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夫に打ち明けたこと

私がnoteを始めたのは、今年の9月19日。
奇しくも「note創作大賞2024」の中間発表の日だった。
それからはもう、無我夢中でnoteに投稿した。それは私に「5日間連続投稿」のメダルをもたらすことになる。
そうしてnoteに夢中でエッセイを書いているとエッセイコンテストのネット広告が多くなり、私はその広告に導かれるまま、公募の沼へ足を突っ込んだ。

気がつくと完成・応募済の計9編の公募に挑み、11月に応募したいものはもう無くなった。
そんな私は、来年の「note創作大賞2025」について考えるようになる。
今年と昨年のエッセイ部門大賞の受賞作を読むのはもちろん、中間発表通過作品も読んで勉強を始めたのだ。
それは良い。それはまっとうな努力で良いのだが、他の公募の結果を楽しく待つために、note創作大賞の授賞式のファッションまで勉強するのは「暴走」ではないかと思う。

完全に取らぬ狸の皮算用で、恥ずかしい。

それだけでも充分恥ずかしいのに、ファッションも含めnote創作大賞について勉強する私の心に異変が起こり始める。

最初は、
「こんなの恥ずべきことだ。封印しよう。」
と思って必死に隠していた。
隠して、最初から無いことにして、気高く振る舞おうと決めてつとめて冷静に行動した。
だが、自分の心に背いて生きるのは辛いものだ。
溢れる気持ちに蓋をして、ちっとも自分らしくない私を演じるのはもう我慢できない。

それに、私の隠し事というのは得てしてばれるもの。好きな有名人や漫画についての動画をイヤホンをして平静を装って観ていても、どうしても口の端が上がってしまう。そして夫に
「どうしたの?ニヤーっとして。」
と失笑を買うのが私だ。
気高い振る舞いなんて、ボロが出ていつもの様子がおかしい動きになってしまうだけだ。
隠していてもどうせばれるのに、それでも隠すなんてモヤモヤが溜まるだけ。これは一思いに打ち明けた方が楽になるはず。

私は覚悟して切り出した。
note創作大賞という大きな賞があること。
私が書くことを始めた時にはとうに締め切りが過ぎていて、訳がわからず結果発表を見守ったこと。
受賞作は本当に上手く商業性まであって、今私は大いに勉強させて貰っていること。

そして、挑むことも無かった賞なのに、受賞者さんの笑顔を見ると心がざわざわと嫉妬で震えることを。

こんな気持ちを抱くのは、今後の自分のためにも良いことは無いと解っていた。
そして
「こんな未熟な精神で、良いもの書けるの?」「こんな自分じゃ、いくら公募に出しても仕方なくない?」
と自分を責めていた。嫉妬まみれの自分が恥ずかしかった。
だから必死で抑え、隠そうとしたのだ。

「こんな私は未熟だって解ってるんだけどね…。」
そう言う私と、夫は顔を合わせない。
でも何か悟りを開いたように真っ直ぐな表情で言った。

「賞を獲るような人なら、それぐらいの気持ちはあって当たり前。」

それを聞いて私は心の中で号泣した。
決して涙は流さなかったけど、私のダムは夫のたった一言で決壊した。
心のなかでは、「😭」こんな絵文字で溢れていたように思う。
でも、仙人のような表情をした夫にそんなことは言えない。

「良いの?そういう気持ちがあって。」
「良いと思うよ。」
という短いやりとりをするのが精一杯だった。そうして涙声の私は、仙人フェイスの夫の前ではこの話題を強制的に終了させることにした。

夫はせっかちである。
初めてのデートの待ち合わせは30分前に来ていたくらいだ。

そんな短気な仙人にしつこいと思われては、さっきくれた良い言葉が台無しになるだろう。

それに、あの一言でもう充分だった。充分私は救われた。

だからもう迷わずこの話題も出さない。私は未熟な嫉妬を野望として抱えながら、来年のnote創作大賞を目指そうと思う。

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茶山茶々子
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