不名誉な状態にある私たち人間のからだ

「実際、この件は人間のからだという件においてさえ見てとれる。人間のからだは、最初は今あるようなものではなかった。病気にかかることも、痛みを覚えることもなかった。今のようなもろい存在でも、使徒が「私たちの卑しいからだ」(ピリピ3:21)と呼ぶものでもなかった。今の私たちのからだは、どれほど良い状態にあってもきわめて貧弱で、腐敗の要素を宿している。肉体的に人間は不名誉な状態にある。だが、本来は不面目なものとして創造されたわけではない。原初の人間は、そのからだにおいてさえ美しく、完璧で、ある種の栄光を帯びていた。しかし、堕落したとき人間はあらゆる点で堕落した。原初の栄光は、人のあらゆる部分から ― その霊と魂とからだから ― 離れ去った。人間の全体がもはや、本来あるべき状態ではなくなった。」
ロイドジョンズ ローマ書講解8:17~8:39 『聖徒の最終的堅忍』[1. 救いの目的](D・M・ロイドジョンズ 著 渡部謙一 訳 いのちのことば社)より


人間が病気にかかったり

痛みを覚えたり

老い衰えて死にゆくことは

本来当然のことではなかった

堕落した人間はいくら努力しても

それらを避けることはできない

人間はそれを当然のことと考え

堕落の結果であることを認めようとしない

ああ 人間の堕落の嘆かわしさ

ああ 痛ましい私たち人間のからだ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?