人と関わる自信がない話
お久しぶりです、ANDあらためARIです。
安藤呼璃と書いてアンドウアリと読みます。
a(ri-ndo)はただの言葉遊びです。
読みづらく雰囲気もがらりと変わって
別人のようになってしまいましたが
引き続き気分屋更新していきますので
よろしくお願いします。笑
さて、実家に戻ってきて3ヶ月ほど経ちました。
いろいろあってまだ通院できずにおり
いろいろあって安定剤だけ残っているのを
親の目を盗んで少しずつ服用している今日この頃。
眠剤はとうに切れてしまったので
例によって気絶するように眠っています。
うーんよくない。
*
眠気がないわけではないが眠れるわけではない
それはとても苦しいことだ。
けれどいつも処方された薬を流し込むたびに覚える
胃が重くなる感覚は、まるで鉛を呑んでいるようだと思う。
情緒の安定のために飲む薬で余計に情緒が揺れる。
胃に感じる重みは痛みは伴わないとはいえ
吐き気にも似た不快感に苛まれるのだ。
眠りに落ちるまでに考えることはいつも仄暗い。
この3ヶ月、思考することから逃避してみたり
いつもどおり堂々巡りを繰り返してみたりしていた。
ここにきて新しい友だちができたことは喜ばしいことだ。
実家という囲いの外で過ごす時間は本当に楽しい。
最初はそれでよかった、けれど長くは続かない。
気づいたのは、私は人と関係を築くことに臆病になっているということだ。
そこには色々な仄暗い思いや認知の歪みが横たわっているのだけれど、
それを言語化するにはもう少しこのことにきちんと向き合わなければいけない
とりあえずどうしてそう思うのか、というのは置いておいて
感じたこととして綴っておこうと久しぶりにここに吐き捨てた。
*
嫌われたくない。迷惑なんじゃないか。
やっぱり迷惑だ。付き合ってもらっている。
また一方通行なのではないか。嫌われたくない。
嫌われたくない。裏切られたくない。
裏切るって何を?期待を?期待している?何を?
こんな自分を受け止めてくれるという勘違いが
相手を困惑させ、また優しさに甘え、
許された気になっているのでは、?
こわい、一挙一動、ささいな反応に怯えている
何も間違っていないだろうか
ああ、あれは間違えてしまったな
嫌な思いをさせてしまったかもしれない
きっとそうにちがいない
それでも「また」と言ってくれる
優しい彼らに申し訳ない、
そこでは息を吸えていたはずなのに
息ができなくなってきている 感覚
そのひとときは楽しいのに、
すべて忘れていられるのに、
終わったあとに襲い来る不安や後悔
帰宅即開始される脳内反省会
そして一歩、また一歩と距離を置く
防衛本能だろうか
友人だろうと恋愛だろうと
もう傷つきたくなくて当時の相手の影を責める気持ち
もう嫌われたくなくて自分の行動を振り返り責める気持ち
帰結するのは「ぼくは迷惑にしかならない」という場所。
「迷惑にしかならないのだから関わるべきではない」
「関係を築くべきではない」
「だれもぼくなど必要としていない」
「弁えろゴミ」
はい。ごめんなさい。
ごめんなさい。で。いっぱいです。
約束の一つも守れないで
蔑ろにしているのはぼくのほう
だからもうやめたほうがいい
信じることもうまくできない
距離感を測ることもできない
むずかしい むずかしくて しんどい
呼吸の仕方をわすれる
ぼくの言動で行動で間違いで嫌な思いをしてほしくない
のは本心だけれどもしかして裏返したら、というかそれ本当に本心か、嫌な人間だと思われたくないだけじゃないのか、そっちが本心なんじゃないのか、?
つくづくゴミ、なのではやく処分したい
断捨離したいのにできない本当はしたい
散らかった部屋に必要なものなんてほとんどなくて
そこに住まうぼくさえ必要ない
あのアパートの一室はゴミ捨て場だったんだ
なにがやばいってこういうことをとくに感情の波もなく書き連ねているという事実です。
泣きながらとか情緒が揺れたからとかじゃなくて
素でまとめているんですここ最近おもったこと
素で思っているんです死んだほうが世のためだと
ちゃんと通院しておくすりのんだら
なおるの?またいろんなひとと関われるの?
ひとのなかに混じって生きていけるの?
やっていけるの?自立できるの?
この歪み治るの?病気のせいなの?
まったくやっていける気がしない
人と関わる自信がない
っていう話
でした
だけど何気ない会話で
母がぼくことちゃんと大好きなんだって
知ったときのことずっと忘れられなくて
思い出すだけで涙でてきちゃって
死ぬのはちがうんだなって思えたの
実家に帰ってきて唯一よかったことなのかな
だけどねママ
生きてく自信がないよ
うまくやってく自信がないよ
しんどいや
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