蚊への謝罪
小学生の時、こんな内容の作文を書いた。
「蚊はどうして存在するのか。花を受粉させ蜂蜜をつくるハチと違い、蚊は病気を媒介する。いて良いことがあるのか。」
今思うと恐ろしい内容だけれど、尖っていた私はこの考えが正しいと思って疑わなかったし、作文は担任から高い評価を貰ってしまった。
だからちっとも恥ずかしく思うこともなく、この作文のことを長い間忘れていた。
大人になり、さらに20年は経ったある日、ふと思った。
「本当に、蚊はいない方が良いのだろうか?」
田舎の小学生だったあの頃と違って、今は図書館に自転車を漕いで行って、置いてあるかも分からない蚊の本を探さなくてもいい。
スマホを使ってちょっと調べてみると、一瞬で自分の長年抱いてきた傲慢さを突きつけられた。
蚊を全滅させると、トンボ・アリ・クモ・コウモリなどの蚊を餌とする生物の生態系が崩れてしまうらしい。蚊は、カカオの受粉もさせるそうだ。
これ以上は怖くて調べられなかったが、どれほど自分が傲慢だったのかを知って恥ずかしく恐ろしくなった。
蚊に申し訳がない。小さな体で生態系を守っているのに。かたや私は、虫除けグッズや予防接種で蚊から身を守れる人間なのに。そんな私が、何の知識も無く、一方的に蚊を糾弾していたのだ。
しばらく私は、スマホの「蚊」という字に向かって心の中で謝罪していたが、もうひとつ恐ろしいことに気付いた。
検索結果には、
「蚊はこの世に必要ですか?」
という趣旨の質問がズラリと並んでいた。
このように思っている人は、かつての私だけではなかったのだ。
ヒトも他の生物から
「環境破壊をし生態系を壊す、ヒトは必要ですか?」
と討論されていてもおかしくないのに。
受粉させる力を持つ蚊は病気を媒介させる恐ろしい力も持っているが、ヒトも優れた頭脳という大きな力を持つ。それは環境を護ることも出来るが、使い方を間違えば環境を壊してしまう恐ろしいほど大きな力でもある。
強い力を持った病気が人体の中で猛威をふるい侵食しても、宿主を殺してしまっては結局自分も全滅してしまうように。
こうならない為には、助け合うことが必要だ。助け合う為には、お互いを知らなければならない。知ろうとしなければならない。
かつての私のような、よく知らずに相手を攻撃する傲慢な行為はすべてを壊してしまうのだ。