桐壺登場 その二 いじめについて語る

その二 いじめについて語る

 帝は輝いておられました。それは世の男の輝き方ではなかった。まるで女のようであった。つまり人ではなかったのです。何かを何かと分からぬままに求めてやまず、それさえ知らずに孤独であられました。女のように。
 帝は私に「よく来たね」と仰いました。それがすべてでした。

 帝のお召を受けて清涼殿の夜の御殿へ参ります。桐壺は後宮の北東。端っこです。長い廊下をどなたよりも長く、女たちの局の前を通って参ります。
 ずずず、ずずず。
 女の衣装の重さをご存知ですか。衣摺の音は地響きです。選ばれし者の存在証明です。いくつもの局の前を重低音が渡ります。
 ずずず、ずずず。
 御簾の中から女たちの視線。次々といくつもの眼差しの洗礼です。まるで冷たい金属の針です。
 たじろいではいけません。堂々と歩くのです。見せつけるのです。私はここにこうしてあるものです。
 いくつもの嫉妬は桐壺の私を必然的に特別にしました。皆様の嫉妬がなかったら私はこれほど特別にはなれなかったでしょう。
 ずずず、ずずず。
 お召の度に皆様の眼差しに晒されて、私は透き通るように美しくなりました。帝も喜ばれています。
 ものの本にはいじめのことが描いてありますが、それは物語ですから。実際のところ後宮とはそういうところなのです。それはどこでもそうでしょう。人の世ですから。
 程度の低い人は程度の低いことを平気でやりますよね。で、人の程度は身分位階とは全く別のものなのですよ。また、程度が低くもなく高くもない人は何となく流れに流されますよね。そういう空気ですよね。程度が高くてもそういう空気、ですよね。そうやって空気が首謀者となって皆さんの共同体を支えているんですよ。皆、笑っているけど、そういうの、知ってるんですかね。
 それにしても、だからといって、よくもまあ、こんな下らない労力を払うものです。その発想力、行動力、脱帽です。感心します。ともあれ、私の渡る長い廊下に、確かにそういう世の常は起こりました。もはや物語では済まされない世の常です。
 それを知ってか知らずか、帝は常とは逆に桐壺へとお渡りになるようになりました。皆さん驚いたでしょうが、私も驚きです。帝は女たちの局の前をどれもこれも無惨に素通りして北東の隅の桐壺へとお渡りになります。地響きが響きます。共同体が揺れています。
 いえ、明らかに帝はそれを知って、私をかばって、そうしたのです。お優しい帝。しかし物事をさらに面倒にしただけということ、彼、分かっているのかしら。
 分かっていたかもしれません。
 分かっていなかったかもしれません。
 それでこそ帝です。
 いずれにせよ、必然は私を衰弱へと向かわせました。それは美しさとは同じなのです。帝も喜んでいます。宿下がりを願っても許されません。年下の私に彼、もう夢中です。
 ありえない、ありえない。何という見苦しい御寵愛。
 人々は非難します。
 でも私には分かるのです。こんな分かりやすいことはないのです。

 

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