桐壺登場 その二十二 女御更衣あまたさぶらいたまいけるその時を語る①(桓武〜陽成)
その二十二 女御更衣あまたさぶらいたまいけるその時を語る①(桓武〜陽成)
【桓武帝】
桓武帝は了外の妃に多くの御子を儲けた。その御子らを皇統を支える親王と認知するために、了外の妃を女御と称した。
さらに賜姓の例も見え始める。桓武帝の異母弟の広根諸勝、桓武帝皇子の長岡岡成や良峯安代などがある。
彼ら皇子は皇統を外側から支えた。これらは先例のない画期的なことだった。が、74年間の平城京の激動、奈良時代を振り返れば理に適っていることが見えてくる。すなわち、皇統の危機に対する万全の備え、そしてオカルト浪費によって陥ってしまった財政難から来る執らざるを得ない節約政策でもある。
なお、更衣はいない。
【嵯峨帝】
源氏としての賜姓が始まる。更衣の成立である。
女御の御子は親王と認知されるのに対して、更衣の御子は賜姓される。女御と更衣は、どちらも了外の妃とはいえ、これだけ明確な身分の差がある。実際、嵯峨帝の御子らは母の身分によって命名が区別されている。
親王 ◯良親王
内親王 ◯子内親王
源氏男子 源◯
源氏女子 源◯姫
なお、賜姓源氏と更衣の設立の目的は国庫負担の軽減であると弘仁五年五月八日嵯峨天皇詔で明言されている。
【淳和帝】
賜姓は生母不明の統朝臣忠子のみ。命名方法も嵯峨朝ほど細かくはない。
【仁明帝】
嵯峨朝を受け継ぐ。
親王 ◯康親王
【文徳帝】
親王 惟◯親王
内親王 ◯子内親王
源氏男子 源◯有
源氏女子 源◯子
【清和帝】
親王 貞◯親王
内親王 ◯子内親王
源氏男子 源長◯
源氏女子 源◯子
【陽成帝】
御子は全て退位後の所生。
親王 元◯親王
内親王 ◯子内親王
源氏男子 源清◯
…このように女御と更衣の差は歴然と存在していました。それは御子の命名に明白に現れていました。そうして女御以上の御子は親王宣下され、更衣以下の御子は賜姓されるのです。
では、この設定でこの私、桐壺更衣の物語はどうなるでしょうか。
どうもこうもありません。更衣の子は普通に源氏ですから。「いとやんごとなき際にはあらぬがすぐれてときめきたもうありけり」の呪文には何の効力もありません。だって更衣の子は普通に源氏ですから。
さて、陽成天皇の次、どうなりますか。系図、見てない人、是非、参照して下さい。続けていきます。
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