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【H】ネット選挙の新時代—2024年日本政治の観察記(2)東京都知事選

これは以下の記事の続きです。

3、ネット選挙の新時代を開いた東京都知事選

このような流れの中で、立憲民主党を離党して東京都知事選に出馬した蓮舫は、現職の小池百合子を「裏金」自民党と結びつけ、政権交代的な対決図式を演出することを選挙戦略とした。

4月の東京15区補選では、立憲の候補が小池が推した乙武洋匡を下していたこと、また、自民党のイメージ悪化や小池自身の学歴詐称疑惑の再燃もあり、選挙戦開始当初は、ひょっとすると蓮舫が女帝小池を下す、劇的な「女の戦い」が展開されるのではないかとの期待もマスメディア中心にあったように思う。

だが、小池が公務優先を口実に討論会に出てこなかったり、15区補選のつばさの党騒動の余波もあってか街頭活動を控えたりするなかで、女の戦いは盛り上がりを欠いた。小池は蓮舫の戦略を不発とするため、自民党とのつながりを見えにくくし、ただ公務を報道させることをもって選挙活動に代えていたのである。

他方の蓮舫陣営についても、支援者のうちの左派系の活動家たちの選挙運動が先鋭化、Rシールを街中に貼ったり、集団で歌って踊り出すなど、左派リベラル系の内輪受けに走り、広がりを欠いた面は否めないだろう。

そんななかで一人「風」を起こしたのが前安芸高田市長の石丸伸二だった。石丸は市長時代よりYoutubeでの発信を重視しており、典型的に「老害」「既得権益層」に見える市議会議員やメディアを、石丸が小気味よく「論破」する、ちょっと「スカッとする」作風で一部で人気を博していた。

その石丸が東京都知事選に出馬、短い街宣を多数行い、それを「切り抜き職人」などとも呼ばれる有志に撮影してもらったうえで、それを短く編集した「切り抜き動画」をYoutube、Tiktok、Xなどに多数投稿、急速に認知を広げた。その結果が約130万票の蓮舫を抜き去る約165万票の2位だった。小池は約290万票を集めた。

この躍進の背景にあったのは何か。もともと石丸は反既成政治家・反マスメディアだったが、これが同じ傾向を持つ若年層を捉えたということだろう。

そもそも選挙は徹底的にマスの世界であり、数がものをいう。だから選挙は人数が多い高齢者、同時視聴者数が多いテレビ、議員や運動員や資金が多い既成大政党の独壇場であり、いわば、「高齢者-テレビ-既成政党」のトライアングルが形成されていた。

このトライアングルの反対に存在していたのが、その全要素をひっくり返した「若年層-ネット-無党派・政治的無関心」のトライアングルである。ここに自身も41歳と若く、マスメディア批判でネットで著名となった石丸が、「政治屋一掃」などと既成政党・政治家を批判しながら、ネットでアプローチをかけていったわけだ。

その結果、マスメディアをあまり見ず、マスメディアが設定した対立構図上の小池(自民)も蓮舫(立憲)もどちらも古い政治家とみなす若年層が、大挙して石丸に投票することになったのだ。

そして、以上の二つのトライアングルのズレが露呈したのが選挙後の石丸のテレビ出演である。そこで石丸はやたらと敵対的な態度を取り、各方面から批判されることにったのだが、このことは、まさにこの二つのトライアングル間の断層を指し示している。マスメディアからみれば、「なんでこんなやつがこんなに支持されたんだ」ということになるわけだ。

さて、この石丸現象を考える上で重要なのは、石丸が「政治屋一掃」や「東京を動かそう」など、あまり具体的な政策に言及せず、一種、無色透明な抽象的標語に終始した点だ。

そもそも、ネット選挙で躍進を果たしたのは、れいわ新選組や参政党やNHK党など、イデオロギー的に極端な政党や一点突破的な主張やパフォーマンスを行う政党だった。これらの政党は、マスメディアでは扱われないが、ネットを使って日本全国に薄く浸透し、そのイデオロギー等に共感する少数の人々を全国的に糾合することにより、参院選の全国比例によって国政政党化を果たしたのである。

石丸がこれらと一線を画したのは、ある種の無色透明さによる。その選挙戦は、先のトライアングル「高齢者-テレビ-既成政党」に漠然と反対し、何かを「変える」という期待を引き起こすことで、「若年層-ネット-無党派・政治的無関心」という、これまでの選挙から疎外されていた層に広くアプローチできたのだ。その運動は、イデオロギー的に無色だから結果として「中道」であり、古いものを変えていく「改革」姿勢を強調する。この戦略によって、おそらくは日本で初めて、ネットを通じてマスをとらえることが可能になった。

ネットでマスを捉える。このことには、ネット自体がここ数年で徹底的に動画中心となり、訴求力の点でテレビにまったく遅れを取らなくなったということも寄与しているだろう。文章よりも動画の方が見る人が多いし、またメディア自体の訴求力の大きいからである。

かくいう私は、つばさの党の黒川敦彦に投票した。15区補選での体当たりの選挙妨害は、他候補の街宣場所に押しかけて、その候補の弱みを徹底的に突いていくというもので、綺麗事ばかりが飛び交う選挙のなかで、その裏側に肉薄しようとする運動だったと思う。都知事選時、選挙妨害で捕まった黒川は拘置所にいたと思うのだが、私は彼に一種のエールを送りたかったのだ。もちろん、選挙妨害は褒められた行動ではないが、やはりそこには私に訴えかける何かがあった。たぶん、この投票行動は、それほど私の既成政治への絶望は深かったことを意味しているのだろう。「全部嘘だ!」、それが当時の私の気持ちだったのだろう。

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