの音を、失敗を畏れる一種の強迫観念なんだろうと思って居る訳です、太宰は。
『真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。』
これもやはり上の意見の補強です。
頭の中でこねくり回してるだけでなく、勇気を出して実行してこそ、本当の思想は得られますよ、ってことですね。
…例えば、質問者様も『火は熱い』と云う事はご存知でしょう。
でも実際に火にあたった事の無い人は、知識では『熱い』と分かっていても本当の『熱いと云う感覚』を知らない訳ですね。
それではやはり、本当の意味で『火は熱い』を理解して居るとは言えない訳です。
理解するには勇気を出して火に近付かなければならない。
この文章で太宰は、知識よりも勇気を出した結果としての思想を求めて居る訳です。
『「身を殺して」〜意にちかいようです。』
上記の様に考えると、マタイ十章、二八は「たとえ何か行為をしていても内心逃げている者は敬う必要は無い。むしろ身も心もその物事を理解する為に、投げ捨てられる者を敬いなさい。」と云う意味だと読み解けます。
長文失礼しましたが、以上の点を念頭に置いて、再読してみて下さい。
しかし、ゲヘナはすでにここにやあらむ?