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【H】兵庫県知事選 斎藤元彦前知事がなぜ勝利すべきなのか?斎藤前知事が「白か黒か」についての私的な論点整理

兵庫県知事選が異様な盛り上がりを見せている。まず選挙をめぐる状況を概観し、その後、斎藤前知事が「白か黒か」という問題について考察したい。


1、兵庫県知事選をめぐる状況の概観

そもそも最近のマスメディアの選挙報道は、公職選挙法を意識して公平・中立を重視するあまり、総花的で当たり障りがない。さらには、特定の陣営を有利にしたり不利にしたりする情報の報道を差し控えるなど、本末転倒、ほとんど無意味になってしまっている。なぜ無意味かといえば、そこで差し控えられたものこそが、有権者が判断の前提として知るべき情報だからである。

今回はそれに輪をかけて酷い状況だ。いつものように無意味な選挙報道を展開していることに加え、選挙前にメディアは一方的な報道を展開していたのだ。いつもはただ「透明」なだけだからまだいいのだが、今回は選挙前に「真っ黒」に塗り固めておきながら、その後はまったく「透明」というわけで、ただ「真っ黒」だけが透けて見えるという状況なのである。

ただ、今回は、この状況に風穴を開ける存在がある。2024年7月の東京都知事選以来、明らかにネット選挙は新しい次元に到達した。都知事選で元安芸高田市長の石丸伸二は、都内各所で短い街頭演説を多数開催し、その動画を多くの人に撮影してもらうようにした。それが短く編集された「切り抜き動画」として、Tiktok、Youtube、Xなどで多数拡散され、「バズり」、支持が広がっていくという新しいネット戦略を展開した。

このネット戦略は、その後、体系化されたビジネス、あるいはむしろ産業というべきものを生み出した。この産業は常に推すべき政治家を探している。石丸が終わったら、次は高市早苗、その次は玉木雄一郎、そして、その次は…「斎藤元彦」というわけである。

ただ、この産業も、何も推すべきところがなければ推すことはできない。今回、斎藤元彦が推されるべき対象として浮上してきたのは、立花孝志の参戦が大きいだろう。立花は持ち前の発信力を生かし、「斎藤元彦は悪くなかった」論、「斎藤さん疑ってました、ごめんなさい」選挙を展開。秘密会として開催された百条委員会の流出音声の暴露など、センセーショナルな発信でマスメディアの作り出した「真っ黒」のなかに、まずは一点、「空白」を作り出したのである。

問題は、その「空白」が「純白」なのかどうかであるが、この産業は、それを「純白」とみなし、拡散体制に入ったとみてよい。その「純白」を前提とした場合、全てが違って見えてくる。そこでの主導的な問いは、ある週刊誌記事のタイトルにあるように「斎藤元彦はなぜ諦めないのか?」だ。

この「純白」からの「問い」を経て立ち上がってくるのは、改革派リーダーとしての斎藤前知事の姿だ。斎藤前知事は、1000億円の県庁舎建て替えの凍結、自身の報酬カット、外郭団体への天下りの年齢制限の厳格化など、阪神大震災を経て依然として財政状況が厳しい兵庫県の現状に鑑み、いわゆる「既得権益」に切り込む改革を行い、そこで生み出された財源を未来を担う子どもたちのための予算に振り替えてきたというのだ。不妊治療の支援、県立高校のクーラー設置やトイレ改修、そして兵庫県立大学の無償化等々である。

このストーリーによれば、この改革過程のなかで、斎藤前知事と、一部の県議や幹部職員などの「既得権益」との対立が発生、3月に西播磨県民局長によってばら撒かれた告発文書は、クーデターの号砲であった。その戦いは、この告発文書の内容を検討する百条委員会へと展開。百条委員会開催直前に告発者である局長が自殺したことを奇貨として、クーデター派は徹底した知事批判を展開、これに呼応する形でマスメディアも斎藤前知事をパワハラで部下を自殺に追い込んだ悪人とする報道を繰り広げ、全会一致での知事への不信任決議の可決というクーデター成功への道が開かれたのである。

「斎藤元彦はなぜ諦めないのか?」。このストーリーによれば、それは斎藤は、自分がやってきた政策は正しく、自分の改革を後戻りさせてはならないと信じており、また告発文書以降生じた様々な問題についても、自分には根本的な非はないと信じているからであって、これほどの袋叩きにあっても、その信念を曲げていないからだ。

このストーリーは多くの人々の心を捉え、対抗馬の稲村和美候補を60年政権交代がなかった兵庫県政の「既得権益」層の神輿と認定、それを既存政党や県議会議員、マスメディアが担いでいるのに対して、ネットを使って草の根の人々が真実のストーリーを知り立ち上がっているという構図が生まれた。立花孝志の言葉を使えば、これは「ネットとテレビ」「真実とデマ」「正義と悪」の戦いなのである。

だが、ここで考察されるべき問題は、このストーリーの前提になっている、この斎藤前知事をめぐる「空白」が「純白」であるかどうかだ。私の結論は、「純白」まではいかないまでも、「白よりのグレー」だというものだ。そして複数人による事前の綿密なクーデター計画まであったかは定かではないが、秘密会の流出音声から、告発者の局長にはクーデターの意図はあったし、事態の経過からして、それに便乗して知事を追い落とそうという県議たちが存在したことはほぼ間違いないと思われる。

つまり、そこには半ば陰謀めいた政治闘争があり、私たちの眼前に広がる「真っ黒」はその政治闘争の一帰結に他ならない。だから、私は、ここで一方的に斎藤前知事を「真っ黒」としたままで、この選挙が終わることはあってはならないだろうと思う。それは斎藤前知事の是非をめぐってすでに生じている兵庫県の分断を固定し激化することになるからである。

必要なことは、百条委員会や第三者委員会の結論が得られていないため、そもそも現段階では行われるべきではなかった今回の選挙で、斎藤前知事が勝利し、その上で客観的な結論を得ようとする努力が各方面で行われることである。

以下では、この主張の前提となる「白よりのグレー」という結論にいたるべく、いくつかの論点を検討しよう。

2、公益通報者保護法をめぐる諸論点

まずは事実を確認する。

3月に局長は告発文書をメディアと県議会議員に配布したが、その後、その告発文書の存在が知事らの県幹部に知られることとなり、知事らは配布者の調査を開始。局長の公用PCより告発文書を発見し、局長の処分に動いた。局長は、これを不服として4月に改めて県の内部通報窓口に対して告発を行った。

次に、この事態の解釈に移る。

4月の内部通報は公益通報として保護されているが、問題は3月の告発文書の外部配布だ。処分はこの3月の告発文書に端を発するものだからだ。これは公益通報であり、保護の対象であり、処分は不当なのだろうか。

公益通報の要件として、その通報が「不正の目的でない」こと、そして、外部通報の場合には、保護される要件として「真実相当性(真実と信じるに足る相当の理由)」が必要とされる。

偽証に禁錮・懲役刑が科される百条委員会での片山副知事の証言によれば、局長の公用PCには、告発文書の配布の動機として、斎藤政権へのクーデター計画を記した文書や、クーデター後の人事案まであったとのことである。これなら文書の配布は「不正の目的」であるといえそうであるが、法律上は「もっぱら不正の目的でなければよい」とのことのようで、まずこの告発は「公益通報」には当たると考えるのが妥当なようである。

続いて、保護される要件としての「真実相当性」についてだが、これの立証責任は告発者側にあるとのことである。だから、流れとしては、斎藤前知事側からの処分が行われ、それが不服だと思えば、局長が裁判で真実相当性を立証し、自分が保護されるべきことを主張して、処分の無効を勝ち取るべきだということになる。

すなわち、告発文書は「公益通報」ではあると思われるものの、県の処分は直ちにまったく不当というわけではなく、それが不当であると思えば、局長が裁判で争えばよいということである。

ならば、現段階で県に明確な不正はないかというと、ここにもう一つの論点がある。公益通報者保護法の第11条に事業者は「公益通報者の保護を図る」のに「必要な体制の整備その他の必要な措置」を取るべきとの規定があり、それを具体化する指針には「公益通報者の探索行為の禁止」があるというのだ。そうだとすると、そもそも局長を特定した探索が不正なのである。

だが、ここには第11条と指針が、内部通報のみならず、外部通報にまで適用されるのかという論点がある。消費者庁や、百条委員会に招聘された専門家は、外部通報にも適用されるとの立場であるが、これには有力な異論もある。

異論によれば、まずは条文の読み方として、第11条は基本的には「第三条第一号及び第六条第一号に定める公益通報を受け」「第三条第一号及び第六条第一号に定める公益通報に応じ」といった文言からわかるように、第三条第一号の通報、すなわち、内部通報にしっかり対応せよという条文である。そこから外部通報への探索者の禁止を引き出すには、最後の「その他の必要な措置」という文言に関しては、外部通報、すなわち、第三条第三号通報へも適用されると読むことが必要になるという。これは無理筋であるように見える。

また、帰結からする異論もある。もしこのような外部通報にも適用する読み方が正しいとすると、「公益通報の濫用」が可能になる。すなわち、「公益通報」の要件は緩いので、どんなデマだらけの文書を外部に撒き散らしても、組織はその発信元を探索することができないことになってしまうのだ。これでは怪文書の撒き散らしがやったもん勝ちとなり、名誉毀損のし放題となってしまう。やはり、探索者の禁止は、内部通報なのでそもそも告発内容が外部には広がらない(から、名誉毀損等の損害の恐れがない)場合に限定されるべきだと思われる。そうでないと一方はデマを撒き散らし放題で、他方はそれを調べることもできないという不均衡が生じるからだ。

以上の考察より、私の結論としては、告発は公益通報に当たるものの、斎藤前知事らの初期対応自体は不正な「探索者の禁止」には当たらず、処分したこともそれ自体は直ちに不正とは言えず、不正であるとすれば局長が裁判で「真実相当性」を立証すればよいということになる。この点に関しては斎藤前知事らは「純白」まではいかないが「ほぼほぼシロ」と言っていいのではないかと思う。

また、文書の「真実相当性」に対しては、私は否定的に評価している。内部告発ならば、内部者ならいくらでも確保できそうな確固たる証拠を一つでも二つでもつければいいところ、この告発文書は噂話と憶測に終始しているからだ。信じるに足る相当の理由はなく、ただクーデターを企む局長の信じたいという気持ちだけがあるように見えるのだ。

3、おねだり・パワハラ疑惑

告発文書に端を発したおねだり・パワハラ疑惑に関しては、三つの別々の調査が並行している。4月の公益通報を受けた兵庫県の内部通報窓口、第三者委員会、百条委員会である。

このうち兵庫県の内部通報窓口の調査は7月に終わっており、おねだり・パワハラは認定されていない。この内部通報窓口の調査も、片山副知事などの関係者は締め出され、外部の弁護士も一部参画するなど、一定の客観性はあるものと思われる。おねだり問題に関しては、贈答品の受領ルールの策定という是正勧告、パワハラに関しては、知事のコミュニケーションの不足が指摘され、ハラスメント研修の充実という是正勧告がされたとのことである。

また第三者委員会は外部の専門家による委員会だが、こちらの結論は2025年の3月に出るとのことである。

百条委員会でも最終的な結論は出ておらず、審議は行われているものの、まだおねだり・パワハラが決定的な仕方で認定されているわけではない。

おねだりに関しては、最初さまざまなことが言われたが、相手型企業からの否定の声明等もあり、現状ではおねだりの程度は不明である。また内部通報窓口の調査結果から示唆されるとおり、そもそも贈答品の受領ルールがないことから、おねだりがもしあったとして、それが直ちに不正とは言えないというあたりが現段階での落とし所であるように思われる。

パワハラに関しては、アンケートに多数の証言がある。ただ、パワハラというからには、単に業務の不備に関する注意ではなく、それを超えた人格否定を繰り返し行っていなければならない。百条委員会では、20m歩かされて叱責、付箋を投げた等は斎藤前知事によっても認められたが、厳しすぎたかもしれないものの、あくまで業務の不備に対する合理的な指導であると主張されている。確かに、やや行き過ぎもあったかもしれないが、これだけでもってパワハラとは言えないだろう。

結局、いまはパワハラがあったとパワハラがなかったという見解が真っ向対立している状況である。何か決定打が欲しいところだ。確かにアンケートにはかなり生々しい証言も多数あるのだが、そこで示唆されるほどパワハラ知事として有名であったなら、録音の一つや二つが出てきて当然ではないだろうか。今どきパワハラから身を守るために録音をしようというのは一種の社会常識であるように思われる。選挙を通じて政治的闘争が激化し、パワハラはそもそも全部デマだという論が広がるなか、本当にひどいパワハラが常習的に行われていたのであれば、カウンターとしてパワハラ音声の一つや二つはサッと出てきても良さそうである。百条委員会やアンケートそのものの政治的偏向が疑われるなかだからこそ、こういった決定的な証拠を求めることが不当だとは思われない。

このような事情から、私としては斎藤前知事は、叱責はきつく、その中には理不尽なものもあったのかもしれないが、パワハラということについては、まったくの「純白」とアンケートの「真っ黒」の間で、いまのところは「白よりのグレー」というあたりが妥当な落とし所だと考える。

筋論としては、百条委員会・第三者委員会の最終結論まで待つべきところであり、不信任決議は勇足である。そもそも百条委員会が何も結論を得ていないのに、再選挙などされても意味不明である。今回の選挙では斎藤前知事の復帰こそが筋だと考える所以である。

4、告発者の局長の死をどう捉えるか

さて、斎藤前知事悪玉論が広がったのは、7月に「一死をもって抗議する」といって告発者の局長が自死したことがきっかけだった。パワハラ知事が局長の告発を握り潰し、自死にまで追いやったというわけである。

まず確認したいのは、3月の告発以前に局長が知事からパワハラを受けていたといった事実はないだろうということだ。そんなことがあれば、心情的にも確固たる証拠の入手しやすさという点から考えても、告発文書の冒頭に証拠付きでそのことが書かれていて然るべきだと思われるところ、告発文書には局長自身がパワハラを受けたという記述がないからだ。

ならば、問題は告発以降の知事側の対応ということになるが、こちらは先に検討したとおり、局長が取るべきは「一死をもって抗議」することではなく、裁判で争うことである。自分が正しいと信じるのであれば、裁判で名誉と利益を回復できるところ、「一死をもって抗議」するとはいかにも不自然である。つまり、告発に対する処分のありようが自死の原因とは考えにくい。

こうして浮上してくるのが、立花孝志が流出させた百条委員会の秘密会の音声にある、公用PCのなかの複数の女性職員との不倫日記の存在である。まず、偽証が罪となる百条委員会での片山副知事の証言であるから、これが存在すること自体は信用すべきだと思われる。

そして、百条委員会での証言の直前の自死という文脈を考えるとき、局長が恐れたのは、この公用PCの中身が公開されることであり、それに抗議して自死したというのが説得的であるように思われる。

そうであるとして、問題は、悪いのは誰か、である。ここについては斎藤前知事自身がこの件を主導したかは別としても、斎藤前知事サイドも「純白」とはいえないだろう。百条委員会で静止されながらも、不倫日記の件を証言しようとする片山副知事の流出音声から分かるとおり、「不倫日記の件を公表してやろう」という意図があることは明らかだからだ。それは告発文書の真偽には直接は関係しないのだから、斎藤前知事サイドに「局長の信用を落とす」「局長に圧力をかける」等々の意図が推定されても仕方ないだろう。

だが、他方で、局長がクーデターを云々していたことを鑑みるに、局長側にも落ち度があったと思われる。「クーデター」、より広く「権力闘争」に挑むものの覚悟と準備がなかったように思われるのだ。不倫日記という自分の決定的な弱みを入れたままの公用PCで信用性の低い告発文書をばら撒く迂闊さ。自分が有ること無いこと詰め込んだ怪文書をばら撒くというあの手この手を繰り出している以上、相手もあの手この手を繰り出してきても当然だという、相互性の認識の欠如。

こういったことを思うとき、局長に同情する気にはなれないのである。それは権力者に徹底的に追い詰められた弱者の死ではなく、覚悟と準備のないまま権力闘争を挑んだものの敗死であるように見える。皮肉なことに、結果としては、この死こそが最終兵器として機能し、斎藤前知事が辞職したことで、いったんは局長が勝利したのであるが…。

また週刊誌では、局長は不倫日記の件を気に病んで百条委員会から降りたいと思っていたところ、反斎藤派の県議等から「斎藤を追い落とすチャンスだ」とけしかけられたとの報道もある。この場合には、局長の死は権力闘争における「鉄砲玉」の死ということになろう。それは反斎藤派にとって、結果的には必殺の弾丸であったということになる。

このように考えるとき、局長の死については斎藤前知事自身はともかく、斎藤前知事サイドにも一定の非難の余地はあるところ、全体の情勢を権力闘争として捉えたとき、相手のあの手この手の指し手に対する対抗手段として、これを「真っ黒」と評価するのはバランスを欠くと思う。どこまで高く見積もってもせいぜい「グレー」というところだろう。斎藤前知事サイドには局長を死に追いやろうという意図などなく、ただ局長に引っ込んでもらうか、引っ込まないなら局長の信用を落としたいと思っていただけであろうことも考慮に入れなければならない。

5、まとめ

以上を総合すると、「公益通報者保護法」については、局長が法的に争えばよかっただけなので現段階では「ほぼシロ」「おねだり・パワハラ」については、第三者委員会・百条委員会の公式の結論が出ておらず、両者の意見が真っ向対立している状況で、いろいろ語られている割に決定的な証拠もないので、政治闘争的な背景も鑑みて「白よりのグレー」「局長の死」については、無防備に権力闘争を挑んだ局長が、迂闊にも弱みを握られた結果、敗死したと捉えるべきで、不倫日記を圧力として用いたと思われる斎藤前知事サイドも無垢ではないが、権力闘争とはそういうものであるから、どこまでいってもせいぜい「グレー」というところだろう。

最近流出した片山前知事への囲み取材の流出音声では、朝日新聞やNHKのの記者が片山前知事の不倫日記への言及を防ごうとしたり、責め立てたりする様子が記録されている。百条委員会の奥谷委員長が不倫日記への言及を徹底的に妨害する秘密会の音声と合わせ、何か政治的工作が蠢いていることはほぼ間違いないと思われる。

現段階での私の判定では、斎藤前知事はせいぜい「白よりのグレー」である。だから、今回の選挙では斎藤前知事が復帰した上で、一方的な情報が飛び交う政治闘争を超えて、百条委員会を完遂し、また第三者委員会での結論を待って、できる限り客観的な答えを得るべきだ。

反斎藤派にしても、そこで斎藤前知事が「真っ黒」だと確定したら、改めて不信任決議をすればいいだけである。メディアの一方的な報道で、確証が得られないまま斎藤前知事が悪だと真っ黒に染め上げられただけのことを最終的な結論として確定するのでは、斎藤前知事の是非をめぐって現に生まれている兵庫県の分断という禍根を残すことになるだろう。斎藤前知事がこのまま負けてしまったら、そういうことになりかねないのである。

最後についでに一言。この選挙で斎藤前知事が勝利したとしたら、マスメディアは、斎藤悪玉論を吹聴した自らの誤りや、それに対するカウンター情報を封殺し続けた罪などを告白しなければ、それを理解可能な仕方で報道することはできないだろう。つまり、マスメディアには支離滅裂になるか、自らの決定的な罪を認めるかの究極の二択しか残されていない。もし斎藤前知事が勝利するならば、そこにはマスメディアの墓標が立つことになろう。さて、どうなるだろうか。

↓選挙終了後に振り返りの記事を書きました。内容は主に、この記事を書くにあたって参考にした情報ソースと、今後のマスメディアに求めること、です。

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