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あなたのままで大丈夫
Q.やりたいことをやってはいけないような気がします。悪いカルマのようなものを積んでしまわないでしょうか?
あなたがそれをしたいということは、普段意識は出来ないようなもっと大きな存在(源泉)があなたにそれをして欲しいと思っているからです。
ですから、何かをすることに罪悪感を感じる必要はありません。
なぜ、あなたが存在しているかが分かりますか?それは、御自身を解放し、この世界で表現されるためです。それでも、いい表現と悪い表現があると感じるかもしれません。
悪い表現とは、あなたが抑圧してきた過去の結果です。丁度、あなたのために用意された豪華なケーキも、食べるのを我慢して、放っておいたら、腐ってしまうことと同じです。ですから、確かにそのような感情的エネルギーは外に出されるよりも適切な方法で解放された方が良いでしょう。
(下の質問参照)
俗っぽいことと神聖そうことを分ける必要もありません。そもそも、神聖でないものは存在すらしていないからです。区別する心(自我)がなくなれば、あるがままに生きることが出来るようになってきます。その時、どんなこともかけがえのない生命の表現だと分かるようになるのです。
とはいえ、やりたいことをするのに罪悪感を感じてしまう気持ちもよくわかります。そういう時は、その感覚にあるがままに気づいていましょう。そうすれば、「こうしなければいけない自分」という像が少しずつ緩んできます。
Q.どうやって、エゴ的な表現と本当の私の表現を見分けるのですか?
エゴ的な表現とは、利己的な快楽を感情的にもたらすような言動のことです。何か特定の行動のことを指しているわけではありません。
あなたは駆け落ちをしても、会社を突然辞めて、世界一周の旅に出ても良いのですが、その動機が「あいつより度胸があって、凄い私」では好ましくないということです。大抵そういった動機から行動している時は、次の二つの傾向があります。
身体に緊張が生じるような精神的な快楽が生じる
他者と自分を比べている
これを無くしていくためには、より意識的になって行動することが効果的です。何故なら、はっきりと気づいていながら、エゴは保てないものだからです。
けれども、無意識の行動を取っても、別に攻める必要はありません。人間だれしも、その人なりの「弱さ」を抱えているものだからです。自分なりのペースで進んでいけば、良いと思います。
Q.しかし、明らかに倫理的によくないことでも、表現してしまっても良いのでしょうか?
確かに、何か犯罪につながるようなことをするのはまずいでしょうし、実際、私も止めるでしょう。そういった、明らかに人を傷つけてしまうような衝動は、本当の自分の表現ではなく、過去の傷が原因になっていることも多いです。
そういう時は、過去の自分と浮上してきた感情との適切な向き合い方を学ぶ必要があります。その為には、基本的な自我のメカニズムを知っておくことが重要です。自我は精神的に好ましくない状態を経験した時、次の四つの反応をします。
抑圧 → 感情を心の奥に押しやって、無かったことにする
逃避 → テレビを見たりすることで、問題から逃げようとする
投影 → 本当は自分の問題なのに、他者の中にそれ見ようとする
表現 → 怒りなどを他者にぶつけたりする
表現は意外かもしれませんが、いつも怒っている人が怒りから自由なわけではないように、鬱憤を晴らしても、それによって、問題が解決されるわけではありません。
この四つの心理的な防衛を可能な限り、避けてください。その代わりに、その感情をあるがままに感じとって、観察してみてください。
勿論、時間はかかりますが、適切な場所を与えられた感情は次第に解消されていくでしょう。感情や思考は、とどまるためではなく、去っていくために存在しているのです。
Q.仕事も勉強も他の人みたいに上手くできません。私は何か間違っているのでしょうか?
そんなことはありません。あなたのままで大丈夫です。仕事や勉強もこの世界で生きていく上でのルールに過ぎません。事実、もし今が戦国時代であれば、勉強よりも武力の方が大事だったかもしれません(笑)。
そうは言っても、社会的なことはある程度できたほうが便利でしょうし、どうしても周りと比べてしまうかもしれません。そういう時は、自分のみじめさのようなものを全身で感じ取ってみましょう。
もっと、オープンになって、それそのものになるのです。みじめさとの距離をなくして、思考を使わずに意識的に一体化してみましょう。
たとえ成功し、今まで負けたことがないような人でも、幸せに基準が外にある人は皆みじめです。誰もがいつかは根本的なみじめさに立ち向かわなければいけません。きっと、貴方には今、その時間が来たのでしょう。
全身全霊で、意識的になりながら、感情のエネルギーを感じ取ると、「私という夢」が終わっていきます。その時、初めて何の理由もなく、幸せだと感じるようになるでしょう。
また、一つの夢が終わると、その夢によって制限されていた能力が解放されることがあります。「出来ない自分」という夢が終わった時、前よりも少し出来る自分に変わっていることがあるかもしれません。