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想像していなかった未来

何歳の頃からだっただろう。何かの物語の影響だったのだろうか。とにかく私は、幼い頃から結婚したかった。

今の世の中で言うことは若干はばかられる内容だが、

「結婚したい。」
「結婚相手と自分の間に出来た子どもを産みたい。」
「子どもは2人が良いな。」
「結婚相手と仲良く子どもを育てたい。」

そして

「最初に結婚した相手と仲良く添い遂げたい。」

とずっと願い続けてきたのだった。

だが私は、小学校時代にいじめられ続けて自信が持てなかったし、全くモテる女の子でもなかった。それどころか中学に上がるまで同い年の友達すら出来なかったという過去がある。

結婚願望なんて果たして叶うのか。

成長とともにどんどん希望が削られていく。

もちろん男友達なんて、居たことがない。
とんでもない。
引っ込み思案なのに変わり者の私には、男友達すらハードルが高すぎることだった。


そんな私だから、成長してもなかなか彼氏が出来なかった。

本を読んだり、人を観察するのが好きだった私は、物語の登場人物や、キラキラと青春を謳歌するクラスの女子を見て

「高校に上がったら彼氏出来るのかな。」

と期待する。

高校に入って3年が経てば

「大学生になったら…。」
「おしゃれをしたら…。」

と期待し、更に4年が経ったら次は

「社会人になったら、出会いも広がるかな。」

と呑気に、ただ時が来るのを待っていた。


中学に上がる際に、同い年の友人を作ろうとした時は自分から頑張って動いたのに。

照れ屋なくせにロマンチストな私は、彼氏に関しては運命が降ってくるのを待っていただけだった。

昔、いじめられっ子でモテなかったからこそ、自分から動かなくても素敵な恋が降ってきてほしいと思っていたのも、分からなくはないが。


ただ、自分から動かなければ運命だって動きはしない。20代後半になり、やっとそのことに薄々気付き始めた私は、少しずつ行動を始める。

まず、趣味の活動を広げようとした。
そして誰かが私を気遣って紹介の話をくれたら前向きに会った。

それでも「お見合い」だけは絶対にしたくなかった。

約17年前のその当時、私含め多くの人が「お見合い」は「有無を言わさず結婚させられる」と恐れていたからだ。

「今の時代にお見合いする人は売れ残り。ろくな人は居ない。」
「お見合いしたら、自分もろくでもない人に思われる。」
「お見合いしたら最後、その人と絶対結婚しなければいけない。」
「だからいつでも誰でも結婚できる。」
「婚活の最後の手段でするもの。」
そんなふうに皆が思い込んでいた。

両親は必死で
「今はそんなことない。嫌なら断れる。」

と私の誤解と思い込みを解こうと繰り返し説得する。
私はあまりに熱心なその説得に次第にほだされ、ついにお見合いをすることにした。

結局、最初のお見合い相手はどうしても合わず、断りするのだが。

でも、
「お見合いって、本当に必ず結婚しなければいけない訳じゃないんだ。」

と少し安心した。

だからまたお見合いをしてみた。

2度目のお見合いでは、私はもう一度、相手に会ってみたいと思ったが、今度は私の方がお断りされてしまう。

思い上がっていたと恥ずかしかったが、それ以上に感じたのは

「お見合いだからといって、縁がない相手との結婚は成立しない。」

ということだ。お見合いすれば強制的に結婚だった時代も、夫婦になった2人には確かに縁があったのだろう。

そう思えれば、ロマンチストな私は前向きに婚活が出来た。
むしろ、お見合いや結婚相談所などは、本気で結婚したい人しか居ない場であり、安心感があるではないか。
結果、相談所には行くことがなかったが、或る婚活パーティーで私は、夫になる人と知り合うことになる。

後の夫は私をとても気に入ってくれたようで、そのオーラをビシバシ出してきた。しかもその彼は、知り合って10時間後に

「結婚ってどう思う?」

と質問してくれた。

その後の展開は早かった。

知り合ってから付き合うまでは10日。
付き合ってから結婚が決まるまでは1ヶ月半というスピードだ。

入籍したのは付き合ったちょうど1年後。
知り合ってから、1年と10日のことだった。

これは想像していなかった。
そうでなくても、なかなか彼氏が出来なかった私は、結婚が決まった自分を想像しづらくなっていたのに。

しかも私は、月刊でゆっくりと愛を育んていく少女漫画に影響を受けまくっていたロマンチストだったので、こんなスピード婚なんて更に想像していなかった。

本当に、事実は小説よりも奇なりというか。
それとも、縁は異なもの味なものというべきか。

想像していなかった未来は更に続く。

私は月経がとても重く、

「これは婦人科系の病気が隠れているのでは?」「結婚して妊娠する前に、子宮や卵巣を提出しなければならなくなるのでは?」

と恐々としながらも、でもなかなか彼氏が出来ず、いたずらに時間が過ぎていた。その上、体も丈夫ではなかったので、結婚できてたとしても、私は妊娠しづらいのではないかという不安もあった。


だから結婚から半年でスムーズに第一子を妊娠し、順調な経過を辿って出産出来たことは自分でも驚きだった。
思いがけない幸せという意味である「僥倖(ぎょうこう)」がやってきたとしか言いようがない。

その上、第二子まで望んだタイミングでお腹にやって来て、再び順調な経過で元気に産まれてきてくれた。

願い通りではあるけれど、想像していなかった未来だ。一時は絶望的に想像できなかった幸せな未来だったけれど、願い通りやってきてくれたのだ。

とても有難いが、感謝し終えるのはまだ早い。
ともに子育てする夫とは今、結婚11周年。子育てを終えるまで、まだ長いのだ。
そして「添い遂げた」と言えるまでの年月は、もっと長い。
それまでずっと、まだまだ仲良く居たい。

子ども達をがたくましく成長して独立する未来。そして夫と仲良く添い遂げる未来。
この2つの未来は、しっかり道のりを想像して歩いて行こうと思う。


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茶山茶々子
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