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桐壺登場 その十七 お母さんに語る
その十七 お母さんに語る
母上が亡くなりました。母上が呆けてしまったのは社会のせいです。そして命を落としたのは私のせいです。
ごめんなさい。ごめんなさい。お母さん。私は悪い子でした。あなたを傷つけました。酷いことも言いました。私は何も見えていませんでした。あなたが私とはまったく異なる生命体であるという明白な事実に気づきませんでした。明白すぎて気づきませんでした。私はあなたが私の母であるというだけで、盲目的にあなたを支配していました。けれどもあなたが私ではないように、私はあなたではなかったのです。そんな簡単なことに気づけずに、私はあなたのことを何一つ知らないままで、ついにあなたを失くしてしまったのです。二条の邸の荒廃が私に過失を知らしめました。血の繋がりを人質にして略奪した巨額の負債を知らしめました。私のために使い果たしたお母さん。ごめんなさい。お母さん。私、お母さんのために何もしなかった。
光る君が泣いています。
お母さん、光る君が泣いていますよ。私が死んだ時、泣くことを知らなかった光る君が、あなたを思って涙を流していますよ。大きくなったんですね。ありがとう。お母さん。
そうそう、帝も悲しんでおりました。実は楽しかったみたいです。あなたとの文のやりとり。こんなことはなかなかできることではないのです。さすが、私のお母さんです。
お母さん、私が死んで、あなたが死んで、私は何か吹っ切れた気がします。お父さんのことも大したことではなかったんです。
さて、光る君は二条院の主となりました。御子の養育は母方の里で行うのが通例です。まだ幼い光る君の保護者はその光る君自身となったのです。
そりゃ、おばば様死んだら、光る君、泣きますわな。これは本物のひとりぼっちですよ。
え?使用人ですか?いますよ。我々、貴族ですから。でも使用人なんてあてにならないんですよね。あら、嫌だ、そんな風にとらえないで下さいませ。そういうものなんですのよ。
例えば二条院では大納言が死んで、そのまま残った使用人もあれば、いなくなった使用人もいました。更衣の私が死んで、残った使用人もあれば、いなくなった使用人もいました。大納言の北の方が死んで(以下略)、そうやって残ったのが今の人材です。数も減っていますが、質も落ちています。
優秀な人材は再就職の当てがあります。自らの能力の発展のために自分で見切りをつけて退職することもできます。平安時代に義理も忠義も終身雇用もありません。落ち目な故大納言一家なら尚更です。みんな出て行きます。残って残って残った社員というのは向上心と再就職の見込みのない人材なのです。稀に真逆の場合もありますが、大抵わびしくなっていくのが現状です。このようなことはよくあることで、零落れた感はここから醸し出されます。宇津保の敏蔭の娘もそうでしたね。
「世の中も知らぬ若き心地に、いとあわれに悲しく…明け暮れ一人空を眺めて」
貧乏極限状態です。
ですからそれからというもの、光る君は帝と一緒です。
父とともにある御子。帝とともにある御子。
前代未聞。大問題です。しかし私たちの前代未聞は今更珍しくも何ともありません。珍しくない前代未聞など面白くもありません。なので世の人々はわざわざこれをとりただすといったこともございませんでした。おいおい。
なにはともあれ帝、俄然元気になりました。
さあ、待望のお父さんと一緒が始まりました。お父さんのお家、宮中で。
どうなる?ひかっち。