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桐壺登場 その三十三(最終話) 光る君に語る
その三十三(最終話) 光る君に語る
その夜、光る君は左大臣の御邸に行きました。婚礼の儀式は大層立派だったという噂です。私は三条へは行けません。行きたくもないし。ドナドナですから。
え?ドナドナ、ご存知ない?あの有名なドナドナですよ?ある晴れた昼下がり、牧場から市場へと売られていく子牛の歌ですよ!
かの光源氏の元服式、ドナドナでした。
光る君、父さんのこと、大好きだったのに。
右大弁のおじちゃんも、大好きだったのに。
その大好きな二人によって左大臣の元へと売られていったのです。
悲しいのは夕暮れのせいなんかじゃないんです。
皆さん、私がドナドナで不思議ですか?革命家の私がドナドナで可笑しいですか?そうですよね。不思議ですよね。可笑しいですよね。だって筋書き通りじゃないですか!着実にあの人の、帝の思惑通りじゃないですか!
では今のうちに確認しておきましょう。え、何をって、あいつのシナリオですよ!
(筆者注 あいつ=帝。
この「桐壺登場」は桐壺更衣が語り手となっております。もう少しで終わりますので、どうか許して下さい。)
【あいつのシナリオ】
左大臣の姫君と源氏の君が結婚
(ポイント① 左大臣の姫君を得た者が輝ける者である)
↓
帝、譲位して、春宮即位 すぐに譲位
↓
源氏の君 皇族に戻って親王宣下 即位
↓
天皇親政?
(この場合、藤原左大臣家が権力を持つ構造になるので、いまひとつ弱い)
そこで、
【あいつのシナリオ 闇 Power Ver.】
藤壺の宮に新春宮が生まれる
(ポイント② 実は源氏の子というのは目論見通りである)
↓
新春宮の後見を源氏の君とする
↓
帝、譲位して、春宮即位 するやいなや譲位
↓
新春宮即位 後見人は当然、源氏
↓
天皇親政!
はい!完成!おめでとうございます!
で?
だから?
それが何?
私たちの革命って一体何だったのでしょう。この国って、人間って、比翼の鳥って、連理の枝って、一体何だったのでしょう。私たち、一体、何をやってきたのでしょう。
私は平安貴族社会的に恵まれた良い家に生まれました。父がいて母がいて私は皆の自慢のお姫様でした。未来は社会に決められていて、私は安心していい子でいられる環境でした。悪い子になる必要なんて全くありませんでした。私自身、優秀すぎるほど優秀でもあったので尚の事。
でも世の中ひっくり返って、父が死に、私が死に、母が死に、家は有名なお化け屋敷になりました。決まっていた未来は影も形もなくなりました。
ほら、私、いつでも悪い子になれるチャンスがあったのに、こんなに何度も何度もチャンスがあったのに、恐ろしいことに私、ずっとずっと、社会にとって有能ないい子でいつづけたのです。
お父さん。
お母さん。
私、光る君の元服、結婚を眺めて、やっと、こう思ったのです。
光る君へ。
好きなことをたくさんやってください。
あなたの命、あなたが使い切ってください。
私はあなたを応援しています。
さてさてそれから。
源氏の君は帝が常にお召しになっているので、左大臣家でゆっくり過ごす暇もありません。
何と。驚きではないですか。元服して、結婚して、あんなにドナドナしたのに、まだ宮中にいるのです。まあこれはこれで、ああやっぱりね、って感じです。この感じ、もう慣れましょう。驚く方が迂闊なのです。はい、すいませんでした。
でも今までと何もかも同じというわけではないんです。当然、帝の後宮の御簾内にはもう入れません。つまり、光源氏の君、輝く日の宮、そう自分と並び称されたあの得体の知れない謎の御人ともう会えないのです。絶対的な断絶。これは萌えます。さすが、あいつのシナリオです。えげつないの極みです。
一方、左大臣も萌えています。並び称されるのは俺の娘の方ですから、彼の気を引こうとあの手この手を仕掛けてきます。もっと頻繁に俺の家に来て下さい。もっと俺を喜ばせて下さい。これは本当は俺が並び称されたい証です。娘ちゃん、いい迷惑です。平安時代、狂ってます。
こうなると何故か帝、俄然、萌えます。桐壺(私の部屋)を源氏の君の部屋としてリメイクしたり、二条のお化け屋敷(私の実家)を公共事業で派手にリフォームしたり。彼、相変わらずでしょ?(笑)。←笑えないけど(笑)。それでね、私の生まれ育った家、もう綺麗サッパリ面影もなくなっちゃったの。え、寂しくないかって?うん、いいのいいの。逆にスッキリしちゃった。庭の池も広く作り直して大騒ぎだったのよ。でも大丈夫だったかしら、あの池には浦島太郎の弟(自称)が住んでいたのだけれど。ともあれ帝、いつもいつも桐壺なのでついに「桐壺帝」と呼ばれるようになっゃいました。ちょっと嬉しい。
というわけで、光る君、居場所もふわふわ迷子なら人格もふわふわ迷子です。そりゃそうよね。そうなるよね。それでも大丈夫。十二歳、まあ、そんなもんです。ほら、何か考えてる。光る君の物語はここから彼が奏でるのです。
疲れたので私、そろそろ帰ります。気が向いたらまた来ます。
最後に一つだけ。
「光る君」という呼び名は高麗人か名付けた、と言い伝えられているそうですが、一次資料にありませんでした。おそらく反右大臣一派が意図的に流布したものと思われます。その人物もしくは団体の特定は今となっては困難でありますが、その優れた詩歌的な感性からして右大弁が何らかの形で関与しているものと思われます。(また右大弁⁉️)